スクールデイズ

『序章 〜入口のベルが予感を告げた〜』

 けだるい春の午後。それに合わせるように穏やかにビートルズの『Let it be』が流れていた。

 この喫茶店に客が一人もいないことはたいして珍しくもなかったが、やはり人が来ることを前提に作られた店内がぽっかりと空間ばかりが目立っていると少し寂しく見えた。

 こんなのんびりとした昼下がりにすることがなければ眠気が襲ってくるのは当然だろう。本来客が座る椅子に腰を下ろし、ウトウトとするうら若き女性が一人。

「……もぅ呑めないわょぅ……」

 幸せそうに寝言を呟く彼女。そんな彼女を一瞥し、溜息をつきながら近づいてくる姿があった。

「起きろ。営業時間中だぞ」

 軽く彼女の頭を叩く。すると叩かれた彼女は一瞬びくっと体を跳ねさせたが起こした相手を確認すると、目を擦りながらぼやいた。

「いいじゃない、どうせ客もいないんだし」

 めんどくさい、という意思が体中から溢れ出している感じがするが、なかなかどうして、よく見てみると彼女はかなりの美人であった。

「気を休めるくらいなら構わないが、寝るのはさすがにまずいだろ」

 そう注意するこちらの男性もやはり容姿は良く、高い身長やすらりと伸びた脚がモデルのそれを思わせた。

「群青は固いんだよ。春眠暁を覚えずって言うでしょ」

「朱色が緩すぎるだけだ」

 朱色と群青、と呼び合った彼らは二卵性双生児、いわゆる双子というやつで、群青のほうが兄だった。

「こんないい天気なのに真面目に仕事するなんて馬鹿げてるって」

「……お前、ここに何しに来てるんだ」

 このようなやりとりは日常茶飯事らしく、群青は諦め気味に朱色に背を向けた。自分の仕事に向かうのだろう。

「ん〜……ちょっとは働くかぁ」

 しかし朱色は立ち上がり、伸びをしながらそう言った。

 それが珍しいことらしく、群青がわずかに驚いたように振り向いた。

「どうした? お前がやる気を出すなんて」

 朱色は頭をかきながら、自分でもわからないとでも言うように明後日のほうを見ていた。

「なんとなく、客が来る気がしてね」

 店の入口にはまだ人影はない。

「そうか……じゃあ俺も本格的に準備しよう」

 だが彼女の勘は、こういう場合には頼りになるようで、群青も客が来る、ということを意識して動き出した。

 それから数分後、入口のベルがカランカラン、と音を鳴らした。

「すみませーん」

 静かだった店内に快活そうな声が響き渡る。

「ほらきた」

「そうだな」

 普段と変わらない、一人のお客様。しかしこのとき二人は何かを感じていた。

 まるで、これから何かが始まるような、そんな何かを。

 感傷に浸ってばかりもいられない。喫茶店に客が来たときにすることは一つだ。二人は小さく息を吸い、入口でたたずむお客様に声をかけた。

「「いらっしゃいませ!」」


『再会にはミルクティーを』

 これからの新生活に向けて、引っ越しも完了。ついに一人暮らしが始まるわけですよ。……自炊、マジで心配だ。青に部屋来てもらうしかないな、うん。

 というわけで、俺は今街を探索しながら今日晩飯を食うところをサーチしていた。初っ端から自分で飯を作るつもりなんて毛頭ないですよ。

 ……マックに吉牛、ファミレスと、まあ今日飯を食うところには困らない環境はある。よしよし。

 一安心したところで、改めて俺はこの辺を探検してみようと思っていた。ほら、新しい街って響き、ドキドキするじゃん?

 そうしてキョロキョロと辺りを見回す。なんとなく暖かい。やはり東京は地元より暖かいのか。

「おーい、バ赤ぁー!」

 慣れない四方の景色に少しぼんやりしていた俺の背中のほうからいきなりそんな声が聞こえた。この呼び方、そして、懐かしいのにどこか昨日も聞いていたような気がするこの声は、まさか——。

「あ、浅葱!?」

 振り返ってみると、忘れられやしない、印象的な中学時代の同級生の少女の姿があった。

「あ、やっぱ赤だった」

 くっきりとした大きな瞳、サラサラなショートヘア、そして人懐っこい笑顔が特徴の彼女はぱっとその表情になって俺のほうへ小走りで寄ってきた。

「浅葱、お前こんなとこで何してんだよ?」

「赤さぁ、久しぶりに会った相棒に対してそれはないんじゃない?」

 俺の言葉に不満げに文句を言ってくる。相棒、とはなかなか妙だ。

「わりぃわりぃ。つい、さ」

「昔のノリで、ってこと? 変わんないね、赤」

 浅葱は前見たときと同じような笑顔を俺に見せる。……変わってないのはそっちじゃねえか。

「ま、いっか。あたしさ——」

「あ、あたし!?」

 いや、浅葱は変わった。だってこいつの中学のときの一人称は……。

「仕方ないだろ、いつまでも俺、なんて言ってられないし」

 そう、俺、だったんだ。口調もその通りだし、男勝りな性格で男女関係なく人気のあるやつだった。

「中三まで俺、だったくせに何言ってんだよ」

「いいだろもう。今はあたし、なの」

「ふーん……」

 心境の変化ってやつだろう。時の流れとは恐ろしいもんだ。

「でさ、あたし、この辺に一人暮らしすることになったんだ。四月からは〇〇大生!」

「えっ!? 俺もだぜ?」

「え、嘘?」

「ってことはまた同じとこ通うのか」

 なんだか不思議だ。近くにいるのが当たり前だったやつが一度いなくなって、また一緒になるなんて。

「うぇ〜またバ赤と一緒かぁ〜」

「失礼な、天下のナイスガイ赤くんと一緒だというのに」

「そっちこそ、世紀の美少女浅葱ちゃんといられるんだから泣いて喜べよ」

 数秒の間。そして俺達は同時に吹き出した。

「はははは! 何が世紀の美少女だよ!」

「あははは……て、天下のナイスガイのほうが強烈だって……あはは、お、お腹痛い」

 お互い思ってもいないことでの冗談の言い合い。これも中学以来だ。

「赤、せっかくだしもっと話そ? あたし、この辺でイイカンジの喫茶店見つけたんだ」

「いいじゃん、行こう行こう」

 浅葱の提案にホイホイとつられ、俺達はその喫茶店へと向かった。

 

 『PALLET』という名前の喫茶店に入るとカランカランと入り口のベルが鳴った。そして俺の耳には聞いたことがあるようなないような英語の曲が聞こえてきた。

「いらっしゃいませ。あ、浅葱か」

 中にいたウエイターらしき男の人が声をかけてきた。どうやら浅葱は店の人に顔を覚えられてるらしい。

「群青さん、今日はカーペンターズなんですね」

 浅葱は明るく挨拶する。そういえばこいつはそういうのが好きなんだよな、意外に。

「青春の輝き、ってかぁ? 浅葱、そいつ、お前のオトコ?」

「こいつが? 朱色さん、冗談はやめてくださいよ。こんなバカ、ごめんです」

「おいこら」

 酷い言われようだ。ま、慣れてるけど。……あれ、慣れてちゃまずくね?

「ふーん、どうでもいいけど。ま、テキトーに座ってなんか頼め。飲み物だけだとあたしが働かなくていいから助かる」

 ……この従業員、こんなんでいいのかよ。

「赤、とりあえず座ろ」

「おう」

 なんというか、確かにイイカンジの店だ。流れてる曲のまったりさとテーブルや椅子のセンスが合ってる……気がする。流行りのお洒落な店という感じじゃないが、粋ってこういうことなのかもしれない。

「群青さん、ミルクティー二つとハムサンド」

「わかった」

「ちっ……」

 席につくなりさらさらと浅葱が注文を済ませた。……俺の意見は?

