1年目 †
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「えーっと、まずは刻んで……」
「お姉ちゃん?何してるの?」
「!!!べべべ別に何も?」
「あーっ、チョコ刻んでるー。もったいなーい……」
「い、いいの、溶かして固めなおすんだか……あっ……」
「へー……そっかー、明日はバレンタインだもんねー」
「ちちち違うのよこれはそういつも世話になってる後輩にあげるからで別に白にあげるってワケじゃ」
「アタシまだ白先輩なんて一言も言ってないよ?」
「あう……」
「いいなぁ、アタシも好きな人出来たらお姉ちゃん料理教えてね」
「い、いいけど……」
(なんでこんな日に限って休むのよ馬鹿……せっかく頑張って作ったのに……)
「黒ちゃん不機嫌そうねぇ、白君が来てないからかな?」
「!!!べ、別にそういうわけじゃ……」
「白君もひどいわねぇ、こんな日に休むなんて」
「……お見舞いに行くからいいわよ」
「ふふふ、頑張ってね」
「こんにちは……」
「あら、黒ちゃん!白にチョコ渡しに来たの?」
「は、はい……」
「あの子もきっと喜ぶわ。でもごめんね、今ちょうど寝てるのよ」
「あ、あの、特に用事もないので……待っていてもいいですか?」
「もちろん。お茶淹れるわね」
「母さんおはよ……あれ……黒……?」
「おっはよー」
「こ、これ……」
「妬けるわねー、黒ちゃん頑張って作ったんだって」
「お、おばさん!」
「……これ……僕に……?」
「ほ、他に渡す相手もいなかったからよ!(ああもう私何言ってるんだろ……今日こそ言おうって、そう決めたのに……)」
「……ありがとう」
「じゃ、じゃあ私はこれで……」
「あら、今日はもう遅いし泊まっていきなさいな」
「えっ……」
「……なんで一緒のベッドで寝なきゃいけないのよ……」
「ち、小さい頃はよく一緒に寝てたよね……」
「……何かしたらひどいわよ」
「な、何もしないよ……」
(本当に何もしなかったわね……馬鹿……)
「ん……」
「……今日は学校休みだし……せっかくだからもうちょっとだけ堪能しておこ……」
紫「んー……」
無「どしたの?考え事?」
紫「うんちょっとねー……」
無「背はもう諦め——」
紫「ちっちゃいゆーな!っていうか身長のことじゃないよ!」
無「桃に勝とうなんt
紫「胸でもないよ!このバカエロ無!」
無「じゃあなんだよ?」
紫「んー……バレンタインも近いし。今年は何作ろっかなーって」
無「……ふーん」
紫「……何よ?」
無「いや……まぁなんというか……その、俺に言っちゃっていいのかなーとか思って」
紫「?なんで?色無は関係ないでしょ?」
無「え?」
紫「だってB組の先輩にあげるんだもん!バスケ部のエースなんだよ?かっこいいよね〜!」
無「……あ、あぁ○○先輩だろ?かっこいいよなー」
紫「あ、そーだ!やっぱりチョコレートはたくさん貰ってるだろうからケーキにしよう!よーし、本屋さんに行ってケーキ作りの本買ってくるね!」
無「……うん、いってらっしゃい!」
紫「いってきまーす!」
紫(黄緑さんの恋のテクニックその1……突き放す!そしてその後にサプライズ!ふふふ、なかなか効果があるかも!)
「あ〜憂鬱だ。やっぱ今日はさっさと帰ろう……」
「まったくだ。どいつもこいつも浮かれやがって」
悪友たちのぼやきを聞いた色無は教室を見渡した。
「そういえば朝からみんなそわそわしてたな……今日なんかあったっけ?」
「はあ? 何ってお前、今日はバレンタインデーだろうが」
「! あー、そうかそうか。どうりで……」
すぐに興味を失い、色無は帰り支度を始めたが、もてない男どもはそれではおさまらなかった。
「余裕だなあ、もらえるあてのあるやつは。けっ、この恋愛ブルジョアが!」
「おまえには緑ちゃんがいるもんな。呪われてしまえ。チョコの食い過ぎで虫歯になれ!」
だが色無は諦観の表情で首を横に振った。
「いや、たぶんもらえないかな……今まで一度ももらったことないし」
「え、マジで? 『作り過ぎちゃったからあげるわ。捨てるよりはましだし』とか……」
「『みんなにつき合って買っちゃったから。もちろん義理だからつけあがらないでね』とか言われたことないのか?」
「お前らやたらと緑の物まねうまいな……練習してるのか? まあとにかく、あいつこういう浮ついた行事嫌いみたいなんだ。だからきっと今年もないだろうな」
自嘲気味に笑う色無を同類とみなした男たちは、うってかわって慰めの言葉をかけた。
「そう悲観するなよ。今年こそは『今までごめんね……今年はチョコと一緒に私も食べて……』ってくるかもしれん!」
「いや、俺としては『誰にももらえなかったの? 仕方ないから今年は私があげるわ』と引き続きツンだく気味で……」
「……楽しそうな話ね。私も混ぜてもらえるかしら」
背後から漂う冷気を帯びた殺気。二人は振り返ることができなかった。
「あ! ぼくきょうじゅくがあるんだった!」
「ぼくはかえってままのおてつだいしなきゃ! じゃあねいろなしくん!」
「めちゃめちゃ棒読みだな……じゃあな緑。俺もそろそろ帰るわ」
「……待って」
立ち上がる色無の袖を緑はぐいと掴んだ。ドキン! 色無の胸が期待に高鳴る。
「な、何? もしかして何か渡したいものがあるとか……」
「持って帰る荷物があるから、私の部屋まで運んで。もちろん完全完璧まったくの無報酬で」
「……別に同じ寮だからいいけどさ……何もそんな念を押さなくても……」
色無は心の中で泣いた。
「ぜえぜえ……や、やっとついた……なあ、これずいぶん重かったけど何が入ってんの?」
「乙女の秘密よ」
「なんだそれ……まあいいや。じゃあ俺も部屋に戻るから」
一抱えはある段ボールを何とか緑の部屋まで運び、色無は肩で息をしながら立ち去ろうとした。
「……寒い中ご苦労だったから、温かい飲み物を出してあげてもいいわよ」
「あ、お茶煎れてくれんの? じゃあ上がらせてもらうよ」
部屋に通された色無の前に出されたのは、マグカップに入った真っ黒い液体だった。なにやらどろっとしている。
「なあ、これホントに飲めんの? 何か嗅いだことのある匂いではあるけど……」
「私だって飲んでるでしょ。いらないならいいわ」
「いや飲む、飲みます! ……あれ? けっこううまいな! 苦みと甘みがあって……ココアか? いやちょっと違うな、覚えのある味ではあるが……これなんて飲み物?」
おそるおそる口にした色無だったが、意外なうまさに目を丸くし、一気に飲み干した。
「……乙女の秘密よ。飲んだらさっさと帰って」
問われた緑は何故か目を伏せ、ぐいぐいと色無をドアまで押しやった。
「何だよ、今日はやたらと秘密ばっかだなあ。まあいいや。うまかったよ、ごちそーさん!」
背を向けて手を振る色無に、緑はそっと呟いた。
「……あれはホットチョコレートっていうのよ」
「え?」
バタン! 驚き振り返る色無の目の前で、勢いよく扉が閉まった。
「……イヤッッホォォォオオォオウ!」
色無は廊下で飛び上がった。
「……いやっほう」
色無の歓喜の叫びを聞いた緑は、扉の向こうで小さくガッツポーズを取った。
「緑」
「!!」
ばさばさっ
「あー、本が落ちちゃったな」
「いい。片付けるから。それより何の用、色無」
「黄緑さんが呼んでた。用があるとかって」
「わかった。片付けの邪魔だからどいてくれる?」
「へいへい」
「見られちゃったかな……」
赤「色無、ビターとミルクとホワイト、どれが好き?」
無「ん? 何が?」
赤「チョコだよ、チョコレート」
無「あれ、もしかしてバレンタインにくれるの?」
赤「この時期に他に何があるのさ。……あれ、もしかして嫌い?」
無「いや、むしろ好きだけど……なんか意外だったっていうか。どれかっていうとビターかな」
赤「意外って何さ!まあいいや。いつもお世話になってるし、おいしいの期待しててね!」
赤「はあ……顔、赤くなってなかったかな?」
青「あ、色無」
無「おう、青。ちょうどいいや。お前、クッキーとキャンディーどっちがいい?」
青「はあ!? な、何よ!! 誰もあんたにバレンタインのチョコあげるなんて言ってないでしょ!! 今からホワイトデーのお返し考えるとか、気が早いにも程があるわよ!!」
無「あ、いや……もらい物の菓子があるから分けようと思ったんだけど……」
青「!!」
無「青はチョコくれないんだな。残念……」
青「だ、だ、誰もあげないとは言ってないでしょ!!仕方ないわね!!」
無「はは、ありがと。期待してるよ」
青「はう……なんであんな言い方になっちゃうんだろ、私」
紫「あの……クリームちゃん!」
薄「は、はひっ!食べないでください〜……」
紫「違うの!今日はね、お願いがあるんだけど……」
薄「……へ?……あ、はい……なんでしょう?」
紫「あの……チョコレート……代わりに作ってくれないかな?」
薄「……?バレンタインですか?」
紫「うん……」
薄「別に大丈夫ですけど、またどうしてですか?」
紫「あのね……?私、料理は壊滅的に下手なんだ……。特にお菓子作りなんてもっと苦手で……」
薄「……」
紫「そんなおいしくないもの渡されたって、色無も困るでしょ?ただでさえたくさんのチョコもらうんだし」
薄「……そうでしょうか」
紫「……え?」
薄「チョコレート作りに上手い下手は関係ないと思います。どれだけ相手のことを思って一生懸命作ったか、それが重要なんだと思います」
紫「……でも、色無に嫌われたくないし……」
薄「紫ちゃんの好きな色無さんは、そんなことで紫ちゃんを嫌いになっちゃうような人なんですか?少なくとも、私の知っている色無さんはそんな人じゃないです」
紫「……うん……でも、でも!私本当に下手なんだよ!?小さい頃お父さんにあげたんだけど、チョコが原因で二週間入院しちゃったし……初恋の男の子なんか手術までする騒ぎになっちゃって……グス」
薄「……わかりました!私も一緒に手伝いますから!ね?頑張りましょう!バレンタインは恋する乙女のための日なんですから。だから、もう泣かないでください?」