「大丈夫、美味しいから」

 や、そういうことじゃなくて。

 とは思ったが、そういえばこういうやつだったと思い出し、仕方ないと諦めた。たぶん浅葱の言うことだから間違いはないし。

「赤さ、インハイ準優勝だもんね。すごい」

 群青さんと朱色さん、と呼ばれた二人が俺達の注文を受け働いているのをちらりと見ながら浅葱は自然と言った。

「まああんときは調子もよかったし」

 思い出してみればよくあんなに走れたと思う。あの走りは人生で最高の走りだった

「すごいよ。高校で頑張ったんだ」

 浅葱は俺をまっすぐ見る。

「まぁね。浅葱は? 高校どうだった?」

「地方大会は出たりしたけど……結局インハイには行けなかったよ」

 浅葱は高跳びの選手だった。彼女の跳ぶときのフォームは綺麗で、とても印象的だった。

「せめて赤と同じ地方なら地方大会で会えたのに」

 浅葱は父親の転勤で、卒業式まで俺と一緒の中学でいられたが高校はとても遠いところへ行ってしまった。

「ま、でもこうしてまた会えたんだし」

 こいつがいた中学の陸上は楽しかった。だから高校で一緒にやれなくてがっかりしていたところもホントはあった。

 また、こいつと一緒に楽しく陸上ができるかもしれない。その期待は俺をワクワクさせた。

「そうだな。……また、よろしく、赤」

 浅葱はすっと手を出した。浅葱らしい笑顔を浮かべて。

「ああ。よろしく」

 俺達は握手して……

「……ッ……かっ……」

「このぉ……っ……」

 握力比べになった。

「くっそ! 痛たっい! バ赤のくせに握力まで上がりやがって!」

「やーい」

 やっぱり、変わらない。こいつとのこの感じがとても心地いい。

「何やってるんだ……ほら、ミルクティーだ」

 そんな俺らを諌めるようにしながら群青さんがミルクティーを持ってきた。仕方ない、今度はこれを飲みながら、静かに思い出話でもしましょうか。


『そのことがなによりも』

 大学の春の部活勧誘はどの部でも必死であり、部の雰囲気や実績、あるいは新歓コンパで新入生を誘う上級生たちの声がそこかしこから聞こえてくる。

 しかし、推薦で大学に入った、つまり陸上をしに来た赤や陸上部以外に興味がない浅葱などはすでに陸上部の練習に参加していた。

 そして練習量の違いや先輩のレベルの高さに触れ、また全力での運動に重度の、しかしスポーツ特有の爽快感を含む疲れを味わいながら、陸上場の端のほうで転がっていた。

「きっつー……」

「これは……かなりクルね……」

 空には無責任にぷかぷかと雲が浮かんでいた。それはそれは気持ちよさそうに。

「……っはは」

「あははは」

 疲労を訴え、倒れているが、二人は知っているのだ。

「中坊のときみてえ」

「あたしもそう思った」

 この景色もまた、彼らが大好きな陸上の一つであることを。

 どこまでも速く、高く、遠くを目指す彼らをこの青空が見守り、歓迎してくれることを二人で感じているのだ。

「終わったらどっかいこ」

「りょーかい」

 もう少し、この空の下で頑張ろう。それを求めて、ここに来たんだ。

「なんかさー、ずっと赤といた気がする」

「俺も。三年会ってなかったとは思えねえ」

 へとへとの足を引き摺りながら、ゆっくりと歩く。この速度も、二人の間に流れる空気もかつての彼らそのものだった。

「中学のときさ、かなり一緒にいたじゃん」

「おー」

 特に気取らない、だからこそお互いが一番らしくいられた時間だった。

「つき合ってることになってたらしいよ」

「俺らが?」

「そうなんだって」

 それを思春期の同級生たちは甘ったるいものに仕立て上げようとしていた。

「ありえねえ」

「ホントだよ」

 いや、むしろ——

「ところでさ、赤、赤さ、中学のときあたしに言ったことで覚えてることある?」

「は? ……だって色々、それこそかなり一緒にいたんだから全部は覚えてねえよ」

「そっか。じゃあいい。たいしたことじゃないし」

「なんだよそれ」

「いいからいいから。PALLETいこ」

 そんなもので揺るがない、大切なものだったんだ。


『聞こえなかったその言葉』

 GW。大学生活初の大型休暇に地元に帰ったり、友達と遊び呆けるやつも多いであろうこの期間に、俺は見事に走って走って走りまくる合宿に参加していた。

 まあ、合宿自体は別に嫌じゃない。走るのは好きだし。ぽかぽかして、気持ちいい季節だし。たださあ……

「おい、赤! 飲んでるかあ!?」

 合宿恒例、夜の飲み会。一年が未成年だろうが、その場に顧問がいようが関係なく行われる毎晩の行事。俺は毎晩両隣りにたくましい男の先輩に迎えての、それはそれは楽しい宴会に参加させられている。

 ああ、俺だってこのGW、青といちゃいちゃらぶらぶしてえよ……どうせ飲むなら青にお酌してもらいてえよ……。

「赤、お前カノジョはいんのか!?」

 たくましい右隣の先輩が大きな声でそんなことを聞く。すでに顔が赤い。あまり酒に強くないんだろう。

「いますよ〜めっちゃ可愛い自慢のカノジョが!」

 そういう俺ももうテンションは高め。俺も酒豪と呼ばれるタイプではないことが最近わかった。ちょっと弱いくらいだと思う。たぶん。おそらく。……べ、別に弱いわけじゃないんだからね!!

「なあにぃ〜この野郎〜」

 酒臭い息を吹っかけながら、ハンマー投げで鍛えた腕を俺の肩に乗せてくる。……ああ、青ぉ〜……。

「一年にだって女の一人や二人、いたって不思議じゃねえだろ。そんなに僻むなって」

 今度は左隣り、短距離の先輩が俺を助けてくれた。こっちの先輩はむしろ遊び慣れているような、やや軽い印象を受ける人だ。

「お前はまた別格だろうが。今は二人だっけ?」

「ん〜、今は三人?」

「この野郎〜愛を知れ愛を!」

「いやいや、考えてみろよ。複数大切な人がいて、その人たちをみんな愛することがいけないことか?」

「お前はただヤりたいだけだろうが」

「あ、わかる〜?」

 そんなくだらないやりとりを尻目に、俺はこっそりトイレに行くふりをして席を立った。

 青を思い出したら、電話したくなったんだ。彼女は今は地元にいるはずだ。

 

 会話終了。何で電話してるとすぐ時間が経つんだろう。気づけば通話時間は二十分を超えていた。

 青もちょっと恥ずかしがっていたけど、喜んでいたと思う。青の声が聞けてよかった。これで今日の飲みも、明日の練習も頑張れるってもんだ。

「電話?」

 ちょうどトイレから浅葱が出てきた。彼女も男の先輩に絡まれていたらしく、やや疲れた表情を浮かべている。

「ああ。ちょっとな」

「カノジョ、とか?」

「あったり〜♪」

 青と話して浮かれ気分になったまま、軽い感じでそう答えた。

「……ふーん。羨ましい」

「お前はいないのかよ。カレシとか」

「いないよ。あいにく、高跳びが昔っからの恋人でさ」

「じゃあ俺は二股中だ」

「あたしも二股かけたいなあ」

 楽しい掛け合いが続く。できるなら先輩とより、浅葱と一緒に喋っていたいもんだ。

「戻んの、たるいなあ」

「赤はけっこう飲まされてる?」

「断りきれねえしなあ。飲むしかないっしょ」

「ふりでいいんだよ。無理しないほうがいいって。弱いんでしょ、お酒?」

「よ、弱くねえし」

「弱い。昨日も潰れてたじゃん」

 うう、見られてたか。正直、昨日はリバースしました。今日よく走れたね俺。自分で自分を褒めたい。

「……でも赤、ふりとか苦手だもんね。変なところで頑固でさ」

「だ、だろ? だから俺は飲むしかないんだって!」

 でも今日はリバースはやだなあ。

「……じゃあ、気をつけて飲みなよ? 急性アルコール中毒とかで死んだら馬鹿みたいだし」

「おう!」

 そう言って、俺らはまた戦場へと歩を進めた。先輩たちもかなり出来上がりつつあった。

 

「あさぎ〜おつかれ〜」

 飲み会も終わった。部屋に戻る途中、俺はトイレに寄った。近くにあったはずなのに見当たらなくて、ラウンジの近くまで来てしまった。べつに酔ってなんかないからね〜。

「完っ全に酔ってんじゃん……」

 ラウンジの椅子に座っていた浅葱を見つけて、声をかけたらそんなことを言われた。

「なあにいってんだよう、こんなしらふな赤クンをつかまえて〜」

「今のあんたが素面なら、この世から酔っ払いって人々はいなくなるよ」

「あはははは。あさぎはなにしてたんだ〜?」

 さっきの宴会場からも部屋があるあたりとも違うラウンジにいるのは何でだろう?

「酔いざまし、ってほどは酔ってないつもりなんだけど……外を見たくなったから。ま、座りなよ」

 浅葱はひょいひょいと手招きした。半ば夢心地の俺は誘われるままに浅葱の向かいの椅子に腰かける。

「赤はホントにお酒弱いねえ」

「よわくね〜しっ!」

「そんな呂律が回ってない人に言われても説得力ないってば」

 うーん、確かに上手く喋れてない気もするし、少しどころじゃなく眠いけど、まだまだ酔ってないって!

「……あたしたちもさ、お酒飲まされるような歳になったんだね。ついこないだまで中学生だったのに」

「ぶかつのかえりにだがしやよったりな」

「赤が毎回コーラ飲みたがったんだよね。陸上選手のくせにさ」

「ちゅうさんからはやめただろ〜?」

「あたしが注意したからね」

「……こうこうではずっとのんでねえぞ」

 そうだ、高校生になってからも炭酸やスナックは陸上選手の体にはよくないっていう浅葱の言葉通りに自分を制限していたんだった。あれも浅葱に言われたことだったんだなあ。

「へえ、偉いじゃん」

「だろ〜?」

 陽気な声とは裏腹に、睡魔がガンガン襲ってくるのを感じた。明日の練習大丈夫かよ。

「……でもやっぱり、変わったんだよね。赤はインターハイで活躍しちゃうし」

「いやあ」

「なんかたくましくなったし、カノジョなんか作っちゃうし」

 ちょっとだけ、違和感を感じた。浅葱の口調には、ふざけたような感じはあまりなくて、しんみりと俺らの変化を口にしているようだった。

「あぁ……」

 そんなことを頭では考えているのに、視界が少しずつぼやけてくる。意識が朦朧としている感じだ。

「あたしさ、ずっとあんたと一緒にいれる気がしてたんだよ。なんとなく、何の根拠もないんだけどさ」

 この浅葱の話は聞いてやりたい。聞いてやんなきゃだめだ。

 しかしそう感じている頭に体がついていかない。口が開かず、相槌だけを打った、気がした。

「聞こえてる? 寝ちゃっ……かな? けっこ……ったもんね」

 聞こえてるよ、と言いたかった。でも、だんだん浅葱が何を言っているかも曖昧になってきた。

「いま……けにす……よ。か……んにも……し。……ら……して。あ……きだよ」

 浅いまどろみの中、俺は夢を見た。俺の隣に誰かがいて、そいつと、どこまでも一緒に歩いて行く夢を。


『強がり』

 強がりなんて、何の意味もないの。だって……

「えー! 白って遠恋中なのー?」

「まあね」

「さみしくない?」

 友達は私が遠距離恋愛をしていると知ると、みんなこう聞きます。

「さみしいけど……大丈夫だよ」

「すごー、私なら無理だなー」

 私だって、全然平気じゃありません。でも、弱音ばっかり吐いてても仕方ないもんね……。

「よく、電話もしてくれるし」

 嘘です。ホントは毎日でも、一秒でも長く話していたいんです。

「メールもくれるし」

 文字なんかじゃなく、本物の黒に会いたいです。

「だから、大丈夫だよ」

 友達にというよりも、自分のために、その言葉を繰り返しました。

 大丈夫、私はもっと、頑張れるはず……

 ♪〜〜 ♪〜〜

「え!? く、黒くん!?!」

『よ。特に何もないか?』

「大丈夫だけど……どうして?」

『なんとなくな、声が聞きたくなったんだ』

「あ……わ、私も……ちょうど……」

 聞くだけで安心する、黒くんの声。それを聞けたことも嬉しい。でも、それよりも嬉しいことがありました。

「なるほど。確かに大丈夫だね、あんたは」

 ニヤニヤして見守る友達には、ごまかすように違う違うと手を振りましたが、私が一番そう思っていました。

 私が強がって、自分をごまかすその前に、あなたはいつでも安心をくれる。

 だから、私には強がりなんて何の意味もないんです。


『飛びたい理由』

「うおっ、すげっ!」

 休憩しながら、あたしの跳躍を見ていた赤がそんな声をあげた。

「どんなもんだい!」

 あたしも赤に向けてピースなんかしてみる。自分としてもまずまずいい感じに跳べた。

「やっぱすげえな、浅葱。けっこうこれ高くね?」

 あたしの背とほとんど同じの高さにある、たった今あたしが越えたそれを見て赤が感心したように呟く。

「大学入ってから調子いいんだよね」

 知ってる? これくらい跳べればさ、インハイ出れたんだよ?

「へー、いいじゃん」

 自分でも驚くくらいの絶好調。理由なんて、一つしかないと思う。

「まだまだ。もっと高く跳ぶんだから」

 君はもう忘れちゃったんだろう。それでもあたしは、君の言葉のおかげで、空を飛びたいと思い続けられるんだ。

 

 中学二年、秋。

 運動をすれば、十分すぎるほど暑くなる晴れた日。練習が終わり、あたしは赤とぐだぐだと話をしていた。

「俺さ、短距離に転向しようかな」

「は? なんでよ?」

 前々から考えていたことをコイツにぽつりと漏らしてみた。当然のように、理由を聞かれた。

「高跳び、飽きたかも」

 嘘だった。あたしは小さい頃からかけっこが早くて、運動会ではリレーの選手だったりして、そりゃあみんなから応援されてた。

 思い返せば、子供の、安っぽい自尊心というかプライドだったんだ。

 しかし、中学の陸上部では高跳びのほうに才能を見いだされ、ってこの言い方もなんか偉そうだけど、とにかく単純なかけっこから、より高く跳ぶことを目指す競技を始めた。

 高跳びは面白かった。自分が一瞬、空を飛ぶようなあの感覚、目標を飛び越えて、マットに体を沈めたときの充実感。あたしが高跳びにのめり込むのには、それらは十分に魅力的だった。

 でも、高跳びには欠点があった。こう言っちゃ悪いが……地味なのだ。

 陸上の花形は短距離、多くの人に声援をもらえるのは長距離。トラックで行われる、速さを競う選手たちにほとんどの人の応援は注がれ、高跳びや幅跳びはややひっそりと行われる。

 集中を高めるにはいいんだろうし、余計なプレッシャーもかからない。けれどあたしは、ガキ臭い自尊心やプライドを抱え込んでいたあたしは、どうしてもたくさんの人から応援される、花形に憧れていた。実際、短距離に転向してもそこそこの記録は残せる自信があったし。

「やれよ、もったいない」

「だって赤は——」

 トラック競技の人間じゃないか、と言いかけてやめた。コイツが本職としている種目は800メートル。一番過酷で、そのくせ100や200の二の次みたいな扱いをさせる競技だったからだ。

「俺さー、浅葱の跳んでっとこ見ると感動すんだよな。なんかキレーでさ」

 赤は能天気にそんなことを言う。跳び方が綺麗だと言われると、素直に嬉しい。

「でもさ、飛んでるの、俺一人じゃん」

 女子で高跳びをしているのはあたし一人だったが、あたしが言ったのはそういうことじゃなかった。

 誰かに応援されて、誰かを目標にして必死に走って。ずっと目立つところにいたあたしにとって、快感を感じられる空は、同時に、孤独だった。

「俺だって飛んでるし」

「は?」

 いきなりバ赤がまたバカを言いだした・

「翔るっていうだろ、飛翔の翔でさ」

「……まあね」

 そんな漢字を知っていたことにややびっくりする。

「だからよ、俺は毎日800を翔け抜けてるわけよ! だから飛んでる」

「駆け抜けるの字は、馬へんに区役所の区だって。翔じゃないし」

 赤の突飛な発想には驚かされたけど、ここはノリ重視で笑い話にする。

「うっ……いいじゃん、そんな細かいとこわよ」

「知りもしないくせに漢字の話なんかすっからだ」

 このまま、いつもの冗談の言い合いになると思った。けれど、赤はいきなり、真面目な顔をしてあたしのほうを向いたんだ。

「とにかくさ、やれよ、高跳び。俺も、一緒に飛ぶから。一緒に飛ぼうぜ」

 言ってることはさっきと変わらなかった。赤の種目じゃ飛べないでしょってもう一度笑ってやることもできた。それでも——この言葉は、本気にしたいって思えた。

 あたしが飛ぶ空は、一人じゃない。

 あたしは飛んで、あいつは翔る。結局何の解決にもなっていないけれど、あいつが見ててくれるなら、あたしはどこまでも飛びたいって、そう思った。

 Are you ready to fly?

 あたしがあの日以来、おまじないのように、跳ぶ前に呟く言葉。うん、あたしは飛べるよって、そう思えるから。……君と一緒に。

 

「やっぱさ、浅葱の跳躍、キレーだな」

「ありがとね」

 だってさ、一生懸命に翔けてる君が目の前にいるじゃん。

 だから、あたしはもっと高く飛ぶよ。Are you ready to fly?って呟きながらね。


『橙、優しい変人と出会う』

 今日、俺の部屋に黄色が来ることになっている。前から約束してたことだ。俺も、きっと黄色も楽しみにしてた。

 だがしかし、昨日の俺は、何も考えず、友達に誘われるまま飲み会に行っちまった。もちろん寝ておりません。

 んでもって、明日提出のレポートの存在をさっき思い出すというこの醜態。……いや、いける。約束の時間まではまだ時間がある。学校の図書館でレポートを速攻で書き上げ、全力で帰れば十分間に合う。

 そんな算段をたて、俺は黙々とレポートとの格闘をしていたわけだ。

 ……そのはずだったが。

「起きろ、少年。図書館は寝るところじゃあないぞ」

 聞き覚えのない声で俺は眼を覚ました。……寝てたのか? じ、時間は!?

「もう九時になるぞ。寝るなら帰ってからにしたらどうだ?」

「く、九時!?」

 なんてこった! 約束の時間は八時。……やべえ、絶対アイツ怒ってるよ。つか、一時間待たせるとかサイテーすぎんだろ……。

「あ、黄色!? マジごめん! まだ学校なんだ! 速攻でそっち行くから待ってて!!」

 とりあえず電話。さっきまでに三回着信があったことにも気づき、さらに反省。ちっくしょー……。

「……恋人との待ち合わせか?」

 俺を起こした男の人が、真剣な顔で尋ねてきた。

「そうっす。急ぎなんで、失礼します。ご迷惑おかけしました!!」

 俺としてはここから全速力で家に向かうことしか頭になく、だいぶテキトーな感じになってしまった。んなこと気にしてられっか。

「待て。恋人の元へと急ぐ少年へは援助があってしかるべきだ。私のバイクに乗せてやろう」

「……は?」

 

「君は何年だね!!」

「一年っす!!」

「そうか!! 若いな!! 私は研究生をしている!!」

「なんすか!? 聞こえないっす!!」

「私は研究生だ!!」

「何歳っすか!?」

「二十五だ!! 今年で二十六になる!!」

「なんで俺を乗せてくれるんすか!?!」

「聞こえん!! なんだ!!!」

「なんで助けてくれるんすか!?」

「言っただろう!! 私は恋する若者の味方だ!!!」

 焦茶、と名乗った大学の研究生さんにバイクに乗せられつつ大声で会話をする。聞き取りづらいったらない。

「行先はどの辺だ!?」

「あと二つ先の信号で右です!!」

「二つ先で右だな!!」

 恋する若者の味方、と言われても初対面の俺からしてみれば変な人としか思えない。だけど、めちゃくちゃ助かっているのは事実で、俺は今、ものすごく感謝していた。

「そこのコンビニでいいです!!」

「わかった!!」

 焦茶さんの運転はものすごく速く、あっという間についてしまった。

「ありがとうございます!」

「ふむ……君はこの辺りに住んでいるのか。PALLETに近いな」

「なんすか、それ?」

「私がよく行く喫茶店だ。働いている奴と仲がよくてね。今度君も行ってみるといい。……っと、こんなことを話している場合ではないだろう。橙君!至急彼女のもとへ行きなさい」

「は、はい!」

 そうだ、焦茶さんのおかげでだいぶ早く来れたとはいえ、黄色を待たせているのには変わらない。俺はもう一度焦茶さんにお礼を言って、全速力で駆けだした。

 ……PALLETか、今度黄色と一緒に行ってみよう。

「走れ若人! 青春を大切にな!!」

 後ろから焦茶さんの声が聞こえた。……やっぱ変な人だ。


『シフクノオト』

 ぽつん、ぽつん。

 休日、デートの約束。二人のその予定は、降り出した雨のせいで変更となった。

「あーもう。今日は買いたいものがあったのにー」

「まあしょうがねえだろ」

 そんなことを言いながら、黄色の部屋でぐだぐだする二人。だが結局二人で過ごせることに変わりはないので、お互い満更でもなかったりする。

 ぽつん、ぽつん。

 外から感じる雨音が、なんだかのんびりとした気分にさせる。

「雨だねえ」

「でもこれが止んだらまた暑くなるんじゃね?」

「そっかあ……夏、だね」

 雨は雨で憂鬱だが、晴れたところで今度は猛暑が襲ってくる。暑い夏はもうすぐそこだ。

「ね、橙、花火見に行こうね!」

「ああ」

「あ、海も行きたいな。うーん……みんなで行ければ最高だなあ」

「都合あうといいな」

「さすがに最近会えないもんね」

 高校時代、特に三年生になってからはことあるごとに、何はなくとも一緒にいた六人だった。それが離れ離れになったのだから、いくら卒業だ、進学だとわかったような顔をしていても寂しさはつい感じてしまうものだろう。

「あ、そうだ、アルバムあるよ。見る?」

「お前、こっち持ってきてたんだ」

「いやー、ついね。卒アルも持ってきてるよ」

「おお、見る見る」

 思い出はやはり魅力的で、アルバムや文集を見ているとその時の感情まで蘇ってくる感覚に陥る。

 橙と黄色もその例に漏れず、アルバムに夢中になっていた。

「あのさー……」

「うーん?」

 橙がアルバム、黄色が文集を見ていたとき、橙がアルバムに目を落したまま黄色に声を掛けた。

「……やっぱ、結構冷やかされてんな、俺ら」

「……何をいまさら」

 卒業アルバム恒例の、最後の余白ページへの書き込み。

 黄色のアルバムのそれは、半分以上が橙関連のことで占められていた。

 橙くんとお幸せに、式には呼べ、あんたらが付き合うのは予想通りだったetc……。

「ていうかさ、ぶっちゃけ高校のだけじゃないじゃん。中学の頃のアルバムにも同じようなこと書いてあるし……」

「冷やかされてたのは小学からだしな……」

 やれ付き合ってる、やれ夫婦だと、お互い散々バカにされたものだった。

 とはいえ、結果としてそうなってしまっているのだから文句の言い様もまるでないのだが。

「何年の付き合いなんだろうな」

「親同士が仲良かったわけだしね。マジで生まれた頃から一緒って感じだよね」

 気づけば、隣にはいつもお互いがいて。

「クラスが違かったときも一回くらいしかなかったよな」

「席が隣とか前後になるときも異常に多かったよな」

 そばにいることが当たり前だった。

「あたし、橙のことならほとんど知ってる自信あるんだけど。好きなものとか、癖とか性格とか」

「そんなん俺もだっつーの」

 積み重ねた時間を誇るなんて、カッコ悪いことはしたくないけれど、でも、絶対、自分が相手のことを一番理解していると思えるから。

「……」

「……」

「好きなものは断然カレー! 甘いものも大好きだから、特技はお菓子作り!」

「炭酸大好きで一番はコーラ! 好きな食べ物は意外に可愛らしくてオムライス! それをあたしも喜ぶとか言って作ってきちゃう! 趣味は音楽鑑賞。カラオケとかギターを弾くのも好きで暇があればいじってる!」