紫「う……グス……うん……。……えへへ、ありがとうクリームちゃん!私やっぱりクリームちゃんのこと大好き!」
薄「はわ、だからって食べないでください〜!!」
桃「色無〜!!」
無「おう、何だ桃……ぐえ! いきなり抱きつくな!」
桃「ねえねえバレンタインまでもうすぐだよねー! ね、どんなチョコレートがいい? あ、いくら好きだからっておっぱい型のチョコはダメ——」
無「誰もそんなこと言ってねえよ!」
桃「あはは、冗談冗談」
無「……なら」
桃「ん?」
無「桃がくれるんなら、なんでもいいよ」
桃「……! あ、あははー! 分かった、おいしいの期待してて」
桃「やば、まだ顔熱い……不意打ちは卑怯だよ……」
紫「色無色無、甘いもの好き?」
無「なんだ? 仕方ないな、ほら」
紫「わーい、ポッキー♪ ……ってちがーう!」
無「足りないか? まったく、おやつを食べ過ぎると飯が入らなくなるぞ」
紫「こども扱いすんなあぁー!! 色無のばか!!」
紫「ううう、チョコの好みを聞こうとしたのに……」
白「色無君、チョコレートって平気?」
無「ん? ああ、むしろ好きかな。何、白もバレンタインにくれるの?」
白「あ、えと……うん、そう。ふふふ、色無君には隠し事できないね」
無「あはは。チョコ嫌いな奴ってあまり聞かないよな、特にこの時期は」
白「私……食べられないから」
無「え……」
白「刺激の強いものはだめだって、お医者さんが言ってたの……あ、気にしないでね、色無君。ちょっとなら平気なんだけど、なんとなく食べる習慣がないままで」
無「……そっか。じゃ、白も一緒に食べられるようなやつがいいな」
白「あ……ふふ、ありがとう、色無君」
白「一緒に、かあ……えへへ、なんだか嬉しいな」
「さて、風呂も入ったし、寝るか」
湯上がりの牛乳を一気に飲み干し、洗ったグラスを棚にしまった色無の背中に声がかかった。
「あ、色無。ここにいたんだ」
「青か。なにか用事か?」
「用事ってほどじゃないけど……はい、これ」
珍しく歯切れの悪い物言いをした青は、視線を逸らしながら色無に小さな包みを突きだした。
「え? なにこれ?」
「なにって……バレンタインなんだからチョコに決まってるでしょ」
数秒間、色無は実に間抜けな顔で立ちつくした。
「あ! あーあーあー!! そういや今日だったっけ。だーれもくれないからすっかり忘れてた」
「誤解のないよう言っとくけど、それ義理チョコだからね。寮長の義務としてあげただけなんだから、変な期待しないように」
「へいへい。でもありがとな、青」
「ふん!」
なぜか不機嫌そうに腕を組み、肩をいからせて鼻を鳴らす青。相変わらずだな、と色無が苦笑していると、食堂のドアが再び開いた。
「あらあら、青ちゃんからチョコもらったんですか? よかったですねー。じゃあはい、これは私から。もちろん義理ですよ」
「え、黄緑もくれるの? うわ、なんかめっちゃくちゃうれしいな……義理ってとこが引っかかるけど」
「うふふ、ごめんなさいね」
「あんたが私たちから本命チョコもらおうなんて、百年早いのよ!」
「ひどい言われようだ……」
だが、義理であれなんであれ、バレンタインにチョコレートをもらって嬉しくない男などいない。色無とて例外ではなく、自然と顔がほころぶ。
そのとき、ふと視線を感じた色無は顔を上げた。ドアの方に目をやると、黄緑が少し開けたままにしていた隙間から誰かがのぞいている。
「……黒?」
「……」
立っていたのは黒だった。色無が持つ二つの包みを一瞥すると、黒は無言で立ち去った。
「あ、おい!」
色無が声をかけても足音は止まらない。やがてバタバタと階段を上る音を最後にして、夜の食堂に静けさが戻った。
「なにぼさーっとしてんのよ。さっさと追いかけなさいよ」
「え?」
「きっと黒ちゃんも、色無くんに渡したいものがあったんですよ。早く言ってあげないと」
「あ、ああ……分かったよ。二人とも、チョコ本当にありがとな!」
二人に背中を押され、あわてて色無は黒の後を追った。青と黄緑は、その背中が廊下の角を曲がるまで見送った。
「灰ちゃんは今どこにいるんですか?」
「空と一緒に私の部屋にいるはずよ。ホント、世話が焼けるったらありゃしない」
「うふふ……お互い、片思い代表でチョコ渡す役に当たっちゃうなんて、ちょっと損しちゃいましたね」
「……別に。あいつが黒を好きなのはバレバレだったし。見込みのない奴に惚れるほど、私は暇じゃないのよ」
「あらあら」
二人が出て行った食堂に、ほんの少しだけ甘い香りが残り、そしてすぐに消えた。
「黒、入るよ」
何度ノックしても黒の返事はなかった。ノブを回すと鍵はかかっていなかったので、色無はゆっくりとドアを開けた。
「黒。おーい、くーろー。黒さんやー」
ベッドにうつぶせになった黒は反応しない。色無が枕元に座り込んでのぞき込むと、大きなクッションを抱きしめて顔を埋めてしまった。
「ちぇ。なんだよ、なに拗ねてるんだよ。かわいくないなあ」
「……悪かったわね。どうせかわいくないわよ。よかったわね、チョコ二つももらえて。青のはきっとチョコもかわいいわよ。ハート型のとか入ってるかも。黄緑のはすっごい手が込んでるでしょうね。有名店顔負けの出来よ。あ、もしかしたらガトーショコラとかかもね」
一転、黒は立て板に水の勢いでしゃべり出した。ようやく意思疎通ができると安堵したのもつかの間、色無は逆の意味でまたあわてた。
「お、おい……悪かった、別に本当にかわいくないなんて思ってないって」
「かわいくないわよ、私。無愛想だし、言いたいことを言うし。自分でも分かってるのよ、それくらい……だから、たまにはかわいいことしてみたくなることもあるのよ」
色無の鼻先に突き出された手。その上に乗っている、少し包装がいびつな包み。クッションに埋められたままの顔はうかがえないが、きっと真っ赤になっているのだろう。
「……早く受け取りなさいよ。腕がつっちゃうでしょ」
「ああ……ありがとう、黒」
「にやけてんじゃないわよ」
「顔見てねーじゃん」
「気配で分かるのよ。ほら、もうこっちの用はすんだんだから出て行ってよ」
こみ上げる笑いをかみ殺し、色無は立ち上がった。廊下に出て、ドアを閉める直前に振り返る。
「今の黒、すっごいかわいいと思うぞ」
「さっさと行け! バカ!」
飛んできたクッションが、閉じたドアにぶつかって落ちた。
「ふふ、色無く〜ん? ちょっといいかしら?」
「な、なんだよ」
教室で帰り支度をしているときに色無は声を掛けられた。悪戯っぽい目で猫撫で声で話しかけてくるときは何かあるときの合図なのだ。
そして今日はあの日なわけで。否が応でも期待してしまう。
「ふふ、どうしたの〜? 俯いちゃって、可愛い♪」
こうなると主導権は向こうで、いや、こうならなくてもあっちか。
ひとしきりご機嫌に色無の様子を眺めるとやがて満足したのか、
「はい、これ♪」
綺麗にラッピングされた包み紙を眼前に差し出してきた。リボンはオレンジで。
「俺に……くれるのか?」
一応確認してみる。くれるのかも何も分かり切ったことなのだが。
しかし我ながらキモイと色無は思う。なぜ自分の方が照れているのか。こういうのは女の子の方が恥ずかしがるもんじゃないのか。
でも仕方ないとも思うのだ。いつだって橙相手にはこうなってしまう。
「馬鹿ね、あなた以外に誰が居るっていうの?」
ふふふと笑う口元は薔薇色の笑みで、思わず視線を誘う。
「せっかく私が作ったんだから、大事に食べてよね?」
「え、お前、自分で作ったのか?」
橙は色無の質問に目を丸くする。そして、
「あ、当たり前でしょ? ……一年に一回の大切な日なんだし……」
……あれ? いつものパターンじゃないぞ……?
「橙……?」
「じゃ、じゃああたしもう行くね!」
「お、おい!」
「また明日〜。バイバ〜イ!」
「あ……」
ポツンと一人取り残された教室。色無はふと我に返ると大切そうにそれを鞄に仕舞い込んだ。
黒「色無、これ」
無「黒……?」
黒「何よ、珍しい物でも見たような顔をして」
無「いや、だってお前こういうのに興味ない様な感じだったから……」
黒「興味なんてないわ」
無「え? じゃあなんで……」
黒「私はないけどみんなはあるんでしょ? ……『何もしないうちにいつの間にか取られてた』なんてことになったら癪だわ」
無「え……?」
黒「じゃあ、行くから」
そう言って黒はさっさと行ってしまった。振り向きざまの頬が微かに赤かったような気がしたのは気のせいだろうか。
無「お、今年もくれるのか? ありがとう」
青「か、勘違いしないでよね、義理なんだから義理!」
無「わかってるよ。……それでも嬉しい」
青「ふん、どうせみんなにもそう言ってるんでしょ? あんたなんかチョコの食べすぎで鼻血だして出血多量で死ねばいいんだわ!」
無「はは、気をつけるよ」
青「じゃ、じゃあね!」
無「もう行くのか?」
青「な、何よ、私はあんたなんかと違って忙しいの! 他のみんなにもチョコ配らなきゃいけないし……」
無「そっか……」
青「が、がっかりしないでよ! 当たり前でしょ!?」
無「そうだよな……」
青「それじゃあね!」
無「あー……なんつうかわかってたけど……やっぱりそうだよな……お? 今年のは去年のより大きいな」
青「バカ、恥ずかしくて一緒になんて居れるわけないじゃない……それにチョコだって……」
次の日。
無「な、今年の青のチョコやけに美味くなかったか? あれってやっぱり自分で作ったのかな?」
男「え……今年は青ちゃん誰にも配ってないっすよ……?」
無「あれ……?」
——好きな人にしか渡さないんだからね——
無「よいしょっと」
どさどさどさ
灰「ぅわわわわわ!人の上に大量の荷物置かないでよ……」
無「わっ、ごめん灰……って、人のベッドの上にいるお前が悪い」
灰「いいじゃん別にいつものことなんだから……って、これ全部チョコ?もてるねぇ」
無「まあ、寮の全員からだからな。まあ、もてるっていうか『義理だ』って念押されたからなぁ」
灰(……照れ隠しだって気付いてないのかな?)