「嗜好が結構子供っぽい! 服は中二あたりから気をつけ始めたが、ぬいぐるみや小物系・パジャマなどの地味なとこは全然子供っぽさが残ってる! おまけについこないだまで動物のバックプリントの下着まで持ってた!」

「クールぶってるくせに仲間外れは嫌い! しかも何気に超お人よし! ったく……とは言いながらちゃっかり親切! 肝心なとこでへたれ! 照れると目線は右斜め上に行くし、そういう時に相手に何かを言おうとすると親指で中指をこする!」

「……」

「……」

「……馬鹿だなー俺ら」

「どんだけお互い見てきたんだって感じだよね」

 微かに笑って、見つめあう。

 語り合える思い出なんていくらでもある。でも、今はそれよりも、目の前にいる相手を見つめることが大切だと思える。

 だって、思い出はそうしていかなければ増えないのだから。

「……ね、橙、あたしといること、飽きたこと、ある?」

「まさか。一度もねえよ。……黄色は?」

「あたしも。一秒だって橙といること、飽きたことなんてない。……だから、これからも……よろしくね?」

「こっちこそ」

 ゆっくりと、お互いを移す瞳が近づいていく。

 ……ぽつん、ぽつん。

 外で聞こえる小さな雨音は穏やかで、どことなく、幸せだった。




『Parsley, sage, rosemary and thyme』

 夏の攻撃的な日差しもだんだんと和らいで、日光も秋の薫りを含み始める。

 今日もいい天気だ、と群青は思いつつ、誰もいない店内を確認すると、少し気を抜いたように一つ息をついた。静かな店内にサイモン&ガーファンクルが心地よく流れている。

 からんからん……と入口のベルが鳴り、ゆっくりと視線をそちらに向けると、客はよく見知った少女で群青は柔らかく微笑んだ。

「こんにちは。今日は朱色さんはいないんですか?」

「焦茶とデート中だよ。夕方には帰ってくるとは思うが」

 なかなか休みの取れない(論文を書くため自ら休みを返上している節もあるが)高校からの親友と妹のために今日は朱色を半ば無理やり休ませたらしい。調理担当が不在で店の奥は少し寂しい感じがする。

「なんだかんだでホント仲いいですよね、あの二人」

 浅葱はいつも仲良くじゃれあっている焦茶と朱色を思い浮かべているのか、うらやましいなあ、などと呟いた。

「あの二人は高校の時からあんな感じだからな。きっとこれからも変わらないだろうな」

「いいなあ〜」

 あたしも青春したいですよ、と退屈そうに群青に愚痴を零す。

「浅葱は大学生だろう。いくらでも出会いならありそうなもんだが」

「いやいや、陸上に燃えちゃってるとなかなか出会いもないですよ」

 今日だって朝から高跳びしてきたんですから、と始まり、いかに周りと比べて出会いが少ないかをやや針小棒大に言い、群青はそれに付き合うように相槌を打った。

「赤の奴はまだこっちに来てないのか」

「彼女と仲良くやっててこっちにくるのが面倒になってるんじゃないですかね。もうすぐ帰ってくるらしいですけど。まったく、あの野郎サボりやがって」

 赤は赤なりに一応毎日走り込んではいるのだが、やはり部での練習と比べると質は落ちるだろう。さっさと戻って来いってんだ、とは浅葱と部顧問の談である。

「それは寂しいな」

 何かと騒がしい常連を思い、やたら静かな今日の店内を一層感じた。

「……そうですね」

 僅かに群青のほうを伺いながらも素直に同調する。

「コーヒーを淹れよう。待っててくれ。あ、BGMに希望はあるか?」

「あ、いえ、このままでいいです。ありがとうございます」

 暖かな午後の空気のなか、コーヒーの香りのスカボローフェアの音だけがPALLETを包んでいた。

 

「浅葱、コーヒーが入ったぞ……っと」

 焦茶や浅葱が絶賛する群青特製のコーヒーを唯一の客席に運んだが、待っていた浅葱は部活の疲れもあるのか、こっくりこっくりと船を漕いでいた。

「……」

 コーヒーが冷めてしまうのも躊躇われたが、わざわざ起こすまでもないかと群青は少し考えてから、起きた頃に淹れなおしてやろうと彼女の分のコーヒーを片づけた。

 自分の分を飲みながら、また暇になってしまった時間をどうしようかと考えていると、小さな寝言が一人しかいない客から聞こえてきた。

「……あか……ぁ……」

 群青はそちらに目線を向けつつも、とりあえずもう一口コーヒーカップに口を付けた。

「……まったく」

 問題は出会いがないことではないだろうと、先ほどの浅葱の愚痴に対して心の中で一人ごちた。


『スカボローフェア』

 いつからだろう、こんな「くだらない」感情を持ってしまったのは。

 中学時代、「飛び方」を覚えたあたしにとって陸上はかけがえのないもので、部活をしていた時間は本当に充実していた。

 あたしは最後の大会に出るころには少しの迷いなく高跳びが大好きだと言えるようになっていた。……これはもちろん、あいつのお陰だった。

 父親の転勤で赤と同じ高校に行けなくなったのは確かに残念だったけど、それほどショックではなかった。同性の、仲のいい友人とだって離れることになるのだし、それとあまり変わらない、ぐらいに思っていた。

 実際、引っ越すことを赤に言った時だって、

「マジか。残念だなー」

「寂しーか?」

「まあな」

「オレも」

「でもあっちでも陸上やるんだろ?」

「ああ。ぴょんぴょん跳んでる」

「じゃあ、また会えっかもしれねえし」

「そうだな」

「それに、『一緒に飛べる』だろ」

「うん」

「……じゃあな」

「うん。じゃあな」

 ……というように、あたしたちらしく別れの言葉を言い合えた。

 あたしと赤は「中学時代の大切な相棒」という実に美しい関係性で終わるはずだった。

 高校デビューだし、親もうるさいし、一人称ぐらい変えてやろう。口調も少し、女の子っぽくしてみよう。男の子みたいだった髪型も、ショートカットと呼ばれるくらいまで伸ばしてみよう。跳ぶときだって、「魔法の言葉」にもう頼らないようにしよう。



 引っ越した先で、あたしは高校に入るんだから。せっかく新しい環境なんだからと自分を少し変えていこうとしていた。

 ——それらを始めた、本当の理由は全く違うものだったけど。

 思い出してしまうのだ。赤に話しかけた一人称が、口調が、一緒にいた自分の姿が楽しかった、中学時代を思い出させてしまうんだ。そして、その隣にいた、大切な相棒のことも。

 だから、変えたかった。

 全く新しい自分になれば、あいつに頼らなくて済むはずだって。

 それに、一人称や口調を変えようとすれば、意識がそこに集中する。あいつのことを考える時間が減るはずだ。そう自分に言い聞かせて、中学時代を押しつぶすための自分改革をあたしは続けた。……あんなに大切だった中学時代を必死に、潰し続けたんだ。

 なんでこんなに自分が苦しんでいるのか、わからなかった。別に赤を思い出したっていいじゃないかって思った。思い出に浸るくらい悪くないはずだって。

 ……でも、思い出すと、嫌になってしまうんだ。隣に、赤がいないことが。いてほしい、って、また一緒にいたいって思ってしまうから。

 少しずつ気付いて、より一層嫌になった。あたしは「中学時代の大切な相棒」が本当に本当に大切だったから。

 「この想い」は「中学時代の大切な相棒」を同級生たちが冷やかすような、世間がよってたかってもてはやすような、ありふれた陳腐なものにしてしまうと思ったから。

 だから、必死に押し潰した。

 ……それでも、わかってしまったんだ。

 だって意識しなくても出るようになった自然な女の子っぽい口調や、様になってきたショートカットの自分を鏡で見たときに思ってしまったんだ。

 ——『今の自分を赤が見たら、女の子として見てくれるだろうか』って。

 自覚してしまった。あたしは、赤が好きだったんだと。本当は「相棒」じゃなくて「恋人」になりたかったんだと。

 その夜は一晩中泣いた。自ら大切な関係を「ただの片思い」にしてしまった自分の愚かさと、初めての恋心……しかも気付くのが徹底的に遅すぎた感情のどちらで自分が今泣いているのかわからなくなりながら、あたしは枕を濡らし続けた。

 あたしは、どうしようもないくらい情けない、ただの女の子だった。

 結局、「魔法の言葉」に頼り続け、インターハイで赤に会えることだけを考えて努力をし続けた。

 なのにさ、赤は違うんだよね。

 ちゃんとあたしを「中学時代の大切な相棒」として大事にして、すごい選手になったんだもん。ずっと自分で飛び続けてたんだよね。

 支えてくれる人だってちゃんと見つけて、羽ばたいてる。

 言えるわけない。あたしがあんたにこんな「くだらない」感情を持ってることなんて。

 わかってる。わかってるんだ。……ねえ、それなのに。

 ——なんであたしはまだあんたの隣にいたいって思ってしまうんだろう。



「……んぅ……?」

 ……寝てしまったんだろうか。そうだ、群青さんがコーヒーをいれてくれるって……。

「おはよう」

「……あ、おはようごさいます……?」

 群青さん特製コーヒーがあたしの脇でホコホコと湯気を立てていた。

「あ、あたし……」

「一時間くらいだな」

 ずいぶんしっかり寝てしまったらしい。目を擦ろうと手をやるとあることに気がついた。

「えっ……?」

 頬が濡れていた。ってことはあたし、今泣いてたの?

 しかも、群青さんに見られた?

「……」

「……何も、聞かないんですね」

「詮索することじゃない。……もし何かがあるのなら、浅葱が言いたいときに言ってくれればいい。その時はいくらでも聞くさ」

 群青さんは、優しい。

 その優しさに感謝しながらも、さっき見た夢を引きずっている自分がやっぱり情けなかった。情けない自分と捨て切れない想いがあたしを沈み込ませる。

 あたしが眠ってしまう前に流れていたスカボローフェア。終わってしまった恋に不可能な祈りを捧げるあの歌詞と同じようにあたしの気持ちは無意味な想いなんだってわかってる。

 それでも、祈ってしまうんだ。赤と一緒にいられる些細な時間や共に飛べるあの瞬間を。

 おいしいはずの、群青さんのコーヒーも今日だけはとても苦かった。

 ……ああ、あいつ早く帰ってこないかな。


『書きかけの手紙』

赤へ。

元気だった?