無「あっ、全員からじゃないな。あと一人もらってない奴がいる」
灰「?……誰?」
無「お前以外にいないだろ、常識的に考えて」
灰「えー、めんどくさ——」
無「黒ー、灰がお前のお気に入りの皿割った——」
灰「ときにもちつけ兄者。……おk、これをやろう」
うまい棒(チョコ味)
無「えー、明らかに義理かよ。もっとカモフラージュしろよ」
灰「割に本命だよ?」
無「どこがだ」
灰(一度開封して作り直して再パッキングした……なんて、絶対気付かないんだろうな)
無「何笑ってんだ?」
灰「べっつにー?」
黄「はい、色無!」
無「お、チョコレート? ありがとう」
黄「へへ、どういたしまして」
無「まさかカレー味のチョコ……とかじゃないよな?」
黄「(ギクッ)ははは、イヤだな、そんな訳ないじゃない」
無「はは、ごめん。そうだよな。……お返し、楽しみにしてろよ?」
黄「あはは、期待しないで待ってるよ」
次の日
無「あれ黄の手作り? 凄く美味しかったよ、甘さも控え目で」
黄「そう? 良かった〜(隠し味のガラムマサラに気付かれなくて〜)」
白「色無くん」
無「ん、どうしたの?」
白「あの……はい、チョコレート」
無「え? そうか今日バレンタインデーだったけ」
白「それといつもありがとうって気持ちも込めて。手作りだから自信ないんだけどね」
無「ありがとうな。今食べてもいいか?」
白「うん、いいよ。あ、ちょっと待って」
無「どうした……って毒見ならくれる前に……」
白「ふぁい、どうぞ」
無「ちょ!? そんなポッキーゲームみたいな! ていうか大きさ考えたら唇があたる……」
白「ん? 食べないの?」
無「首かしげるのは反則だって……い、いただきます」
白「……」
無「……」
白「どう?」
無「大変美味しかったです!」
黒「はい、色無」
無「ん? チョコ?」
黒「バレンタインだからよ。あなたにあげる」
無「あ、ありがと。でも、意外だな。黒ってこういうこと興味ないと思っていたのに」
黒「たまにはこういうことに乗ってみるのもいいかな、と思ってね」
無「そうなんだ。結構きれいに包装されてるな。自分で作ったの?」
黒「ふふ、そうよ。これでも頑張ったんだから」
無「そっか。じゃあ、味わって食べることにするよ。
本当ありがと。義理でも嬉しいもんなんだな」
黒「何を言っているのかしら」
無「え?」
黒「本命のチョコよ。世界に一つだけのね」
桃「はい♪色無クン」
無「お、さんきゅー」
桃「手作りだよ」
無「ほ〜どれどれ……って、えぇっーーー!!!」
桃「どうしたの?」
無「こ、これ……(この形どう見ても、おっぱ(ry」
桃「食べてみて♪自信作なんだから」
無「う、うん(何か恥ずかしいな……)」
(ぱく)
桃「どう?」
無「おいしい!」
桃「よかったぁ〜♪じゃあ今度は……」
無「?」
桃「『オリジナル』のほうも食べてみる?」
無「!!!!!!!!! えっ、ってことはこのチョコはやっぱり……」
桃「フフフ、な〜いしょ♪ で、ど・う・す・る・の?」
プチーン(色無の中で何かが切れた音)
無「も、もちろんいただきま〜す♪不〜二子ちゃ〜……(ハッ、殺気!)」
ゴゴゴゴゴゴゴ
青「い〜ろ〜な〜しぃ〜(怒)」
無「あ、青!」
黒「随分とお楽しみだったようじゃないか」
無「く、黒」
黄緑「寮内での不純異性交遊は禁止ですよ、い・ろ・な・し・さん?」
無「!! き、黄緑さんまで」
無「あ、ちょっ、待って、俺の話を聞いて」
青・黒・黄緑「問答無用!!」
無「うぎゃぁぁぁーーーー!!!」
桃(あぁ、作戦失敗かぁ……)
青「ちょっと、桃!」
桃「え?」
黒「まだ話は終わっていないぞ」
桃「私はただ色無くんにチョコを渡そうとしただけで、その……」
黄緑「こっちにいらっしゃい♪」
桃「……はい」
無「あの〜〜、群青さん」
群青「何かしら?」
無「群青さんも会社でバレンタインのチョコ配るんですか?」
群青「そうなのよねぇ。行かず後家にもそれなりに浮世の義理があるから」
無「行かず後家だなんて。群青さんはまだまだ若いですよ!」
群青「いいのよ、色無君。慰めてくれなくっても。もう少しで三十路だもん……」
無「……」
群青「肌の艶も張りも衰えて」
無「……」
群青「余計なお肉もつきはじめたし……」
無「……」
群青「あとはお墓に入る日を待つばかり……」
無「それじゃ、俺と同じ墓に入ってくれませんか?」
群青「???」
無「俺、これから出かけます。それで、もし良かったら後で俺にもチョコ1個分けて下さい」
色無の部屋に会社で配る予定だった群青の【義理チョコ】が山のように積み重ねられ……
黄「色無〜おはよう〜!」
無「なんだ、黄色。チョコでもくれるのか?」
黄「何言ってるの?2月14日と言えば……」
無「2月14日と言えば?」
黄「カレーの日に決まってるでしょ?」
無「おい、お前勝手にそんな日作るな!wwwwwwwwwwwww」
黄「はい、文句言わずにさっさと食べる!」
無「朝からカレーかよ。全くお前にだけはかなわないなぁ……」
黄「あーあー、聞こえない。それじゃ私はこれで。さらばだ、また会おう!ワハハハ……」
1分後
無「美味いからいいけどさ。でも、今回のはちょっと甘いような気が……」
2分後
黄「えへへ。1番最初に食べさせるためチョコ入れてやった。色無、気がついたかな?」
2月14日
今日も夕日が沈む。
赤く染まった街並を、茶色は学校の屋上から憂鬱な気持ちで眺めていた。
自分の想い人を胸に描いて。
『あの人は皆から慕われている』
それはとうにわかっていた事。
『だから、あれはあたりまえのこと』
今日、彼は様々な所で、綺麗なラッピングをした包みを持っている女の子達に話し掛けられていた。
だからつい駈け寄る機会を失ってしまい、彼女は朝からそれを渡し損ねていた。少し不恰好な小さなハート型の小箱を。
『私だって……色無さんのこと……』
いつも頑張りやの茶色でも、こればっかりはどうしようもなかった。
視界が段々ぼやけてくる。
今、目を瞑ればきっとこぼれる。
俯くと校庭が朧に目に映った。
おもわず、瞬きした。瞬きをした瞬間、透明なそれはキラキラ光って落ちていった。
彼だ。彼がいる。
隣にいるのは、もちろん自分なんかじゃなくて
「白……ちゃん……?」
これもわかっていたこと。そう、わかっていたことなのだ。なのに、涙は止まらない。
つつましく、微笑みあいながら学校を去る二人の姿を、彼女は溢れる涙をぬぐおうともせず、見えなくなるまで眺めていた。
灰「……」
無「灰……?」
灰「どれ、恵まれない色無くんのためにチョコをやろう」
無「顔を真っ赤にしながら言うセリフじゃないな」
灰「あ、そのチョコレート私に?いっただっきまー」
男「待て!バレンタインで女にチョコやる男がどこにいるか。それは俺のだ」
灰「いいじゃんこんなにいっぱいあるんだしぃ」
男「ダメなもんはダメなの。みんな真心こめて作ってくれたんだから。俺がちゃんと思いを噛み締めながら食べるんだ」
灰「ん、うまい」
男「ってお前食ってんじゃねぇよ!!あ〜あ……それ橙のじゃん……なんか申し訳ないわ」
灰「大丈夫、一口しか食べないから……そうほら、あれ。毒見毒見」
男「毒見って……」
灰「なんか変なもん入れられて、私の色無がお腹壊しちゃったらいやじゃん」
男「いつからお前のもんになった……」
灰「ん、嫌?大変名誉なことであるぞ。誇りに思ひたまへ」
男「ははぁ、ご主人様」
灰「よろしい。では、主従の契りの記念として、これを授けよう」
男「……板チョコ?」
灰「ちゃんと作ったんだぞ。形なんてどーでもいいじゃん、板が一番簡単なんだもん」
男「うん、まぁもらえるとは思ってなかったからすごく嬉しいんだけど……なんかぐにゃぐにゃしてない?」
灰「……あ、それ……」
男「……そうだな、お前今こたつの中から出してたよな」
灰「……しまった……」
男「頭いいくせに変なところ抜けてるな……」
灰「……」
黒「あら?あんたまた新しいゲーム買ったの?」
灰「そだよー……」
黒「お金持ちなのねー。月末どうなっても知らないわよ」
灰「そのへんは心配御無用。アテがありますから」
黒「?……まぁいいわ」
黄「灰色ちゃん、お願い!」
灰「はいよー。どのくらいでいいの?」
黄「5分もあれば十分だから!」
灰「じゃあ、色無が帰る準備を始める前にトイレに行った後だね。あの時間帯はいつも一人でいるよ。呼び止めれば5分ぐらいいけるんじゃないかな?」
黄「わかった!ありがとう!はいこれ料金ね!」
灰「毎度ありー。さぁさぁ、色無に二人っきりでチョコを渡せるポイントを知りたい人は他にいないかなー?」
黒「……なるほどね、こんなことしてたんだぁ……」
灰「はっ!?姉者!!」
黒「灰色ぉ……」
灰「ごめんなさいぃ!」
黒「……私にも情報を頼むわ。出来れば10分ぐらいの少し長めで」
灰「……へ?あ、毎度ありぃ!」
2月14日 8:30 寮の食堂にて
無「青、おはよう!チョコレートは?」
青「な、何考えてるのよ!? 誰があんたなんかに!」
無「そうですか。失礼しました、はい。それじゃ、行ってきま〜す」トボトボ
青 (しまった、ついいつもの調子で……)
2月14日 18:30 通学路の途中にある橋の上にて
青(あ〜あ、今更渡させないし。捨てちゃおっか)
無「おい、青。何してるんだ?この時期の高飛び込みは危険だぞ」
青「どうして私がこんな汚い川に飛び込まなきゃいけないの!?バカじゃない?」
無「それもそうだな。ところで何だその箱?もしかして……」
青「わ、渡すの忘れちゃって。ゴミになるから捨てるの!」
無「川にゴミ捨てちゃだめだぞ」
青「まあ、ゴミでよければアンタにあげるわよ!」
無「義理ゴミですか? そうですか……ププププ」
青「あんたにはゴミがお似合いね」
無「青がくれるんだったらゴミでも大歓迎だよ!」
青「何言ってるの!? この変態!」
同時刻 物陰にて
橙・桃「あちゃ〜。ここまでされちゃうと冷やかしようがないわね……」
焦「はいコレ」
無「あ、ありがとうございます。って何で包み紙開けるんですか」
焦「まぁまぁ」(ガサゴソ)
無「って中身まで……しかも何故に口にくわえているんですか?」
焦「せっかくだから『口移し』でやろうと思ってね」
無「なっ!?」
焦「ほらほら、私のほうは準備オーケーだぞ」
無「いや、いいですって!自分で食べますから」
焦「恥ずかしがらなくてもいいだろ。じゃあ私が食べさせてやる」
無「いや、本当に大丈夫ですから!焦茶さん!」
焦「……私のことが嫌いなのか?」
無「え?」
焦「だから私のチョコなど食べたくないのだろう?」
無「そういうことでは……」
焦「じゃあいいんだな!」
無「えっ?(ガバッ)うわっ!?」
焦「ん〜〜〜〜」
無「ッ!!!!!!!!!!」
焦「ぷはっ、ごちそうさまでした」
無(シクシク……犯された……)
焦「色無、私の愛だ。受け取ってくれ」
無「あ、焦茶さん。チョコくれるんですか?」
焦「キミはあまり甘くない方がいいんだろう? だからビターチョコにしてみた」
無「うわ、嬉しいです。ありがとうございます」
焦「それでだ」
無「……?」
焦「チョコを味見し終わったら私を味見してくれないか? なに、心配はいらない。私ならいつでも準備は出来ているから」
無「……(これが無かったら完璧なんだけどなぁ……)」
男「贅沢は敵だ!」
無「うわっ!? 一体どこから……」
男「俺なんて、俺なんて……うう」
侍黒「何を言っておる貴様には某がいるではないか」
男「えっと……」
侍黒「照れるな、某まで恥ずかしくなってくる」
無「……出て行ってもらえませんか?」
紫「色無」
無「何だ?」
紫「その……はい、これ……。」
無「これは?」
紫「み、見ればわかるでしょっ!バレンタインの……チョコ……だよ。」
無「アホ、んなもん分かるよ。俺が聞きたいのは本命なのか義理なのかってことだ」
紫「えっ?」
無「ホワイトデーのお返しもしっかりしたいからな」
紫「……そこなの?」
無「ん?どうした?」
紫「そっか、そうだよね。あたしの他にも可愛い女の子たくさんいるしね。別にあたしの気持ちを知っても失礼のない断り方をする為に……」
無「なに言ってんだよ。俺は紫の気持ちに精一杯応えたいから聞いたんだ」
紫「……本当?」
無「あぁ。フライングしてもいいなら今ここで伝えてやるけど?」
紫「えっ?!そ、それって……その……」
無「どっちがいいんだ?待つか?今か?」
紫「……今がいい。」
無「そっか。本当に俺なんかでいいのか?」
紫「うん。他の子にとられたくないから今聞こうと思ったんだよ」
無「……じゃあ、言うぞ」
紫「……うん(ドキドキ)」
赤「色無ー、これいる?」
無「そっ、それは!もしやチョコレートでは?!」
赤「ふふーん♪欲しかったら僕を捕まえてみなよ(ダッ)」
無「あ、待てこら!」
赤「っはぁ、はぁ……な、なかなかやるね……色無……」
無「おっ……俺のっ……チョコが……かかってる……からなっ……」
赤「こ、これ……あげる……ね」
無「あ……あぁ……ありが……と……う(パタン)」
赤「あ、倒れちゃった」
無「なんてことになるかと思ってビクビクしてたよ」
赤「もう、いくらボクだってそんな酷いことはしないよ!色無のばか!」
無「はは、ゴメンゴメン」
赤「お、美味しくなかったら……ゴメン、ね?」
無「美味しくなくても無理して食べるよ」
赤「むー、それじゃボクのチョコ美味しくないみたいじゃん!」
無「あ、いや……そういう意味じゃ……」
赤「なんてねっ♪」
無「なんだよ、からかうなよ……まったく」
赤「ふふふ、色無面白い♪」
無「そうか?」
赤「うん」
無「なんかバカにされてるみたいな感じだなー」
赤「そんなことないよ?多分」
無「多分ってなんだよ、多分って」
赤「さぁね。なんだろうねっ♪……ホワイトデーのお返し、楽しみに待ってるよ?」
無「あぁ、期待しとけ」
赤「うん。あ、早朝ランニングに付き合ってくれるのがお返しでもいいよ?」
無「……それだけは勘弁」
「相変わらずゲームか」
「別にいいじゃん……」
「いや、悪いとは言ってねぇけどよ」
寝る前にコタツで温まりながらゲームをするというライフスタイルを灰は今日も崩すつもりはないらしい。
「……」
「……」
沈黙もいつものこと。会話は二三あるが、それも途切れ途切れ。別にいつもの事だから気にしていない。それになんだかこの感じが心地好いし。
「ね、チョコ貰った?」
おもむろに聞いてくる。
「いや、……?」
そういや今日はバレンタインデーだったか。すっかり縁がない所為か忘れていた。
「……昔は黒とかにも貰ってたんだけどなー。最近じゃ照れてるのかちっともくれなくて」
「……それは照れてるんじゃなくて、単にモテないからだと思う」
「ぐっ……」
こいつ……素で返しやがって……そんな事は俺が一番解ってるっつーの。
「……」
おもむろに灰が立ち上がる。何かと思って見ていると自分の机の引き出しから何やら綺麗に包装された……これは……。
「まさか……」
「きっと誰からも貰えないと思って」
「お情けですか……」
「……だから色無はモテないんだよ」
「は?」
「さぁて、続き続き」
「おい待てよ、どういうことだよ!」
「し〜らな〜い」
「ちょっと待て、それ教えてくれたらモテるようになるかもしれないだろ!?」
「だ〜か〜ら〜し〜らな〜い」
「あ〜気になる! 教えろ〜!」
チュン……チュンチュン……。
「朝か……」
何時の間にか寝てしまったようだ。
「まったく……限界までゲームするとかどうかしてるよな……」
俺は隣で寝ている灰と、そして自分自身にそう悪態をつく。そういえば最近ずっとこんな感じだ。……道理で成績が落ちるわけだ。授業中寝てばかりいる。
それはコイツも同じ筈だろうに何故か成績は下がらないらしい。不思議だ。
「おい灰、遅刻するぞ、起きろ」
「ん〜? まだ眠い〜」
「当たり前だろ、昨日あんな遅くまでやってたんだから……」
「おんぶ〜」
「いいや、俺はやらんぞ。この前ので懲りた」
あんな好奇の視線に晒されるのはもう嫌だ。何が何でも起こさねば。さもなくば引きずっていこう。
「だる〜」
「お前……色々と台無しだぞ、色々と……」
「何が?」
「昨日の教えてくれたら教える」
「えー。じゃあいいや、色無の考えることなんて大体解ってるし」
「な、お前いい加減に教えろよ!」
「べ〜」
真っ赤な舌を出して灰は駆けて行く。遅れを取らないように俺も駆け出した。
「はぁ……はぁ……。お前、いきなり走り出すなよ……」
「あはは、そんなに焦らなくても」
「だってお前、目を離した隙にどっかへ行っちゃいそうだから……」
「あはは、子供扱い?」
「違うよ、お前はスピードが速すぎるんだよ。1コ下なのに俺より勉強できるし、何だか大人びてるし……。気が付いたら何処かへ行ってしまいそうで……」
「————ッ!?」
「……灰?」
「……安心して、何処へも行かないから」
「……そっか?」
何でコイツは照れてるんだ……?