あたしは相変わらず元気だよ。こっちの高校でもぴょんぴょん高跳びしてる。

あ、驚いたかもしれないけど、あたし、「オレ」っていうのやめたんだ。

あたしも青春真っ盛りの女の子だからね。自分で言うのも何だけど、けっこう女の子っぽくなったと思うよ(笑)

髪も少し伸ばしてるんだ。絶対今のあたしを見たら赤はびっくりすると思うな。

赤はどう? いろいろ変わった?

まあ、あんたはバカだから全然成長はしてないと思うけど。

タイムくらいは伸びたでしょ?赤のことだから一生懸命練習してると思うし。

赤だったらもう地方大会狙えるくらい速かったりするのかな?

インターハイにお互い出られたらまた会えるね。そのためにはもっともっと練習しないといけないけど……。

なんだかこっちにはあんたみたいなうるさい奴がいないせいか、少し拍子抜けしてる。

なんだかんだでずっと赤と一緒にいたせいかな?あんたのうるささに慣れちゃったみたい(笑)

また、会いたいなあ。

「……違う」

 あたしはこんなことを書きたいんじゃない。こんな恋する女の子が彼氏に送るような手紙を赤に送りたいわけじゃないはずなんだ。

 ……それなのに、手が動いてしまう。何度書き直しても、こんな言葉を、「また会いたい」や「また話したい」と綴ってしまう。

連絡が欲しくて、携帯のアドレスと番号を書こうとしたこともある。

 情けない。この想いを自覚すればするほど「会いたい」や「話したい」は溢れてくるけど、それでもあたしは、「最高の相棒」を捨て切れない。

 友達以上で、親友よりも上で、そのくせ恋よりもずっとずっと続けていける相棒にすがりたい。この想いを「恋」なんて陳腐なものにしたくない。

 その思いすら、「赤との繋がりをずっと持っていたい」という気持ちがそうさせるんだとも分かっているけど。

 でも、でも——。

 いつもの思考パターンに入ってしまったと思い、机から離れベッドに倒れ込む。

 いくら悩んだって、この想いが叶うわけでも、もやもやが晴れるわけでも……ましてや赤が現れるわけもなくて。

 今日もまた、書きかけの手紙が増えてしまった。宛名だけがいつも同じ。

 きっと出せる日は来ないだろうと思いながら、あたしは少し濡れた枕を気にしないふりをして、逃げるように目を閉じた。

「……好き、だよ」

 せめて、夢の中では君と。


「あのさぁ!」

「何—!?」

「俺らってバカだな!」

「何をいまさら!」

『Second Anniversary』

〜ORANGE SIDE〜

「14日のデート、あれがいいな」

 コイツの発言が突拍子もないのはいつものことだが、それでもまたいつものように突拍子もなくこう言いだした。

「ああ、記念日ね。何がいいよ?」

 2月14日、いわゆるバレンタインデーが付き合い始めた記念日ってのは、イベントごとに乗っかっちゃったみたいで少し癪だが、印象が強いせいで忘れることもないから楽っちゃあ楽だ。……ぜってえコイツ、記念日とか忘れたら拗ねるもんな。

 つーことで、うちのお姫サマのご要望をうかがってみると。

「自転車デート!」

 満面の笑みで答えていただきました。

「……今、何月?」

「2月!」

「季節は?」

「冬!」

「気温は?」

「寒い!」

「自転車デート?」

「自転車デート! 二人乗りで!!」

 俺もさすがにそれはどうかと言ってみたけども。まあ、お姫サマきっての要望を俺が断れるわけもなく……ああ、甘いなぁ、俺。でも、だってさ。

「一緒に乗ろうよ。ね♪」

 とか言うんだもんコイツ。仕方ねーじゃん、ったく。

 なんだかんだで楽しみにしてる自分に気付きつつ、ニヤけそうな頬を必死に戻した。

 

 それにしたって2月の空気は冷たいわけで。鼻とか耳とか赤くなってんじゃねーかって心配しながら自転車を漕ぐ。

「いやー、寒いねえ」

「言いだしたのお前だろーが」

 さっきから寒い寒いと言いながらもその口調はのんきなもんな黄色……二人乗りって結構大変なんだぞ。

「でもさ、いいじゃんこういうの。高校のときみたいでさ」

「まーな」

「青春だよ、青春」

 表情は見えないけど、きっとバカみたいに嬉しそうな顔をしてるに違いないと思った。

 そういえば去年は、これからはもう自転車に乗らなくなるかも、なんて心配をしてたんだっけ。俺も黄色もこういう空気が大好きだからそう思ったんだろうけど。

「……バーカ」

 こんなどうでもいい瞬間が楽しいと思えてるうちは、自転車に乗っても乗らなくてもきっと大丈夫だと思えた。

「なあ、黄色」

「なあんだい?」

 なんとなく、ペダルを漕ぐ足に力が入った。

「スピード出していい?」

 理由なんて自分でもよくわからないけど。

「任せる!」

「おっけ!」

 きっと赤くなるだろう鼻や耳のことを考えながらも、俺らはスピードあげる自転車に乗りながら、相手に聞こえるように叫んで話をしていた。

「あのさあ!」

「何!?」

「俺らってバカだな!」

「何をいまさら!」

 ちょっとカッコ悪いけど、いいんじゃねえの。俺らっぽくてさ。

 

〜YELLOW SIDE〜

 橙の謎の自転車全力漕ぎで疲れたあたしたち(主に橙が)は公園で一休みすることにした。

「お疲れ〜」

 コイツの大好きなコーラを買ってきた黄色チャンを見て、ガチで疲れている橙が汗を手でぬぐいながらこっちを向いた。

「さんきゅ……頑張りすぎた」

「なんであんなに全力出したのさ」

「……なんとなく」

 理由は分からなかったけど、それこそ『なんとなく』あたしもさっきのは楽しかった。なんでだろ?

「運動不足がたたってますね」

「確かに。もう歳だな……」

「まだ十代じゃんか」

 いつものように下らない会話でわいわいと盛り上がる。これがあたしたちクオリティ。

「俺ら、もうちょいでハタチだな」

「うぅ、ティーンでいられるのも残りわずかかぁ……」

「ティーンって……まあいいや。大人だぜ、大人」

 輝かしかった……こともなくもなかったような気がするようなしないような、とりあえず間違いなく楽しかった中学や高校時代を思い出してみる。うぅん、若かったぜ、自分。

 そんな遊んでばっかりだった十代がもうすぐ終わり、ホーリツジョーでも『成人』とされる、20歳が目の前に迫っている。

「煙草とか吸っちゃう?」

 ハタチのすごい漠然としたイメージ。いや、吸ってる人は未成年でも吸ってるけども。

「吸わねーよ……お前、キライだべ?」

「うん。あんまり好きじゃない」

 自分からふっておいてなんだけど、確かにあたしはあんまり煙草の匂いとかが好きじゃない。もしかして、橙ってそういう理由で吸わないのかな? 隣で、それに高いしとかなんとか言っているが、あたしはちょっとニヤけていた。

「……何ニヤけてんだよ」

「なぁんでもなーい♪」

 ……ったく、とか言いながらコーラをすする橙に頬を綻ばせながらあたしも自分のココアに口をつけた。

「春休みさ、免許取ろうと思ってるんだけど」

 ぼそっと橙がそんなことを言った。前から取りたいみたいなことは言っていたので、ついに取るのか、って感じだ。

「へー、こっちで? 合宿?」

「こっちで。ソッコーで取ってやんぜ」

「頑張れー。取ったらドライブ連れてってね」

「免許取っても車は買わねえぞ?」

「えー」

「えーじゃない。さすがに金がねえよ」

 コイツが車を運転できるようになるのか。高校や大学の友達でももう取っている人がけっこういたし、珍しいことではないんだけど、どうしても、子供の頃から一緒にいた橙が車を運転、というのはイメージしづらい。

「そっかー、免許かー」

 コイツは車が運転できるようになる。あたしたちはいつのまにか大学生だし、高校生のときはまったくイメージできなかった大学生活ってやつにしっかり慣れ、楽しんでいる。

 赤は陸上のタイムを伸ばしているというし、青はどんどん綺麗になってる。高校のときあんなにずっと一緒にいた黒と白は今では遠距離恋愛で頑張っている。

 人は変わる。誰もが変わっていく。あたしも、アイツも、誰もがみんな。

 でも、あたしは橙が大好きだし、隣に居られる。赤や青や黒や白とだって、きっとまた一緒に遊べると思う。それで、いいんじゃないかな。

「俺が免許取っても自転車乗るんだべ?」

 一緒にドライブにも行きたいけど、さっきみたいなのだって楽しいと思う。大人になることが、ヤなことばかりじゃないはずだよ。

「とーぜん!」

「だろーな」

 そう思えるのも、やっぱり、コイツが傍にいてくれるからかもしれない。

 幼なじみで19年、恋人として今日で2年。もっともっと傍にいたい。一緒に、楽しいことや面白いことを感じていきたい。

「ね、橙」

「ん?」

 伝えたいことはいっぱいあるけど。

「……えへへ、なんでもないや」

 ゆっくりゆっくり、あたしらしく伝えていきたいな。

「変なやつ」

 そう言いながらも笑顔な橙に、つられてあたしも笑顔になる。

「あ、そーだ。うちにケーキあるよ! 頑張って作ったチョコケーキ」

「バレンタインだもんな。またすごいの作ったのか?」

「自信作です」

「そりゃ楽しみだ」

 なんだか楽しいバレンタインで2周年。

 今日も、これからのあたしたちも、もっともっと楽しくなってくよね。ね、橙?


『遅く起きた朝は』

 〜RED SIDE〜

……起床。ただいま、9時45分。

普段は陸上部の朝練のせいで5時台の起床がザラなわけだけど。今日は日曜。練習もお休み。こんなのもたまにはいいだろ。

いつもならどう考えたって青がもう眼を覚ませていて「起きて、あ・か♪(はぁと)」と起こしてくれるはず(願望による表現が含まれる)なんだけど……

「……うぅん」

青は昨日、大学の課題をやっていたせいで疲れているみたいで。……夜更かししたのは別の理由もあるけど。うん。

まあとにかくそれでぐっすり眠っているみたいだった。

……青は寝顔も可愛いなあ。

とまあ今まで数えられないほど抱いた感想を今日もひしひしと感じながら俺は一人で頷いていた。

「……さて、と」

ぐるるるるるぅ〜……。

我がお腹が情けない音を響かせる。やむを得んよね、うん。

お腹は空いたが、青はお休み中。じゃあやることは一つしかないっしょ。

 〜BLUE SIDE〜

……起床。ただいま、10時20分。

……10時20分?