結局二日経っても三日経っても灰は昨日のことを教えてくれなかった。くそ、一体なんだっていうんだ。誰か教えれ。
今日も一日の修業を終えて、校門からちらほらと人影が現れる頃。特に部活も委員会も用事もない色無は、友人に別れを告げると揚々と昇降口へと早足で駆けていた。
靴箱から外履きを取り出して、内履きと履き替える。靴箱の扉を閉めたところで、校門の前に見慣れた人物が立ちすくんでいるのを見つけたのだった。
「あれは……」
とりあえずその人物へと駆けていく。
「なにしてるんだ?灰」
「あ、色無。いいところに」
灰。良く見てみればそれなりに愛らしい顔立ちを、いつもの如く気だるげに緩めていた。気だるげといってもちっとも妖艶に感じられないのは、脱力オーラの所為か、日ごろの行いの所為か。
「はい」
突然、覇気やヤル気といった類の物を感じさせない仕草で、その両手を色無に差し出してくる。
「何?なんかくれんの?」
今は2月。バレンタインも間近に迫っている。しかし差し出す両手には何も握られていない。
「おんぶ」
「おい」
「じゃ、だっこ」
「そうゆう問題じゃない!」
「え〜いいじゃん別に〜」
両手を差し出したままフラフラと近づいてくる。ゾンビみたいだ。バイオハザードか。
「自分で歩けよ」
「やだ面倒くさい。いいじゃん帰るところ一緒なんだし」
「それはそうだが俺も疲れるし、お前はおんぶされてるところを人に見られてなんとも思わないのか」
「ん〜めんどくさいよりマシ」
こいつは腐ってんじゃないだろうか? 失礼な葛藤が色無の脳裏を過ぎる。
「ほらほら〜。いっちゃん、灰を寮へつれてって
」
「タッチか。ってかいっちゃんって誰だよ」
「元気な顔してるだろ?これで疲れてるんだぜ」
「元からダル気に見える」
「も〜うざいなぁ。いいから早くしろよぉ。おんぶしろっつってんだよぉ」
なんとその場にしゃがみこんで地団太を踏み始める灰。なんとなく周囲から突き刺さるような視線を感じる。
(……みて、あの二年生。一年生の女の子イジメてる……)
(……え〜かわいそ〜……)
見知らぬ女子の声。く、違う!違うんだ!
(……あんな可愛い子侍らせた挙句に、泣かせるだと?この変態どSプレイヤーめ!)
(……くそっ!このイケメンが!ヤリチンは死ね。氏ねじゃなくて死ね)
顔も知らない男子の怨嗟の声。悲しいけど、俺、童貞なのよね。
(……色無……カワイイよ、色無……うっ)
(……色無は俺の婿)
知りたくもない男子の声。ホントに誰だお前等。
「あ〜もう!分かった、分かったよ!ほら、乗れ!」
観念した色無は灰に向かって背を向けてしゃがみこむ。
「やだ、色無ったら女の子に向かって、乗れ、だなんてやらs「いいから!」
「わかったよ〜怒んなよ〜」
色無は背中に灰の重圧を認めるや否や一目散にこの場を立ち去った。
学校の敷地から幾分か離れたところで、色無はその歩みを緩めた。色無の上下動に合わせて灰も揺れる。
「はぁ……これでいいんだろ、灰」
「うむ、良きに計らい。褒めて使わそう」
「あんま舐めてっと相手にしてやんないぞ」
「いいよ別に。結局なんだかんだで相手にしてくれるのが色無なんだし」
「ははは、こやつめ(ビキビキ)」
色無は、よっ、と一回腰を使って灰を持ち直す。当然、灰もそれに合わせて持ち上がり、色無の背中とより密着する事になるのだが。
「ねえ色無」
「あ?」
「只今ポイントCを目下進行中の胸を押し付けているわけですけど……」
色無をからかうつもりの灰。意地の悪い顔をしている。なんか先程とは打って変わった生き生きとした顔立ちだ。
しかし、色無はそんな灰の思惑を思いっきり外してくれた。
「……だから?」
「……あれ?それだけ?」
挙句
「何だ?何か反応して欲しかったのか」
と、聞き返してきた。灰からは見えないが、きっとその顔は勝ち誇った得意気な気持ちが全体に現れている事だろう。
内心悔しい気持ちで一杯だった灰だが、別に、とだけ返しておいた。
しかし、全く反応してくれないとは……やはりポイントFまで行かなければならないのだろうか?いや、せめてDか。だが待てよ。お姉ちゃんや紫ちゃんの聖域であるポイントAまで後退するという手段は……無理か。人間的に考えて……。
と、ここまでが灰の思考。ブツブツ……
「……いや、その、なんてゆうか……慣れちまったんだ」
灰がブツブツ呟いているのを怒っていると勘違いした色無が少し焦った声音で弁解する。
「なんだかんだで一年近くこうしてるんだからなあ」
一年。もうそんなになるのか。そういえばこの背中は一年で心なしか一回り大きくなったような気がする。灰は頭ごと背中にもたれかかった。
「人間、恥じらいを無くしたら倦怠期は目の前だよ。いつまでも女の子の身体にドキドキする心を持たなきゃ」
「そう思うんならそっちこそ少しは恥じらいを身に着けてくれ。お前は俺の部屋でエロゲ展開繰り広げすぎだ」
「それはやだ」
しかしここまで免疫を付けさせてしまうとは……さて、どうやってこの男をアタフタさせてやろうか———などと灰が考えていると、ふと、通りかかったコンビニの広告の垂れ幕が目に入った。
(バレンタインフェア……か)
コンビニのウィンドウ越しに並べられた数々のチョコレートを見やる。本命物から義理までサイズは様々だ。
(本命クラスのチョコを渡したら少しは反応してくれるだろうか?)
ウィンドウを見つめていると、成人雑誌を立ち読み(多分性的な意味でも)しているお兄さんと目が合いそうになってしまったのでさりげなく顔を反転させる。
(よし……やってみるか)
少しよじ登って、色無の肩にアゴを乗せる。そして、目の前に存在する色無の耳たぶを甘噛みする。ちょっとしたサプライズだ。
「なー色無ー」
「いてぇ、なんだよ」
「帰ろう」
「帰ってんじゃねぇか」
「そうじゃないって。早く帰ろうって」
早く帰って、台所を占拠しよう。なんだか楽しくなってきた。
灰は色無の首筋に絡めた両腕を更にきつく引き寄せ胸を押し当て、色無を催促させたのだった。
水「あ、あの、色無クン」
無「なに?」
水「こ、これ」
無「もしかして……おお、これがかの有名な恋愛感情ゼロでも頂けるという、和を以って尊しとなす日本社会名物、義理チョコかぁ!」
水「あ、あの……」
無「ありがとう!たとえ義理でも俺、うれしいよ!」
水「も、もし、本気だったら……」
無「黄色とかと違って水色は真面目なんだからさ。冗談は……」
水「ぎ、義理なんかじゃないもん」
ハァハァ ゼイゼイ
無「ほ、本当?」
コクリ
無「み、水色。お、俺……」
黄「ゴラァ! 色無、水ちゃん虐めちゃダメじゃん!」
ドガ!
無「ゲフォ! 何しやがる!?」
黄「ほれほれモテナイ君。黄色ちゃん特製カレー粉入りチョコだよ! もちろん義理だがありがたく思うように。それじゃ!」
無「黄色、てめぇ……待ちやがれ!」
橙(黄色GJ!)
青(抜け駆けなんて許さないから!)
緑(今年も壮絶な戦いになりそうね)
桃(早く帰って作戦練らなきゃ……)
「あ、色無く〜ん!」
休み時間の廊下、いきなり後ろから抱きつかれ色無はバランスを崩す。
「わわ!? 桃!?」
「へへ〜」
たっぷり40秒程抱きつかれる。その間たわわに実った果実は当然背中を甘やかに攻撃し続けるわけで……。
「こら、いい加減離れろよ!」
「あ、もう……」
決死の抵抗によってなんとかそれを制する。こうでもしないと色々とやばいのだ。
「むぅ……」
子供のように頬を膨らませ抗議の意を示す桃。あどけないルックスと相まってとても愛らしい。
「お前なぁ、いきなり抱きつくなよ……」
「えへへ、だって色無くんの姿が見えたから……」
いったいどこまで狙っているのか、或いは天然なのか。喜色満面といった様子でそう答える。
いずれにせよ出会い頭の30秒程で甘やかな香りに蕩かされる男になど判断はつかないのだ。
「えっとね、チョコ作ったんだ♪」
そう言って桃は色無の前にチョコを差し出す。
「お、おお。ありがと……」
「ミルクを多めに入れたから、きっと味がまろやかだと思うんだ♪」
「み、ミルク……」
色無の視線が桃の胸に注がれる。先程から胸を強調する姿勢をとったり、両腕でさり気無く寄せてみたり桃の胸は弛みなく動いていて、まぁ無理もないのだが。
「……」
桃は色無の視線に気付いたのか悪戯っぽい笑みを浮かべ、
「ふふ、桃の愛情たっぷりなんだからね?」
そう言ってぎゅっと自慢の胸を強調した。
「——ッ!?」
「きゃっ!?」
ポタ、ポタタタ。辺りは血の海。その中心には色無がいて。
「ちょっと!? これどういうこと!?」
紫が叫べば、
「まぁ〜たやってるのね……」
呆れた声を緑が出す。
「あ……おっぱいが……いっぱい……」
大量に鼻から血を垂れ流しながら色無はうなされるようにそう呟く。
「あう……ちょっとやりすぎちゃった……」
「ま、童貞には刺激が強すぎたわね」
橙が傍からそう口を出す。桃はおろおろするばかり。
「だ、だれか〜!」
うろたえる桃をよそに色鉛筆たちはそれぞれ楽しそうに眺めていた。穏やかでちょっぴり刺激的な色鉛筆たちの日々はこうして今日も過ぎていった。
朱「なぁ、姉さん」
群「なに?」
朱「色無のことなんだけどさ」
群「彼がどうかしたの?」
朱「アイツがバレンタインで貰った数、軽く10を超えてるじゃん」
群「……そうね。それで?」
朱「いやさ、お返しどうするのかなって」
群「お返しというと、ホワイトデー?」
朱「うん。アイツのことだし、全員に返さなきゃいけないって思ってるだろうから……気の毒に思えてね」
群「それは……確かにそうね」
朱「かと言ってこればっかりはヤツらに遠慮しろとも言えないもん。多少の違いはあれど、本気でしょ?」
群「……でしょうね」
朱「あーぁ、まったく罪な男に惚れちまったもんだね。あたしたち」
群「お返しはいいって言っても聞かないでしょうね、色無くん」
朱「金のかからないお返しをしてもらえばいいんだけどなー」
群「でもそれ、例えばどんなお返しがあるかしらね……」
朱「ベタなとこで『俺のホワイトを受け取って』とかじゃない?あたしはそれでいいんだけど」
群「お酒も入ってないのに変なこと言わないの!」~(ギリギリ
朱「あだだだだッ!ご、ごめんなひゃいッ!」
群「ったくもう……」
朱「いてててて……。 でも、姉さんだって欲しいでしょ?正直な話」
群「……」
朱「ちょちょ姉さん、無言でアイアンクローはやめっ、いたああああああぁーッ!」
『苦いチョコと、甘いクリーム』
無「はぁ……」
薄「どうかしたんですか?」
無「ああ、薄黄ちゃんか……はぁ」
薄「……私でよければ、相談に乗りますけど」
無「大丈夫。って言いたいけど、今回はちょっとそうも言えないかも」
薄「そんなにも、悩み事があるのですか?」
無「……贅沢かもしれないけど、バレンタインが嫌いだから」
薄「?」
無「今まで黙ってたけど、俺、甘いものが苦手なんだ」
薄「そうだったんですか……どおりで、色無さんは私にかぶりつかないと思いました」
無「いや、あいつらが異常だから」
薄「あ、そうですね……ごめんなさい」
無「……はぁ」
薄「……」
無「……」
薄「色無さん」
無「?」
薄「これ、一日早いですけど、どうぞ」
無「これは……」
薄「今年は何も作れなくてごめんなさい。……これくらいしかあげれなくて」
無「いや、ありがとう。義理でも、俺の好みのチョコだから嬉しいよ」
薄「……」
無「……?」
薄「……もし、そのチョコが本命だったら、どうします?」
無「え……」
薄黄・無「……」
「今駅前だからもう少しで帰れるわ。それと夕飯は食べちゃったから……ごめんね」
「わかりました。もうかなり遅いですし、気を付けて帰ってきてくださいね」
「ありがとう、それじゃ」
そう言って彼女、群青は電話を切り携帯電話を鞄のなかにしまい込んだ。
鞄から手を抜くときに鞄の真ん中に大事に入れてある真っ赤な包みに手が当たって群青は苦笑する。
昼休みの時間を削って洋菓子店まで走って買ったチョコレート。休憩時間の終わる直前までさんざん悩んで、結局店で一番高いモノを買ってしまったのである。
まだ彼氏にもなっていない男の子にあげるには少し気張りすぎたそれを軽く撫で、群青は寮への道を急ぐのだった。
「おかえりなさい」
寮の玄関でコートを脱いで腕にかけ、食堂に顔を出した群青を迎えたのは黄緑ではなくエプロン姿で皿洗いをする色無だった。
「ただいま、黄緑ちゃんは?」
「先にお風呂に行って貰いました。なんだか今夜は冷えますし」
「そうね、今日は寒かったし私も温もらせて貰うわ」
そう言いながらも彼女は荷物を床に置いて自分の席に座って食器を洗う色無の背中をじっと眺める。色無は嬉しそうににこにこと笑いながら、それでも落ち着かない様子で食器を洗い終えた。手を拭きながら群青に振り返る。
「……何か暖かいものでも飲みます?」
「それもいいけど、ちょっとこっちに来てくれないかしら」
色無は何でしょう、と小首を傾げながら群青の隣の椅子に腰掛けた。群青の予想より色無が近くまで寄ってきたせいか群青の顔はやや赤くなった。
それでも彼女は鞄から赤い包みを取り出した。
「バレンタインだから、ね?こんな年上にもらっても嬉しくないかも知れないけど」
そう言って自分の気持ちを誤魔化しながらもチョコを渡す彼女の耳は赤く染まり、手は僅かに震えていた。
その姿はまるで目の前の少年と年の変わらない少女のようで。そうしてチョコを受け取った色無の方も耳まで真っ赤に染まり、口元がゆるむのを隠せていない。
「有り難うございますっ!!」
「こら、ちょっと声が大きいわよ」
10時を過ぎようかという頃合いにも関わらず大声を出した色無をにこにこと微笑む群青が優しく諫め、2人は小さな声で笑いあった。
「えーと、群青さん俺の方からもちょっとプレゼントがあるんですけど」
笑いが収まってから、どうにかこうにかといった調子で色無は幸福の絶頂から立ち直り、きょとんとした表情の群青を置いてキッチンの方まで戻っていく。
色無の意図がつかめない群青はきょとんとした表情でしゃがみ込む色無を眺めた。
ダイニングキッチンになっていて、カサカサと物音はするものの色無の姿は群青からは見えない。そして色無は目をつぶるように群青に頼み、彼女はそれに従う。
そしてカサカサと言う物音と色無が自分近くに戻ってくる気配を感じた後に、ふわりとした柔らかな香りがするのを群青は感じ取った。
「もう目を開けてもいいですよ」
目を開けた群青の目の前にあったのは少々蕾混じりの真っ赤な大輪のバラの花束だった。
「え、これって……?」
「海外だと男もバレンタインにこうやって贈り物をするらしくて、やってみようかなと」
思わず目を丸くして問い返す群青。はにかむように色無は微笑んだがその目はじっと群青の瞳を見つめていた。
「ありがとう、こんなステキなバレンタインは初めてよ」
にっこりと、先程とはまた違う笑みを群青は浮かべ、その笑顔を見た色無は決心が付いたのか急に真剣な顔をして、群青に問うた。
「群青さん、薬指に指輪をする予定ってありますか?」
「え?もう、なにを聞くのよ?年上をからわない——————」
「あるんですか?ないんですか?」
「……ないわよ。これまでも当分先も、ね」
急に突っ込んだことを聞く少年に少し苛立ちを感じたが、そっぽを向きつつも彼女は正直に答えた。
それを聞いた色無は安堵の表情を浮かべて彼女の手を取り、薬指にそっと口づけをする。
「なら、もうすこしだけ、空けといてください」
「……はい」
さきほどから彼女は恥ずかしがったり笑ったりとコロコロと表情を変えていたが、今度は目の端に涙を浮かべながらにっこりと最高の笑顔を色無に見せたのだった。
「チョコ〜、チョコいかがっすか〜。取れたて新鮮なチョコ——あいたっ!」
「八百屋さんや魚屋さんじゃないんだから、馬鹿な呼び込みしないの。バレンタインを明日に控えた今日が売り時なんだから、まじめにやらないとバイト代出さないわよ」
店長に後頭部をはり倒され、色無は顔をしかめて恨めしそうな視線を向けた。
「いや、そうは言ってもこの寒空の下で店頭販売なんて、威勢のいい声でも出さなきゃやってられないですよ」
「男の子でしょ。暖冬なんだからこのくらいの寒さ、我慢しなさいよ」
「いや、暖冬でも冬は寒いもんなんですけど……だいたい、なんでウェイターの俺が今日に限って売り子なんですか?」
「それはね……」
店長が口を開いたそのとき、近くの停留所にバスが止まり、中からどっと女子学生の一団が降りてきた。店頭売り場にみるみる人だかりができる。
「あ、これかわいいかも!」
「どれどれ? えー、こっちの方がよくない?」
「義理なんだし、こっちの300円のでいいって」
「ねえねえ……この人、ちょっとかっこよくない?」
「あ、私も思った!」
「声かけてみよっか」
「あの、お兄さん。どこの学校ですか?」
「ちょっと、抜け駆けずるーい!」
黄色い声が色無を包囲する。寮生活で女の子の相手をするのには慣れている色無だったが、その勢いにさすがにたじろいだ。
「あ、その、申し訳ありませんが勤務中ですので、個人的な質問にはお答えしかね——」
「はい、本日お買いあげの方には、特別にこの子のプロフィールをお教えしまーす! さらにチョコレートをくれた方には、ホワイトデーにお返しがあるかもしれませんよ?」
「ウソ、マジ!?」
「じゃあ私これにしよーっと!」
「はいこれあげるー」
「それ一番安いやつじゃん」
「あの、これ義理じゃないですから……」
「あんたまた一目惚れ?」
黄色い声のトーンが一段階上がった。色無の手に次々とチョコが押しつけられる。無敵の彼女たちが立ち去ると、呆然とする色無とほくほく顔の店長だけが残された。
「……とまあ、こういうことがあるから君を売り子に抜擢したのよ。いやー大繁盛。やっぱりバレンタインの売り子はかっこいい男の子に限るわね」
店長の言葉に、色無ははっと我に返った。
「勝手に俺の個人情報売り物にしないで下さいよ! それにホワイトデーのお返しってどうするんですか!」
「大丈夫よお、名前と学校名しか教えてないから。お返しのことだってすぐ忘れちゃうわよ。もし取りに来たらお店でちゃんと用意してあげるから」
「頼みますよ……ただでさえ来月は出費がかさみそうなんですから……」
がっくりと肩を落としてため息をつく色無を見て、声をあげて笑う店長。それが不意に止まると、店長は声を潜めて色無に尋ねた。
「ねえ……それって、もしかしてあの子が何か関係あるの?」
「え? あの子って……あ! 青!?」
「……バイトだって聞いてたんだけど。ずいぶんたくさんチョコもらっちゃって、嬉しそうねえ……」
店長の視線の先にいた青は、色無と目が合うとわずかにほほえみ、低い声でそう言った。二月の風が吹き、色無は一つ身震いをした。
日が落ちて二時間弱。店頭売り場には微妙な緊張感が漂っていた。
「……ねえ、あの子何とかならない? ずーっと売り場の前でどす黒いオーラ出されてちゃ商売あがったりなんだけど」
「そう言われても……」
「それにさあ、私が『色無くん個人情報キャンペーン』の宣伝しようとするとすっごいにらんできて恐いのよ」
「いや、それは宣伝しなくていいです。まあ、とりあえず声かけてきますね」
ひそひそ話をしているあいだも、確かに青は二人の方をにらんでいた。視線で人が殺せたら間違いなく前科二犯だ。
色無が歩み寄ると、青はわざとらしく携帯をいじり始めた。
「なあ、何やってんの? そこにいられると商売の邪魔だって店長が……」
「友達待ってるのよ。そっちが勝手に路上で商売してるんでしょ。たとえお店の前でも、無許可で歩道を占拠したら違法なんだからね」
「いや、それはそうかもしれないけど……友達って誰だよ? 寮の誰かか?」
「色無には関係ない」
とりつく島もないとはまさにこのこと。それでも色無は懸命に妥協点を模索した。
「じゃあさ、店の中で待てば? ここは寒いし、うちの店イートインスペース広いしさ」
「おなかすいてないからいい。いいからほっといて」
努力むなしく、交渉はあっけなく決裂した。色無はとぼとぼと売り場に戻った。
「友達待ってるから動けないそうです」
「は? 君、それ本気で信じてるの?」
「? どういう意味ですか?」
きょとんとする色無に、店長は頭を押さえながら追い払うように手を振った。