「ああぁ〜……」

やってしまった。いくら日曜日といっても10時過ぎに起きるのはいけないと思う。……妹や友達には昼過ぎまで寝ている輩もいるけど。

隣で寝ているはずの、私がこんな時間に起きてしまった最大の原因の方を見てみる。

「……あれ?」

いない。てっきりまだすやすや寝ているものだと思っていたのに。

そんなことを考えているとキッチンの方から物音と一緒に、なんだかいい匂いが漂ってきた。

「ウソ!まさか!」

あの赤が料理?!

「まさかってことはないだろーよ」

私の声が聞こえたのか、赤はキッチンの扉を開けて、満面の笑みでこちらを見ていた。その手にはなんとお皿が乗っている。

「俺だって、チャーハン位は作れるぜ♪」

……そんなこと言ったって、一度も作ったことなかったじゃない。

そうも思ったけど、赤が持ってきたチャーハンがとても美味しそうで、普通に驚いてしまった。

「お、おいしそう」

「だろ?けっこうパラパラにできたんだぜ!」

嬉しそうな赤の顔。なんだか、それだけで目の前のチャーハンが三倍くらいおいしくなった気がした。

「すごいわね」

「チャーハンはガキの頃から好きでさ。けっこう作ってたんだ」

「へー。じゃあ、今度からは赤にご飯を作ってもらおうかな♪」

「えー!俺は青の手作り愛情たっぷり御飯が食べたいぃ!!」

「何が愛情たっぷり、よ(ガンッ)」

「……愛情はいってないの?」

「は、入ってるけど!」

……なんてまた赤にはめられたような展開をしてしまった。

でも赤が作ってくれたチャーハンがおいしかったのと、赤が作ってくれたという嬉しさに包まれて、私は上機嫌でキッチンに向かった。

「キャーっ!!!」

「あ、ごめん、片づけてねえや」

キッチンの惨状を見て、やっぱり料理は私がやろうと思ったのだった。


『Beautiful World』

ねえ、黒くん。覚えてる?

「……今年も、お花見行けなかった」

「風邪、ひいちゃったもんな」

中学生くらいの時の、私たちの会話。

「去年も同じこと言われた気がする」

「……気のせいだろ」

私が見る景色は、一つの窓からのものばかり。

「今年は行きたかったのに」

「来年は、絶対に行こうな」

もう慣れっこの病院のベッドも、なんだか嫌な感じがする。

「……学校も行きたいな」

「しっかり休んで、早く元気になれよ。一緒に行こう」

黒くんが来てくれると、たくさんお話ができる。

「……去年は、あんまり行けなかった」

「だからこそだよ。白のこと待ってる子だっていっぱいいるぞ?」

でも、いつも我慢してるせいか、嫌なことも、いっぱい言っちゃう。

「うん。……ねえ黒くん」

「ん?」

きっと、黒くんにだからだと思う。でも、黒くんだから言った後に反省もしちゃうんだけど。

「もっと、色んなものを見てみたいなあ」

「……そっか」

黒くんは、いつでも聞いてくれるから。頷いて、微笑んでくれるから。

「虹も、海も、お花も、空も、人も。たくさん見てみたい」

「そうだな。……でも白」

だから、なんでも言ってしまうんだ。

「何?」

「ここだからって何にも見えないわけじゃない。ここからしか見えない景色もあるかもよ」

あの時は、ただ黒くんに甘えたね。

「そう……かな?」

「ああ。……春の空って、パステルっぽい青な気がしないか?」

いつでも傍にいてくれたよね。

「確かに……そうかも」

「だんだん、夏になるな。青も、鮮やかな色になってくる。その変化は、ここのほうが見やすいと思うぞ」

ひねくれてる私も、黒くんの言うことは信じられたから。

「……じゃあ、黒くんも一緒に探してね」

「え?」

嫌なことを全部出しちゃって、いつもの自分を見せれるんだ。

「黒くんと一緒なら、ここからの景色でもいい」

「……そっか」

このセリフだって、心から思ったんだよ?

「……じゃあ、ずっといる。……それに、さ」

「何?」

でも、黒くんのあの言葉には驚いたよ。

「外に出る時も、一緒に行こう。俺が、世界を見せてあげる」

「……うん!」

だから、ね。

「ね、黒くん、今日はどこ行く?」

「そんなに慌てるなよ。ゆっくり行こう」

「ふふ、そうだね」

今日も私は黒くんと一緒。手を繋いで、一緒に歩いて。そんな風に。

「あー楽しみだなぁ」

だって黒くんは世界を見せてくれるんだもんね。

「今日は暖かいからな。ちょっと遠くまで行ってみるか」

「やったぁ!」

ねえ、黒くん。覚えてる?あの時君が言ったこと。私は覚えてる。

それに、私は今でもこう思うよ。

『黒くんと一緒なら、どんな世界も見てみたい』って。


『たいしたことない』

 なんだか趣味のいい喫茶店、PALLET。

 赤の大学のやや近くにあるこのお店は、赤の部活終わりのデートの待ち合わせ場所だ。

「こんにちは、群青さん」

「青か。今日も待ち合わせか?」

 ここで働いている群青さんや朱色さんともすっかり顔なじみだ。今日のお客さんは3、4人。働いている群青さんたちには悪いが、これくらい空いていたほうが居心地がいい。

「はい。お邪魔します」

 今流行りのお店、という感じではないからいつも人で賑わっているわけではないが、ここのお店の、群青さんが淹れてくれるコーヒーはとても美味しい。今日も赤を待つ間、一杯もらおうと思う。

「こんにちはー! 群青さんいるー!?」

 するとそこへ、入口から爽やかなアルトの声が聞こえてきた。

「浅葱、今日も元気だな」

 赤と同じ大学の陸上部、浅葱だ。笑顔が素敵な彼女は群青さんに挨拶をすると、すぐに私を見つけ、笑って手を振ってきた。

「あ、青ちゃんだ! 久し振り!」

「久し振りね。ちょっと焼けた?」

「そうなんだよねー、日焼け止めはガンガン塗ってるんだけどさ、汗もかくから焼け石に水でさー」

 スポーティな彼女は、明るくて、話しやすくて、とてもいい子だ。初対面であってすぐ、仲良くなってしまったし。

「そっか、気になるよね」

「仕方ないけどね。青ちゃんはアイツ待ち?」

 浅葱は二カッと笑って私を茶化す。

「ま、まぁね……」

「いーねえ、せーしゅんだ。あ、でも青ちゃん、あいつがどんなにコーラとカップラ欲しがっても、あげちゃダメだよ?」

 浅葱の軽い注意。だが私にはあまりピンとこなかった。

「え、赤、そういうの好きなの?」

「ええ? 大好きじゃん! 中学の頃なんか毎日ペットボトル消費してたんだよ? コーラもカップラも陸上選手にはよくないからやめろってずっと言ってたんだけどさ」

 ……初耳、だった。

「今日もボヤいてたよー、『あっちぃー、コーラ飲みてぇー!』って」

 私はそんなことを言っている赤を見たことがなかった。我慢、してるのかな。

「でも高校では全然そういうのに手出してなかったわよ」

「うっそー! じゃあ言ってたことホントだったんだ! ……すごいなあ」

 あいつ、コーラとカップラーメン好きだったんだ……。普段から好みを言わない奴だから、それを我慢してるどころか、大好物だってことすら知らなかった。

「……ねえ、他にあいつの好きなものって何?」

「え? 青ちゃんの方が知ってそうだけどなあ……んー、とりあえず辛い物? あいつの辛党っぷりには呆れるくらいだし」

 ……知らない。私には「何でも食べる」としか言ってくれていない。

「音楽だとサザンとか長淵とかTUBEでしょ。若干オッサンくさいんだよね」

 ……知らない。前聞いた時は何でも聞くとか、はぐらかされた気がする。

「ていうか、あたしが知ってることなんてたいしたことないよ。付き合ってるんだから、青ちゃんの方がずっといろいろ知ってるでしょ」

 あはは、と笑う彼女に私はそうよね、なんて笑顔で返していたが、ほんのちょっとだけ、複雑だった。彼女の言う『たいしたことない』ことも、私は知らない。私は赤のことを全然知らない———?

「お、青! 待った?!」

 そんなことが頭をかすめた瞬間、聞きなれた大きな声が聞こえた。

「バ赤、遅いぞ、青ちゃんを待たせんな」

「しゃーねーだろ。……わりーな、青」

 眩しい笑顔。大好きな表情に、ドキッとしてしまって、たった今考えていたことなんて吹き飛んでしまいそうだった。

「もう来たのか赤。青、せっかくコーヒーも入ったから、せめて飲んでいきな」

 群青さんが私の分のコーヒーを持ってきた。どうやらゆっくり飲む必要はなさそうだ。

「お、じゃあ半分こしよーぜ、青!」

「ば、バカじゃないの!」

 いつものやりとり。仕方ないから、せっかくの群青さんのコーヒーだけど早く飲んでしまおう。

 