「はあ……もういいわ。今日は上がっていいから」
「え、でもまだあと一時間くらいありますけど……」
「どうせもう売れっこないからいいわよ。ちゃんとバイト代はいつも通りつけとくから。ほら行った行った」
ためらう背中を乱暴に押して、店長は色無を事務室に押し込んだ。
「青、俺バイト終わりになっちゃったから先帰るな」
着替えを終えて出てきた色無は、ガードレールにもたれて暇そうにしている青に声をかけた。
「そう。思ったより早かったわね」
つまらなそうにそう言うと、青はスカートのおしりを軽く払い、色無の隣に並んで歩き始めた。
「あれ? 誰かと待ち合わせてたんじゃなかったのか?」
「ドタキャンされたのよ。ほら、暗い夜道を女の子一人で歩かせる気? どうせ帰るところは一緒なんだから、さっさと歩きなさいよ」
「お、おう……」
釈然としないものを感じつつも、色無は先を行く青の後ろ姿をあわてて追った。
「……今から尻に敷かれてるようじゃ、色無くんも先が思いやられるわねえ……」
店頭売り場を一人で片付けながら、店長はやれやれと苦笑した。
「おなかすいた」
帰り道、不意に青が足を止めた。
「はあ? お前、ついさっき腹減ってないって言ってたじゃん」
「急にすいたのよ」
「もうすぐ寮につくし、我慢しろよ」
「だめ。我慢できない。今すぐ何か食べたい」
いつになくだだをこねる青に、色無は呆れて頭をかいた。
「そんなこと言ったってなあ……もうコンビニもマックも通り過ぎちゃったし……」
「それちょうだいよ。チョコ。客からもらった義理チョコなんだし、いいよね」
「え……っておい、ちょっと待て——」
制止の言葉も聞かず、青は色無が持っていた手提げ袋をひったくると、中に入っていたチョコレートの包みを乱暴に開け始めた。
「あ、あ〜……ほんとに食いやがったよ、こいつ。まあいいけどさ。確かに、もうくれた子の顔も覚えてないしな」
「ふーん、色無のバイト先にしちゃけっこういい味出してるじゃない。これなら当分楽しめそうね」
「全部食う気かよ!? 俺がもらったんだから少しは俺にもよこせよ!」
「……じゃあ、一個だけあげるわよ。ありがたく受け取りなさい」
横を歩く色無の方を見ずに、青は乱暴に四角い包みを投げてよこした。
「おわっ! あぶねえなあ、落とすところだった……あれ? なあ青、これうちの店のじゃないみたいだけど」
「……じゃあ、誰かが自分で用意したやつなんでしょ」
「手紙もついてる。何か手作りっぽいし……義理とは思えないな」
「じゃあ……本命なんじゃないの。明日の本番にはたくさんもらうだろうから、フライングで渡しちゃえ、って思ったのかもね」
通りは暗くて互いの顔もよく見えなかったが、たぶんどちらも真っ赤になっていただろう。
「そっか。それじゃ大切に食べないとな。さ、早く帰ろうぜ。あ〜もう、今日は最高だな! ひゃっほう!!」
「わ、ちょっとひっぱらないで! あんまりはしゃぐな、恥ずかしいでしょ!」
青の手を取り、色無は歓声を上げて走り出した。
灰「こちら危険物処理班。被処理物ナンバー3、異常なし!」
黒「よくやった。次だ」
灰「ナンバー4。包装が厳重です」
黒「慎重に開封しろ。念のため防護服を着ておけ」
灰「了解」
男「……何やってんだお前ら」
灰「この部屋の主が帰還したようです」
黒「何って……見たらわかるでしょ?」
男「人のもらったチョコを荒らしてるようにしか……」
黒「荒らしてるだなんて。安全を確認していると言ってほしいわ」
男「だからなんで……」
黒「寮の子たちからもらった分は安全だけど、クラスの人たちからもらった分は安全かどうかわからない。毒でも入ってて色無に倒れられたら困るじゃない」
灰「我々は常に危険と隣り合わせであります」
男「そんな人いないと思うけど……っていうか灰色、その頭に被ってる鍋はなんだ」
灰「特製強化ヘルメットであります」
男「……へーぇ」(ガンッ
灰「ぬぁぁぁ!打撃音が鍋の中にこだまするぅ!」
黒「灰色隊員、早く次の作業に入れ!」
灰「……了解!……ん?こ、これは……」
黒「!隊員、それをこちらに!」
灰「どうぞ!」
くしゃ
男「ん?今何かあったの?」
黒「いや、私の見間違いだったみたい。灰色、続けて」
灰「ラジャー了解!」
男「……?」
黒・灰(他の女からのラブレターなんて渡させるもんか……!)
「あ、あの!」
帰ろうかと鞄を肩に掛けたとき声を掛けてきたのは水色で、
「……水ちゃん?」
真っ赤に顔はなり、うるうると涙目。今にもぽろぽろと零れ落ちそう。
「ば、ばれんたいんでーなので、これ……ほんの気持ちですっ」
そう言って可愛らしく包まれたハート型の箱を差し出す。小さな手で大きな箱を落とさないように両手でしっかとつかまえて。
「あ、ありがとう……」
「はう……」
「あっ」
水色は耳まで真っ赤になったかと思うとパタパタパタと逃げるように駆けて行ってしまった。
「……あれ? なんかカードが挟まってる……」
花模様のメッセージカード。中を開くとそこには小さな控えめな文字でこう書かれていた。
色無くんへ
いつも話しかけてきてくれてありがとう
恥ずかしくてちょっとしか話せないけど、でもでも、とっても嬉しいです
もし良かったらこれからも仲良くしてください
水より
それから早一ヶ月。世間はホワイトデーの真っ最中で。
「水ちゃん、これ」
「えっ? 私に……?」
「ホワイトデーだからさ、お返しに」
そういうと色無はクッキーの入った袋を渡す。小さな身体が暖かくなって。水の心はパァーッと明るくなった。
「あ、ありがとう……」
「それじゃあね」
「え……?」
そっけなく色無は行ってしまって。しょんぼりとする水色。
「あれ……? メッセージカードが入ってる……」
それは水色の大好きなひまわりのメッセージカード。
水ちゃんへ
いつも話し相手になってくれてありがとう
優しい水ちゃんが好きです
もし良かったら今度一緒に遊びに行きませんか?
水ちゃんと一緒だったらきっと楽しいと思います
色無
「あう……色無くん……」
涙が零れたけどそれは緊張からくるものじゃなかった。
カチッ
時計の機械的な音とともに、二月十四日は過ぎていった。
色無は笑顔でその日を迎えることが出来た。
「思えば去年は散々だったからなー……」
ベッドの上でポツリともらした独り言は、部屋中の甘い香りの中に溶けていった。
今年もらったチョコは15個は軽くある。
「寮ってこういうときいいよな。義理でもいっぱいもらえるし……」
それらのほとんどが義理ではなく本命という事を、鈍いこの男は気付きもしない。
ガシャン!!
鈍い音が真下の一階にある台所から響いた。いや、響いたといってもかすかに聞こえる程度で、だが。
『何だ?……まさか……泥棒!?』
色無はベッドからそろそろと移動すると、押入れの中からバットを取り出した。
『マジで泥棒だったら……男の俺がどうにかしなきゃだよな……』
最悪の事を想定すると冷汗が頬を伝った。
あくまでも音を立てないように、慎重に、でもなるべく早く、色無は台所に向かった。
台所には灯りがついていた。
そして中から聞こえてくる声は……
「……ゥ……ヒック……ック……フゥゥ……」
『……すすり泣き?』
色無は音を立てないように少しだけ扉を開けた。
そっと中をのぞくと、そこにいたのはエプロンをつけて床にしゃがみこみ、声を出さないように泣いている茶と、その周りを取り囲むように割れたり、中身がこぼれたりして床に散乱している調理道具類……。
こぼれている液状の物からみて、茶色が何をしていたかは一目瞭然であった。
「チョコ作ってたんか」
その言葉に茶は泣いて真っ赤になった顔をあげて、声の主を確かめた。
いつの間にか自分の真正面に立っていた人物は、この寮唯一の男・色無。
茶は真っ赤な顔をさらに真っ赤にさせた。顔から火を出しそうなほどに。
色無はしゃがむと、おもむろに床の道具類を拾い出した。
「ぁっ……じ、自分でやります!」
やっとの思いで出た声は少しかすれていた。
「茶さん……」
おもむろに色無が口を開く。
「っはい!!」
茶はいかにもいっぱいいっぱいという感じに答えた。
お構いなしに色無は続ける。
「もう二月十四日過ぎちゃったよ?」
「……エ?」
それは茶色には予想だにしない一言だった。
まだ、まだ間に合うと思っていたのに……。
「今日学校休んだよね。なにかあっ……」
色無は言葉を続ける事が出来なかった。
目の前の可憐な少女は、顔も隠さずに呆然と泣き出した。
「ご、ごめん!お、俺余計な事」
「ごめんなさい!!」
色無の謝罪は茶の謝罪で遮られた。
「え?」
思わず聞き返す。
「ッヒッ……ク……だ……だって……ェ……ック……ちょ、チョコ……2……ヒック、2、月十四日に……フェッ……わ、わたせなかっ……ック……」
しゃっくりが止まらないながらも言葉を続ける少女を見て、色無は恐る恐る質問した。
「チョコを……渡すって誰に??」
「イッッ……色……な、しさんっ……にィ……!!」
「!!」
思わず色無は驚いた。
茶色は自分のことなど眼中にないと思っていたからだ。
「だってぇ……ッヒク……私料理、ヘ、下手だから……今日、い、一日中……ふぇっ……頑張ってたけど……」
「……」
色無は唖然としながらも茶の言うことを聞きつづけた。
「全然……ッウ、うまくできなくってぇ……っぇく……失敗ばっかりで……全然……!!」
茶は何がおきたかわからなかった。
強い力で引き寄せられ、色無が視界から消えて……
数秒遅れて茶は状況を把握した。
自分は今、色無に抱きしめられているのだ、と。
「……馬鹿だなぁ、茶さん」
いまだにぼろぼろと泣いている茶に、優しく語り掛ける。
「っば、馬鹿って……ひ……ひど」
「学校休んでまで、一人で頑張ってくれてたんだね」
小さく、本当に小さく茶は頷いた。
「ありがとう」
色無は健気な茶が、たまらなく愛しく思えて、腕に力をこめた。
ふと、緩めて目線を合わせる。
「一緒に作ろう」
微笑みかけると、茶は戸惑ったように口を開いた。
「ぇ……でも、あげる本人に手伝わせるなんて……」
「いいんだよ」
諭すように言う色無。
「好きな子が自分の事で泣いてるの見て、ほっとける男はいませんって」
今度は茶も微笑んだ。
二人はのろのろと立ち上がると、もう一度微笑みあい、そしてチョコ作りを再開した。
……色無は見くびっていた。茶の料理の下手さ加減を。
そして予想もしなかった。たった一つのチョコを作るのに、夜が明けるまでかかる事を……。
「これでよしっと……」
「あ、黄緑さん。お疲れ様です」
明日の朝食のために米を磨ぎ終え、炊飯器のタイマーをセットし終えた黄緑の元に色無がやってきた。
「あ、色無くん。丁度良かった」
そう言って黄緑は自分の髪の色と同色のリボンを纏った小箱を渡す。
「はい、バレンタインだから」
「うわぁー、なんかいつもすみません」
「……え? いつも?」
はて、と黄緑は思った。いつもなんて私、そんなに何か渡したかしら。
「あ、いや、黄緑さんにはいつも色々お世話になりっぱなしで」
食事の用意はもちろん、家事を率先してやり、みんなの相談事にも乗ったりする黄緑はみんなのお母さん役だった。朱色からその都度お駄賃を貰っているとはいえ、とてもそれらの金額では追い付かないだろう。色無も何かにつけて助けられていた。他の色たちの喧嘩に巻き込まれたときとか。
「ふふ、私は大した事はしてないですよ?」
「いえ、そんなことないです。黄緑さんにはいつも色々してもらってばかりで……」
「ふふ、そうですか?」
柔らかな微笑み。思わずそれに見蕩れてしまう。
「……それなら、ひとつ私のお願い事を聞いてもらえますか?」
「ええ、いいですよ。僕に出来ることなら」
黄緑の言葉に色無は難なく答える。これだけみんなの為に色々してくれる黄緑のお願いの一つや二つ、聞いてもバチは当たらないだろう。
「明日一日買い物に付き合って欲しいんです」
「あ、食材の買い出しですね? わかりました」
なんだ、そんなことかと色無は思う。と、同時に不思議にも思った。そんなちょっとした手伝いくらい、ちょくちょくやっていることなのに。
「うふふ、違いますよ?」
「へっ?」
それは柔らかな笑みで。暫らく色無の心を掴みしめて離さなかった。
「でーとです♪」
「あの、チョコレートです……」
おずおずと両手を差し出す茶色い髪の女の子。そこは大好きな男の子の部屋で。
「あ、ありがとう……」
「あの、クリームちゃんに付いててもらったし、味見もちゃんとしてもらったから……多分、失敗はしてません……」
いつもの失敗を気にしているのか消え入りそうな声でそう呟く。
「う、うん、分かった」
茶には悪いと思いつつも若干の不安はあったので色無は安心して胸を撫で下ろす。
「あ、あの、良かったら味を見てくれませんか?」
「え、ここで? でも味見はしたって……」
「……でも、やっぱり不安なんです。どこかでドジをしたんじゃないかって……」
色無を見上げる顔は不安げで。
「そっか、わかった」
「それから……」
何か言い辛そうに、それでも何とか懸命に何かを言おうとする様子が窺える。
「ん……?」
「ちょ、チョコの味見をし終わったら、私も味見して下さい!」
とんでもないことを言い出した。
「な、茶? 誰からそんなこと教わったんだ?」
「えっと……お姉ちゃんがこう言ったら男の人は喜ぶって……」