手をつないでの、デートの始まり。一つだけ、気になった。

「……ねえ、赤」

「なんだ?」

「赤の好きなものって何?」

「唐突じゃね?」

「い、いいじゃない! じゃあ、食べ物だったらどんなのが好き?」

「えー、俺、青が作るものなら何でも食うぜ!」

 元気に、いつもの笑顔で赤は答える。不覚にも顔が赤くなっちゃったから、もう何も言えない。

 ……ホントは、違う答えが聞きたかったんだけど。

「どーしたんだよ、急にそんなこと聞いたりして」

「……ううん、たいしたこと、ないの」

 たいしたことない、はずだ。


『コーヒーと、決意』

「……半分こ、だって」

 静かな店内に、泣きそうな声が小さく零れる。

「……バ赤。バカ、バーカ……」

「……浅葱、お前————」

 先ほどまで抜けるような笑顔を見せていた少女の姿はそこにはなかった。

「群青さん」

 店内を流れるボブ・ディランの寂しげな声にかき消されるように、小さく呟いた。

「あたし、笑えてましたか?」

 彼女はまた笑う。ただ、その表情は———

「あたし、あたし……」

「浅葱、お前、もう、やめろ」

 傍らに立つ青年は、いつものような意思を殺したような声で、彼女の声をかき消す。

「今のお前の行動は、ただの自傷だ。……けじめをつけろ。———たとえ、結果がわかってていても、だ」

 彼は彼女の前にコーヒーを置いた。それはまるで、餞のように。

「それは、サービスだ」

 踵を返し、彼女に背を向け、歩き出す。答えを出すのは、彼女だ。

 静かな店内。ひそやかな話し声と、ボブ・ディランだけが聞こえてくる。

 一口だけ口をつけ、少女は、呟いた。

「……わかりました」


「温泉行きたくねぇ?」

「いーねぇ! 行きたい行きたい!!」

 大学生の旅行のきっかけなんて、だいたいこんなもんだ。

『温泉に行こう! 橙×黄』

 〜ORANGE SIDE〜

「いいんですかーいいんですかー……お、海見えてきたじゃん」

「いやぁ、海はいいね、ロマンがあるね」

「なんだそりゃ」

 レンタカー借りて、音楽流しながら、黄色ご所望の海の近くの温泉へ。初心者マークがついているのはご愛嬌ってことで。

 まだ遊泳はできないけれど、気温は充分なくらいあっつい。コンビニで買ったコーラも早くもぬるくなってきている。期間とかはいいから黙ってダイブさせてほしい。

「いいんですよーいいんですよー♪」

 片や助手席に座ってるやつはイチゴ味の飴をなめていて、終始ご機嫌。

 若干俺はぐったりしていたんだけど、海が見えて黄色は満面の笑顔でノリノリだ。

 子供みたいに無邪気なコイツを見てるとそんなの忘れてしまう。なんだか可愛くて、意味もなく小突いてみる。

「痛っ!」

 案の定のリアクションに、ついニヤけてしまった。

「バーカ」

「なにそれー」

 うん、ドライブも悪くないね。

〜YELLOW SIDE〜

 いや、だって海だよ? テンションも上がるでしょ!

「だいだーい!はっやくー!!」

 荷物を宿に置き、さっそくあたしたちは海へと駆け出した。

「今行くからそんな走んなって」

 そんなことを言いながら、今日のコイツはけっこうニヤニヤしていることを黄色チャンは既に気づいているのだよ!

「はっやっく〜」

「わかったわかった」

 海は逃げないとか抜かすやつがいるかも知れないが、貴重な時間は流れてる。どーせ一泊しかしないんだし、目一杯海を楽しんでおかなきゃ。

「膝までならいいよね?」

「いいんじゃね? あっちぃし、入ろうぜ」

 わざわざこのためにあたしはサンダルを履いて来ていたりする。さっそくサンダルを脱ぎ捨て、膝下くらいまで海に浸かる。

「ひゃっ……」

 冷たい海水に思わず声が出る。けど、やっぱり気持ちいい。

「俺もサンダルで来りゃよかったなー」

 橙もジーンズを捲ってじゃぶじゃぶと海へ入ってくる。

 暑い+海+相手は橙。こうなったらやることは一つでしょ!

「えいっ♪」

 Let's水攻撃。いやぁロマンですなぁ。

「冷てっ! こんの野郎……」

「うりゃ! うりゃ!!」

「やったなぁ、お前も食らえ!」

「きゃっ、冷たいっ!」

 全身が濡れるのも気にしない。ただの水かけ遊びがコイツとならとんでもなく楽しく感じるんだ。

 日も沈みかけてくるまで、あたしたちは子供のように水を掛け合っていた。

「あ〜あ、ずぶ濡れだよぉ」

「誰のせいだと思ってんだっつーの」

 上半身も下半身も、言ってしまえば下着までぐっしょりだ。

 でも、楽しかったぁ〜。

「これでこそ気持ちよく温泉に入れるってもんですよ」

「絶対宿の人にヤな顔されっけどな」

 そんなたわいもない話をしながら、頭を軽く拭いて宿へ戻る。

 ふとあることを思い付いて、唐突なのを承知で言ってみた。

「この砂浜で花火したいね」

 すると橙はにかっと笑った。

「あ、買ってきたぜ、花火」

 ああもう、コイツ、大好きだ。

〜ORANGE SIDE〜

 温泉は、しっかりゆったり浸かるもんだ。そうだろう?

 ってことで夕飯前はシャワーを浴びるだけ。飯を食って、花火で遊んでからじっくりと温泉に入ることにしたのだ。

 ……オッサンくさい? うっせーわ。

 とにかく俺はぎゃーぎゃーうるさい黄色を何とかなだめ、おいしい料理を堪能した。

「おいしかったぁ〜」

「海鮮丼マジ旨かったな。さすが海」

「高かったけどね」

「そんなもんだって」

 いいんじゃね、今日くらい奮発したって。日々頑張ってバイトしてんだしさ。

「動きたくな〜い」

「太るぞ」

「聞こえなーい」

「花火は?」

「やるッ!!」

 犬かお前は。尻尾をブンブン振ってるイメージが簡単にできる。

 ……一瞬、妄想の中の犬みたいな黄色を可愛いと思った自分を殴りたい。

「やっぱり考えることはみんな一緒なんだね」

 浜辺へ出ると、たくさんのカップルやグループが楽しそうに花火で遊んでいた。

 夏の海で花火、なんてイベントはやはり外せないものみたいだった。

「そこは抜かりなかった俺を褒めたたえろ」

「だいだいくんすごいすごい」

「超棒読みじゃねえか」

「いーから花火しよーよぅ!」

 はいはい、お姫様のわがままには従いますよっと。

 小さめの容器に少し水を入れる。さ、火災には気をつけて遊びましょうや。

「綺麗だねー」

 なんで花火って子供の頃からやってんのに、いくつになっても綺麗に見えるんだろう。

「ね、橙?」

 笑顔の黄色。

 ……あー、なるほど。誰かと一緒に花火をする。その瞬間が、きっと花火を綺麗にするんだ。

「ああ、すげぇ綺麗だ」

 もっともっと花火をしたいな。コイツと、友達と、たくさんの大切な人たちと。

「橙、見て見て」

 黄色が悪戯っぽく笑って花火を振る。何か文字を書こうとしているみたいだけど……。

「……それ、赤もやったみたいだぞ」

「ええええええ!?」

「残念でした」

 そう言って黄色に背を向ける。

 ……向けなきゃやってらんなかった。ったく、なまじなんて書こうとしたかわかる分、超ハズいじゃんかよ!!

「打ち上げやんぞ黄色!」

 恥ずかしさをごまかすように、俺は打ち上げ花火を掴んだ。

〜YELLOW SIDE〜

 花火も満喫して、あたしも橙も大満足。

 駄菓子菓子ッ! 今日のメインイベントがまだ終わっていないのだよっ!!

「温泉だー!!」

「けっこう疲れたしなー、ゆっくりして来ようぜ」

「ろってん〜ろってん〜」

 足取り軽く浴場へ向かう途中、ふと何かを思い出したように橙が口を開いた。

「ここ、貸し切りの露天風呂あるんだよ」

「バッ

 な、何を言ってるんだコイツはッ!?

「冗談だっての。そんな顔真っ赤にすんなよ」

 飄々言ってのけた橙は仕方なさげに別々の浴場へ向かおうとする。

 ……あたしはまだ顔が赤いような気もしたけど、とことこと橙に近づいて、極力小さな声で呟いた。

「こ、今度ね……」

 去り際に橙の、バイト頑張ろっていう呟きが聞こえたような気がするのは、きっと気のせいだ。

 もう、バカ橙。

 あー気持ちよかった。

 やっぱり温泉はいい。日本の心だね、うん。

 せっかくの風呂上がりなので、例のやつに着替える。俗に言う、浴衣ってやつね。

 あたしが脱衣所から出ると、同じように浴衣を着た橙が待っていた。

「……ぷっ」

「なんで笑うんだよ」

「だって橙が浴衣着てるんだもん」

「理由になってねーよ」

 そういえばあたしが浴衣や振袖を着ることはあってもコイツのこーゆー服を見るのは久しぶりだ。

「いーよ、似合ってるって」

 笑ってはしまったけど、まぁ似合うよね。どーせ何着たって様になるんだしさ。

「釈然としねぇ」

 笑われたことに膨れているのか、拗ねたように橙は言う。

 まったくもう、可愛いんだから。

「もー、いつまで拗ねてんの?」

 あたしは橙のお腹辺りを突く。橙の顔は湯上がりだからか、少し赤い。

「……拗ねてるだけじゃねーんだけど」

 ……え?

「あーもう! つーかなんでお前浴衣とか似合うの!?」

「え、あ、ありがと……」

 頭を掻く橙の顔の赤みは湯上がりのせいじゃないみたいだった。

 うわー、絶対あたしもつられてるよ……。

「えっと、部屋、戻るか」

 脱衣所の前で顔を赤くしているカップルはきっと変な風に思われたんだろうな。

「海、綺麗だったね」

「ああ」

「温泉、気持ちよかったね」

「そうだな」

「今度はみんなで来たいね」

「夏休みとかな。計画してみっか」

「いいね、それ。……ね、橙」

「浴衣、似合ってた?」

「すげー可愛かった」

「えへへ。橙も似合ってたよ」

「ありがと……黄ぃ?」

「何?」

「……好き」

「ふふっ、あたしも、たいちゃん」

 ……明日の朝も温泉入ろっと。


「……何、その大きな荷物」

「橙、あたしね、一人暮らし2年目の冬を過ごしつつ感じたことがあるの」

「うん」

「1人の家って寂しいなって」

「なるほど」

「……誰かがいる家に帰りたいなぁって」

「つまり?」

「そう……つまりこれはアレですよ」

「……同棲ってやつ?」

『「一緒に暮らそ?」』

〜ORANGE SIDE〜

 2010年になり、ぼちぼち新年ムードがなくなってきたころ、黄色はそんなことをのたまいながら俺の部屋に、服や生活用品を持ちこんできた。

 ……ったく、なんでこいつは、いつもこんなにいきなりなんだ?

 ああ、別に大学生のカップルなら、別に同棲してても珍しくはねえだろうよ。けど、なんで俺に一言も言わずに

「じゃあ、今日からよろしく!」

 とか言っちゃうわけ? 俺にも都合とかあるじゃん? ……いや、特には思いつかんけど。

「ベッド、1個しかねえけど?」

「あとで布団買いに行こうね! それまでは……一緒でいいよね?」

「……いいけど」

 なんだか黄色はウキウキしながらいろいろ考えている。必要なものとか、ものを置くスペースとか。

「あ、ご飯当番も決めようね!」

「はいはい」

 今度はルーズリーフにカラーペンでご飯当番表を書き始める。うわー……こいつ、超張り切ってやがる……。

 簡単な表に、オレンジとイエローで書かれた2人の名前がどんどんと書きこまれていく。

 なんだかよくわからんが、黄色のテンションと俺のそれは反比例して推移していた。いまいち盛り上がりきれていない自分がそこにいた。

 ……別に、同棲がヤなわけじゃねーんだけどなぁ。

「つーか……なんでお前テンションそんな高いんだよ」

 それは、なんとなく発した、言葉のつもりだったんだ。

 

〜YELLOW SIDE〜

 確かにさ、突然同棲のための準備をしてきて、「じゃあ今日からよろしく」っていうのはいきなりだったかもしれない。そこは悪いと思ってるよ。でもさ……

「じゃあいいよ、帰る」

 さっきの『なんでお前そんなテンション高いの?』はないでしょ。しかも、準備とかまったく手伝ってくれないし。

「別に帰んなくてもいいだろ」

 ……その声だって、面倒くさげ。逆に、橙こそなんでそんなにテンション低いの?