(焦茶さん……後で注意しておこう……)
そう思いながら色無は茶のチョコレートをひとかけら口にした。
「あ、美味い……」
「えへへ、良かったぁ〜」
橙「14日はもうすぐだけど、サイフとの相談は進んでる?」
男「サイフよりもあげるものに困ってるのが本音だな。やっぱ喜ばれたいから」
橙「いい心がけだね。そんな色無くんには、このオレンジちゃんから秘策を授けちゃいましょう!」
男「秘策?」
橙「お金もかからない、しかも喜ばれる!まさに一石二鳥のお返し!」
男「おぉー。んじゃせっかくだし、参考までに聞かせてくれる?」
橙「もちろん。はい、まず用意するのはこれ!」
男「これって……どう見てもただのポッキーだよな」
橙「そう。150円くらいのごくありきたりなポッキーです」
男「……もう展開読めました。その案は却下な」
橙「残念でした。私はこの反応を読んでたよ。ということで根回しはバッチリなのさ」
男「根回し?」
橙「『今年のお返しはポッキーゲームにするかなーって色無が呟いてた』って、みんなにそれとなく吹き込んであります」
男「はぁ!?いや待て、それはさすがにヤバイだろ!」
橙「表向きはみんなそれぞれ違ったけどね、内心ではおんなじことを考えてると思うよ?にひひ」
男「おんなじこと?」
橙「まぁそこまで言う義理はないけど——とりあえずアドバイス料ってことで、あむっ。んー」
男「いや、『んー』って……やんないよ?」
橙「んー」
男「ダメ。やらない」
橙「……んー」
男「……あぁもう」
男「……それにしてもオマエ、このネタ好きだな。前もどっかでやった気がする」
橙「好きだよ?だってこれ、バカップルの象徴だからね♪」
ふう、さすがに疲れた。でも、狙った獲物は手に入れた。
あとは、彼女に渡すだけだ……。
コンコン
「起きてるか?」
「うん、いま開けるね」
カチャ
「お疲れ。しばらく遅くまでバイトしてるね。身体は大丈夫? 無理しないでね」
「ああ、心配かけて悪い。実は、これを贈りたくてね」
「え? これって?」
「ホワイト・デーだからな。せっかくのプレゼントだ。ちょっと頑張らなきゃ」
「開けて……いいかな?」
「どうぞ」
橙はゆっくりとリボンをほどき、そうっと包装を解いた。
「これって……ジュエリーじゃない……」
「開けてみてよ」
「……色無……これ……」
「マンダリンガーネットだそうだ。オレンジ色が綺麗だろ。お前を飾る宝石はこれがいいと思ってさ」
「ネックレスに……ピアスまで……」
「せっかくなら、揃えたほうが使いやすいだろ? できれば、大事に仕舞いこむより身に着けて欲しいな。
なあ、橙。お前を飾るものを俺が贈るんだ。これから先も俺だけだ。だから、何も言わずに受け取って欲しい」
いろいろ心配される前に言い切ってしまった。
どんな顔するかなって、おい!
「泣くなよ」
「だって……」
「気に入ってくれたか?」
「もちろんよ。でも、いいの? あたしが受け取っても。もう……本気にするからね」
「当然だ。その為に頑張ったんだから」
翌日から、橙の表情に輝きが増した。嬉しいのは、その笑顔が俺にだけ向けていられること。
その胸には俺の贈った宝石が輝いていた。
2年目 †
青「はい、バレンタインチョコ(ニコ) はい、バレンタインチョコ(ニコ) はい、バレンタインチョコ(ニコ)……よし」
青「い、色無!」
無「ん?なんだ、青」
青「あ、あの……その……(練習通り、練習通り……)」
無「青?」
青「……はい、色無、バレンタインチョコ(ニコ)」
無「お、おう。ありがとう……」
青(やった!渡せたわ!)
空「(ひょこ) よかったねお姉ちゃん。鏡の前での練習通りに出来て」
無「練習……?」
青「そ、それは言わないでー!!」
灰「まずはチョコを細かく刻むんだって」
空「うん、っしょっと……チョコってけっこう固くて大変だね」
灰「次は刻んだチョコをボウルに入れて、湯せんで溶かすんだって」
空「温度は四十度くらいだよね……ってちがーう!!」
灰「うわ、びっくりした。何?」
空「色無先輩に二人で一緒にバレンタインのチョコあげるんだから、灰ちゃんも寝っ転がってないで手伝ってよ!」
灰「だからこうやって作り方を読んであげてるじゃん」
空「そうじゃなくて! もっとこう、アクティブな手伝い方があるでしょ? 刻んだりかき混ぜたり溶かしたり冷やしたり!」
灰「めんどくさいなあ……手作りなんてあり得ないよ。私去年と同じく板チョコあげるからさ、それは空が一人で——」
空「だ、だだだ駄目だよ! 一人であげるなんて恥ずかしいし……ひゃー、考えただけで口から心臓飛び出ちゃいそう!」
灰「義理チョコひとつに大げさな……分かったよ。じゃあ一番大事なとこは手伝うから、あとは空がやってよ」
空「大事なところ? うーん……しょうがないなあ。もうそれでいいから、ホントにちゃんと手伝ってよ?」
バレンタイン当日
空「あの、色無先輩、これ……もらってください!」
無「お、バレンタインチョコか。ありがとう。空ちゃんからもらえるなんて、嬉しいよ」
空「あ、それは私と——」
灰「ドンケツ!」
空「きゃっ!」
灰「あのね……私も少し手伝ったの」
無「……今『ドンケツ!』とか言わなかったか? 空ちゃんすっころんでるぞ……って、灰! どうしたんだ、その指!? 絆創膏だらけじゃないか!」
灰「やだ、見つかっちゃった……えへへ。私不器用だから、いっぱい失敗しちゃって。恥ずかしいな」
無「そんなになるまで頑張ってくれたのか……」
灰「ううん、私はホントにドジばっかりで、ほとんど空が作ってくれたの。でも……愛情だけはたっぷり込めたつもりだよ」
無「灰……ありがとう、大切にいただくよ。空ちゃんもありがとうね。ホワイトデー、楽しみにしてて!」
空「……」
空「もー、灰ちゃんずるいよずるいよ! 一人でいいとこ全部持ってっちゃうんだもん! それに、『ほとんど』じゃなくて『全部』私が作ったんじゃない!」
灰「まあまあ、そこらへんは婉曲表現ってことでひとつ。『一番大事なとこは手伝う』って言ったでしょ? バレンタインに大事なのは演出だよ、演出」
空「……ずーるーいー!!」
薄「ももももうすぐバ、バレッ……バレッタインッデ……(ガクガクガク)」
無「おい薄黄、何震えてるんだ?寒いのか?大丈夫か?」
薄「(ビクッ)ひゃぁうぅっ!!い、いいい色無きゅん!!」
無「おぉうっ!!そんなに驚かれるとこっちもビックリするよ!」
薄「た、助けて色無君……みみみんながわ、っわわ私のこと……」
無「私のこと……?」
薄「チチチョコレートの材料に……ふぇぇぇ(ガクガクブルブル)」
無「ちょっ、泣くなよ!」
『おーい、薄黄ちゃーんっ!どこー!?』
薄「ひっ!!たたたたすけて色無k(ギュ)」
無「大丈夫だって、安心しな。みんなはそんなことしないから」
薄「ふっ……ふぇぇ……」
無「それに、もしそんなことするやつがいたら俺が守ってあげるから」
黄「あー、薄黄ちゃん見つけたっ!って、あらら……何かお邪魔ねあたしったら」
無「黄色、まさかとは思うがチョコレートの材料に薄黄を使おうだなんて思ってないだろうな?」
黄「えっ!?い、いやだなあはは……そんなわけないじゃん……そんなわけ……(ニヤリ)」
薄「ひぃっ!!!!」
無「そんなことさせるかよっ!薄黄、逃げるぞ!!(ヒョイ)」
薄「あっ……(お、お姫様抱っこ)」
薄「っていう夢を見たの」
黄「ちょっと、なんであたしが悪役なのよ!!」
薄「うーん、何でだろう?でも私しー君に抱っこされちゃったんだよ♪えへへ……しー君カッコよかったなぁ……」
黄「どうしようか、本当にチョコの材料にしちゃおっかなぁ?」
RPB(ロールプレイングバレンタイン)
青「ねぇ、色無。ちょっと練習に付き合ってくれない?」
無「Zzzzzzzzzz……」
青「ちょ、ちょっと! 寝ないでよ!」
青「『明人! ちょっと待ちなさいよ!』」
無「……『ん? どうしたんだよ』」
青「もっと真剣に!」
無「こんな深夜に人を起こしてそれはないと思うんだが」
青「何か言ったかしら?(ゴゴゴゴゴゴ」
無「イエ、ナンデモゴザイマセン」
青「それじゃ、もう一度ね。『明人! ちょっと待ちなさいよ!』」
無「『ん? どうしたんだよ、千鳥』」
青「『今日、何の日か忘れてないでしょうね?』」
無「『何の日だ?』」
青「『呆れた……今日はバレンタインじゃない。そんなことも忘れてるなんて』」
無「(そういえば、今日バレンタインだったな。俺も忘れてたなぁ……)『悪い。それで、どうしてこんな日に呼び止めたんだ?』」
青「……」
無「ん? おーい、青?」
青「『あんたにチョコを渡そうと思って。ハイ』」
無「『ああ、ありが』……!」
青「——」
無「——口の中にチョコを入れておく、というのはこっちの台本には書いてなかったけど」
青「うう、うるさいっ! お休みっ!」
無「……全く、素直じゃないって大変だな」
青「(ああもう! なんてはずかしいことをしちゃったの私!)」
無「なぁ」
黄「なに?」
無「これは罰ゲームか?」
黄「ぶつよ?」
無「殴ってから言うなよ。てかお前がこんなの作るのなんて意外で」
黄「何それ偏見?ひどくない?あたしだってこうゆうのやってみたくなる時もあるの!」
無「んで、一体なんだよこの物体は?」
黄「……チョコトリュフ」
無「原型留めてないんですけど?」
黄「うるさいなぁ!たまたま失敗しちゃったの!いいから食べて!!」
無「失敗作食わせる気かよ……」
黄「見た目よりも肝心なのは味よ味」
無「味も失敗してそうな……いや何でもない、食うからグーを解け」
黄「……どう?」
無「あ……れ?うまい?そんなばかな……」
黄「本当?」
無「ああ」
黄「いやぁ、あたしってば天才?さて後は本番に間に合うようにして……」
無「本番?」
黄「え!?なんでもない気にしないで!んじゃねー」
そしてバレンタインの日
黄「はい色無。チョコレートだよ」
無「ありがとう」
黄「開けて開けて」
無「いいのか?そんじゃ──あ!これってこの間のトリュフじゃん」
黄「どーだ!今度は形も完璧ッしょ」
無「ああ、すごいじゃないか」
黄「苦労したからねー。それじゃ来月の3倍返し期待してるよ」
無「お前最初からそれが目的かよ!?」
黄「えへへ、どうだろうねー?あたしの苦労の3倍分楽しみだなー」
無「こいつ……まぁ頑張ってみるけどさ」
黄「よろしくね♪」
黒「ね、色無、今日が何日か知ってる?」
無「何日って、2月14日だろ」
黒「フフッ、とぼけちゃって。どうせいっぱい貰ったんでしょう?」
無「んなわけないだろ。貰ってたら今頃いそいそと食ってるって」
黒「そう……良かった。じゃあ私がチョコ、あげましょうか」
無「え、あ、ありがとう……って、いきなり取り出したそれって何?」
黒「だって、チョコフォンデュだもの。まずはチョコを溶かさないとね……」
無「そもそもなんでチョコフォンデュなんだ?」
黒「……他の人から貰っても、溶かせるようによ」
無「は?」
黒「何でもないわ。はい、チョコ溶けたわよ」
無「待てって。これだけじゃ無理だろ。チョコをつけるものがないじゃんか」
黒「何言ってるの?目の前にあるじゃない、私よ、私」
無「……は?って、え、え、あの」
黒「ほら、まずは指でいい?……ん、チョコ、あっつい……はい、召し上がれ」
無「え、と……」
黒「ほーら、食べなさい。甘いわよ?」
色(ゴクリ、これは……どうすれば……)
黒「む。食べないんなら、食べさせてあげるわ」
無「もご?んご、んぐっ!ぷはっ!く、口の中に指突っ込むか、普通!」
黒「だって……ぺろっ、ちゅぷっ……こんなに甘いんだし、フフ」
無「く、くろっ……」
黒「次は、どこがいいかしら。貴方の好きなところでいいのよ?口?胸?それとも……ここが、いい?」
無「ま、待て。落ち着けって」
黒「逃がさないわよ」
ガシッ
無「う、うわあっ!」
黒「そう、やっぱり私から一方的にあげるだけじゃ不満なのね。優しい……じゃあ、色無のどこを頂こうかしら、フフフッ」
無「待て待て、そのチョコって温めすぎてすごく熱そうなんだってばっ——!」
「ただいまー」
「姉さんおかえりー」
群青が部屋に入って見たのはコタツと半分同化している朱色の姿。
「まったく……。そう言えば頼んでた奴は買ってきてくれたの?」
「おー、そうだった。しかし姉さんこんな量のリボンなんて何に使うのよ」
「あんたは気にしなくて良いの」
「もしかして自分に巻いて『チョコと一緒に私も食べてッ』とかするつもりじゃないよね」
「っ……!」
朱色の言葉に群青の体がびくりと揺れた。
「いやちょっと妹としてそれは恥ずかしいというか色々と省みて欲しいというか」
「……」
「正直姉さんの年で色無相手にやっても良くてドン引き、悪くて付き合い方変わるって」
「お姉ちゃんを捕まえて何を言うのかなー」
「ちょあ、ギブギブギブめり込んでるめり込んでるこめかみハマってるってああああー!」
朱色の頭を群青は抱え込んで空いた拳をグリグリと押しつける。
「ゴメンねこんな歳で。そうよねー友達の結婚式と別の子の誕生日が連続してて出費がかさんでるからって、
自分でラッピングして出費浮かそうとかケチな事考えちゃやっぱり色々と角が立っちゃうわよねー」
「そんなことないから、姉さんマジやりくり上手だから!だからはーなーしてー!」
「ねえ朱色、私って色無君に色仕掛けとか通じないぐらいに魅力ないかしら?