 橙にとっては、同棲は面倒なだけのものだったのかな……あたしは、橙と一緒に暮らすこと、すごくドキドキしてたのにな。

「いい。今日は帰る」

 可愛くない態度は、拗ねてるせいと、悲しい気分のせい。

 あーあ、今日の晩御飯用に橙の好きなものとか、ちょっとおいしいお酒とか買ってきてちゃったり、昨日の夜から部屋のレイアウトとか考えてて1人で盛り上がってた自分がバカみたい。

 期待、というかワクワク感があった分、その反動であたしはかなり沈んでいた。この大きな荷物も持って帰んなきゃ。ああもう、橙のバカ。

 ……そんなに、あたしと暮らすの、ヤなのかな……。

 ヤバい、ちょっと泣きそう。もーやだぁ……。

「おい! 待てよ!」

 黙々と帰る準備をするあたしに橙がキレ気味な声をかけてくる。その声にまたイラっとする。怒りたいのは、あたしの方だよっ!

「うるさい! どうせ橙はあたしと暮らすのなんか、面倒だとしか思ってないんでしょ! ならもういいよ!!」

 やだぁ……声が泣き声だ。目だって潤んじゃってる。悔しいけど……だって、悲しいから。

「違ぇよ! 聞けよバカ!!」

「だ、誰がバ……———ッ」

 文句を言ってやろうと振り向く。その瞬間、あたしは後ろから抱き締められた。

 鼻先に、オレンジの髪が広がる。コイツがつけてるワックスの匂いがした。

「ごめん……帰んないで」

 小さな、声だった。

 ……ズルいなぁ。

「……ばか」

 そんな声されたら、許したくなっちゃうじゃん。

「ごめん」

「ばか……ばか」

「ごめん……言い訳、聞いてくれる?」

「やだ」

 意地悪、したくなる。いいでしょ、これくらいさ?

「……聞いて」

 意地になってる自分がいる半面、コイツが可愛いって思ってる自分もいる。ああ、橙、反則でしょ、そんな言い方。

「同棲、さ」

 思わず、体が動いた……なんて言うんだろう。

「ヤなわけじゃねえんだ……たださ」

「……うん」

 近くの道路をバイクが走っていく音が聞こえた。首元に、橙の息を感じる。

「……俺から、言いたかったんだ。情けないんだけど……それで、拗ねてた」

「……ホント?」

「ああ……ごめんな、ガキで」

 あたしを抱き締める手に力が籠もる。

「じゃあ、聞かせて」

 少し橙の方に顔を向ける。もう、あたしの顔は笑顔になっていた。

「……黄ぃ」

「うん」

「……一緒に暮らそ?」

 答えは、決まってるよね。


『比翼連理』

「ふああ〜」

「ん……げ、もうこんな時間かよ」

 春眠暁を覚えず。うららかな日差しはすでに朝ではなく昼に近いものだった。

「うわ、2コマすら遅刻だね」

「……自主休講」

 覆水盆に返らず。サボることがこの時点で確定。

「朝ご飯どうしよっか」

「ラテが飲みてえ」

 とりあえず善は急げ。髪や服装もそこそこに、二人は近くのコーヒーショップへとのんびり向かう。

「ねー、こっちの道行ってみようよぅ」

「遠回りじゃねーか」

「いいじゃん、どうせ時間あるんだし♪」

 急がば回れ。ご機嫌な彼女には、なんだかんだ従うのが彼である。

「なー。……迷ったべ? なんで公園にいるんだよ」

「……うー」

 猿も木から落ちる? いいえ、あとの祭りです。

「道知ってるなら教えてくれればいいじゃん! なんでニヤニヤしてんのよ、バカ橙」

「時間あるんだからいいんだろーと思って。で、黄色サン的にはどっちがコーヒーショップよ?」

「……こっち!」

 下手の考え休むに似たり。ムキになっている彼女を、彼は楽しそうに見守る。

「ほら! ちゃんと着いたでしょ! どやっ!」

「そりゃどっかしらの店には着くだろうよ」

 怪我の功名? 結局最寄の店ではないにしろ、コーヒーショップに来ることはできた。

「同じチェーンなんだからいいじゃんかー。……それに、橙この前、あの店のバイトの子にアドレス渡されたでしょ」

「いっ!? なんで知ってんだよっ」

 まさに藪から棒。

「ふふーん。さーてなんででしょ?」

「女子の情報網はマジですげーよなぁ……」

 口に戸は立てられぬとはよく言ったものである。大方、同じバイト先の友達の後輩が同じ大学で〜とかであるのだが。

「何年目でも浮気はやだかんね」

「連絡はしてねえよ。心配すんなって」

 火のない所に煙は立たぬ? そのバイトの子の雰囲気が少し青に似ていたりもするので黄色としては少しばかり気にしていたり。

「ホントかなぁ?」

「ホントだっつーの。あ、ほら、前いなくなったし注文しようぜ」

 橙に圧倒されていた黄色が形成逆転である。特に橙にやましいことはなかったが、ばつが悪いので話を流そうとした。

「せっかくだし、黄色が『発見』した公園で飲もうぜ」

「いいね! ピクニック気分ですなぁ」

 鶴の一声。暖かい春の陽の下、ベンチに座っているだけでどことなく和やかでワクワクとした気持ちが浮かんでくる。

「ね、ラテ一口」

「お前さぁ、なんでもねだってくるよな」

「昔からでしょ?」

 三つ子の魂百まで。その実、黄色がこうして食べ物や飲み物をねだるのは昔から橙だけだったりするのだが。

「ったく、ほら」

「いぇい♪」

 魚心あれば水心。こうして必ず橙が答えてくれるから黄色は毎回ねだっているのである。

「おいし♪ ん? 橙、結構砂糖いれたね」

「どーせお前が飲むんだしな。おら、代わりにお前のキッシュよこせ」

「はいはーい」

 因果応報? 黄色はわかっていたよとばかりに笑顔でキッシュを差し出す。

「うまいな」

「でしょ」

 黄色が頼んだキッシュも、こうして橙が食べることを考えて、あまり甘くないものがチョイスされている。橙もなんとなく気づいてはいるのだろう。こんな二人は水魚の交わりか——いや、

「あー! けっこうおっきく食べたな! じゃあラテもう一口ぃ!」

「あ゛ぁ!? 言いがかりだろ! あ、コラ飲むな! てめぇキッシュよこせ!」

 似たもの夫婦、と言ったところだろうか。


『Million Films』

「青、誕生日おめでとう!」

「ありがとう」

 青は内心びくびくしていた。

 今日は彼女の誕生日で、赤と二人で過ごしていた。料理を作るのは自分だが、赤はケーキを買ってきてくれていたので、そこに不満はなかった。

 だが。

「じゃ、プレゼントなー」

 そう、センスに定評のある赤のプレゼントに戦々恐々としていたのである。

 今までの彼からの贈り物、例えば伊万里焼(名産品だから喜ぶと思った)、グロいトーテムポール、大きくアフリカゾウの書かれた小銭入れ(赤は両方とも可愛いと思った)、パンクファッションによく似合うであろうゴツいドクロのシルバーリング(赤的にはオシャレだと思った)etc……。

 気持ちはとっても嬉しいのだが、反応や扱いに困る今までのプレゼントを思い出し、青は(あーもうどうしようっ!)と焦っていた。彼女は彼が大好きである。そのためそれらのプレゼントは律義に部屋に飾っており、シンプルながらにお洒落なはずの彼女の部屋に不釣り合いな雰囲気を赤のプレゼントたちが醸し出している。
 余談ではあるが、プレゼントを彼の友達に相談したり、彼女と一緒に買いに行ったときはちゃんとしたものを贈ってくれる。彼はあくまでサプライズでプレゼントを選んで彼女を喜ばせたいという善意からこれらを選んでくるのである。

「はい、これ」

「ありがとう! な、何かなー」

 可愛らしい袋に入っているものの形状は四角く、分厚い本のようである。辞典か聖書か、はたまた——

「……アルバム?」

 赤はにかっと笑った。

「作るの大変だったんだぜー」

 そこには高校3年くらいからの彼女と彼や、その友達と一緒の思い出が写真とともに詰まっていた。

「この字……」

「そう! それが一番時間かかった!」

 そしてその写真の一枚一枚に赤が書いたコメントが彼らしい言葉で添えられていた。

 海到着!、青の水着マジ天使!、いつもの6人in駅前、青の作った超ウマパスタ!、青と白と黄色は仲良し……妬ける、などなど。

 何枚もある写真と赤のコメントが思い出を想起させる。

「すごい……嬉しい……」

 彼と出会い、恋人になり、黒たちとも仲良くなり……そんな時期から随分時間がたったものだと思うと、とても感慨深いものがある。制服を着ている自分の姿などはたった数年前のことであるにも関わらず、なんだか可笑しささえ感じるほどだ。

「これ作ってて思ったんだけどさ、この写真って、ほぼ黒と橙のデジカメなんだよな」

 確かに赤も青も写真は写メで撮って終わり、というのがほとんどだ。それでも現像はできるのだが、携帯で撮ったものは現像するのはなかなか忘れがちになるものである。

「俺らの思い出なのに、俺ら2人で撮った写真が少ないのって悔しいじゃんか。だから今度、デジカメ買いに行こうと思ってんだ」

 少年のような表情で、赤は楽しそうに微笑む。

「うん! たくさん、一緒に写真撮ろう」

 赤がくれたアルバムの、後ろのページにはまだ写真が入っていないページもある。それらはまるで、「これからここを一緒に埋めていこう」という、彼からのメッセージにも青には思えた。

「おお! 楽しみだな」

 彼からのメッセージつきの今までと、一緒に作っていくこれから。

 その二つがとても大きく、暖かいものに感じる。

「赤、ありがとう。ね、そしてさ」

 それらが大切だと感じていることを、伝えよう。

「今日の写真、撮ろ?」







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Last-modified: 2012-10-21 (日) 12:16:27