そりゃあ桃ちゃんみたいに胸はないけどそこまでスタイル悪くないのよ。あ、肌の張りが違うかー」
「ねーさぁーん、あたしが悪かったようー」
あっはっはーと笑う群青の目は死んだ魚のようにどこか遠くを見ていた。
ひとしきり朱色に折檻した後、群青がカバンから小さな箱を取り出して一言。
「……今日チョコ買いに行ったから、これあんたのおみやげ」
「姉さんちょう大好きー」
笑顔で群青に抱きつく朱色と、それに溜息を付きながらされるがままの群青。
バレンタインであっても二人のシスコンぶりは深まっていくのだった。
『ちょこれーと・こっそりと』
冷凍庫を開ける。
どっさり積まれた冷凍食品の奥、そこに隠されたアイス——多分、灰ちゃんか橙ちゃんあたりのだ——のさらに奥。
右手サイズの、チョコレートがそこにあった。ハート型、なんてあまりにもありがちと言うかこれはこれで趣というか。
「ふう……」
ここまでくると、一種の発掘作業だ。まあ、下手に上に置いておいてバレちゃうよりはずっとマシだろう。
皆でチョコ作りをした後にこっそり一人で作ったこれは、誰にも見つかるわけにいかない一品。まさかみんなの前でこんなでっかいハート型のチョコを作るわけにはいかないし。
製作時にやっかいになる香りは、みんなの作業後ということで完璧にカモフラージュできた。冷凍する場所も、この通り。完全犯罪とは、こうした入念で緻密な計画を以ってして達成しうるものだ、なんちゃって。
「わ、水ちゃんってばだいたーん。いかにも本命って感じだよ、それ」
「ひわひゃあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
「わわ、あんまり叫ぶとみんな集まっちゃうよ?」
「も、ももももも桃ちゃんどうしてここににににに」
「イヤイヤ、みんなで集まってたときから挙動がヘンだったからちょーっとね」
かかか、完璧にばれてる——!?
「あのあの、これは違くてっ! ホントに、本命とかそんなんじゃなくて!」
「へぇ〜、でぃあー色無くんへ、かぁ」
だ、だから違う〜!
……いやその、実際はそんなに……いや、あんまり……というかほとんど違わないけど。
にやにやとした顔の桃ちゃんに見つめられて、息が詰まるほど恥ずかしい。言い訳をしようとするほど顔は熱くなって、ますます声が出なくなる。
だって、こんなの。告白の現場を取り押さえられたも同然だ。
……っていうか、絶好のネタにも程がある。しかも、よりによって見つかった相手が桃ちゃん。瞬く間に橙ちゃんあたりに噂が伝播して、後はあれよあれよという間に学校中に噂が広まることうけあいの鉄板コンボだ。
そんなことになったら、死ぬ。羞恥で死ぬ。とりあえず、もう学校への復帰はあきらめた方がよさそうだ。早く荷物をまとめて故郷に帰ろう。ごめんなさいお母さん、わたしは高校三年間すらやり遂げることができませんでした。
「おーい、水ちゃん? かえっておいで〜」
「はっ!」
軽くトリップしていたらしい。
「いいい、言わないでくださいぃ〜! なにとぞ、このことは黙っててください!」
「んふふー、どおしよっかな〜」
ここに成立せんとする主従関係。うう、桃ちゃんのいじめっ子……。
「お、お願いですから……」
被害の波及を抑えるべく、周りを見渡す。不幸中の幸い、桃ちゃん以外に人の気配はない。
と。先の発掘作業のせいだろうか。開けっ放しの冷凍庫の引き出しから、あまり見ないような形の箱がひとつ、飛び出していた。
「——あ」
その、桃ちゃんの一瞬の動揺を、わたしは見逃さなかった。
「あ、あれあれ、桃ちゃ〜ん? もしかして……」
普段はこんなことしないんだけど、場合が場合だ。ここは勝負に出るしかない。
「え、えええああうあう、ちがうっ! 違うよぉ!」
途端に赤面して、じたばたと言い訳を始める桃ちゃん。うん、分かりやすいことこの上ない。
「へぇ〜、でぃあー色無くんへ、かぁ」
さっきのお返し。自分で言って恥ずかしいような科白も、今なら平気で言える。
「だ、だからぁ〜!」
うん。
なんというか。これは、面白い。真っ赤になってる桃ちゃんはすっごい可愛い。これが私次第でどうとでも転ぶと思うと、とっても愉快な気分だ。
さっきの桃ちゃんの気持ちが、今の私には凄くよく分かる。こんな反応されて楽しくない人なんているのだろうか、って感じ。
「ねえ、桃ちゃん?」
「違うよ違うよ違うよーー!」
ちょっと錯乱気味だ。
「あのね、交換条件ってことで、どう?」
「……へ?」
——要は、類友だった、ということになるだろうか。
桃ちゃんも、私を張ってたなんていうのは嘘で、自分のチョコの確認に来た所に先客さんを見つけてしまった、ということらしい。
それを弄って、弱みを握ろうとして失敗した、と。
こう言っちゃ悪いけど、桃ちゃんらしいといえばらしい。頑張って計算してみて、それでも結局計算負けしちゃうというか。あ、でも色無くんは上手いこと手玉に取ってる気がする。……ちょっと羨ましいかも。
「……ふー。水ちゃん、ホントにホントに内緒だからね?」
「桃ちゃんこそ。橙ちゃんあたりに言っちゃわないでよ?」
「だいじょーぶ。わたし、口は堅いから」
……えーと。
ちょっと失礼になるかもしれない。
「……水ちゃん、信じてない」
「そっ、そんなことないですよ?」
「ほんとかなぁー?」
桃ちゃんの、疑いの目線。
しばらく顔を合わせていたら、どっちともなく笑い出した。
さて、一段落つくと、改めてさっきのことを思い出した。
『へぇ〜、でぃあー色無くんへ、かぁ』
『だ、だからぁ〜!』
あの時はなんとなくで流れちゃったけど、これってつまり、その。
桃ちゃん、も、色無くんのことが……ってことで。
いや、想像過多の可能性はもちろんあるけど。
「はー、水ちゃんが相手になるわけですかー」
先にそこに触れてきたのは、桃ちゃんだった。それは追求であり、是認。
憂鬱なのはこっちも同じだ。桃ちゃん、すごい積極的だし、スタイルもいいし。……色無くんも、いつもメロメロだし。私からすれば、私的羨み所総取りって感じの子だ。
「水ちゃんもねー。何ていうか、こう、内側からの萌え、みたいな」
……ちょっとよく分からなかった。
「そ・れ・に〜。スタイルも負けてないっしょ?」
はう。その辺は触れないで頂けるとありがたいというかなんというか。
——ところで。
「あの、私が色無くんのこと、そのー……っていうのは、どうして分かったのかな、なんて」
純粋な疑問。桃ちゃんの場合はただ同じ科白をそっくりそのまま言い返したのが当たったという偶然そのものなんだけど、
そのオリジナルである私に向けられた言葉に関しては判然としない。
その問いに、桃ちゃんは、しばしぽかんとした後、
「——教えなーい」
悪戯に笑うだけだった。
「よ、余計に気になるんですけど」
「んふふ、水ちゃんってば、ホント可愛いよね〜」
「——あれ、水色に桃さん。何してんの?」
——体が、跳ねた。
「い、色無くんっ!?」
「あああああわあわわわ!」
お互い、反応は似たり寄ったりだった。
そりゃそうだ。ただでさえ他人に聞かれたくないような話に、当の本人が現れるのだから、たまったものではない。
「ノックぐらいしてよぉー! 色無くんのバカ!」
「そそ、そうですよ! 色無くんのばかー!」
「いや、何その理不尽な……って水色まで!?」
——そうしてまた、いつものように騒いで笑って。
さてさて、密やかに交わされた好敵手宣言。
明日は戦争。見聞きもしない何処かで、見知りもしない誰かもまた争うように。
わたしたちもまた争って。
勝ち抜くのは、果たしてどちらか。
——それが私だったらいいなぁ、というのは、少々虫の良すぎる考えだろうか。
朱「まあ色無、これでも飲め」
無「……お酒入ってません、これ?」
朱「入ってるけど?」
無「俺、未成年ですから」
朱「……入ってるのはチョコレートリキュールなんだけどなー」
無「……はい?」
朱「アタシなりにあんたへの普段の感謝を込めてのチョコなのになー。受け取ってくれないのかー」
無「……今日だけですからね」
朱「話がわかるじゃないか」
無「(ごくごく)……朱色さん」
朱「なんだ?」
無「ウソでしょ」
朱「ばれたか」
白「はい色無くん、チョコあげる」
桃「これは私から。いつもお世話になってるから、感謝の気持ちを込めてね」
無「おー、ありがと」
黄「色無ー、義理チョコ持ってきてやったよー!」
橙「右に同じー! とはいえ奮発してやったんだから、ありがたく食べなよね!」
無「そこまではっきりと義理チョコ宣言されると悲しいものがあるが……まあありがと」
黄「あれ? 白と桃も色無にチョコあげるの?」
白「うん」
桃「私たちも義理だけどね」
橙「うわ、白のチョコってゴディバのじゃん! ほんとに義理なの? あーやしーなー?」
白「ぎ、義理だよ! たまたまデパートで見かけたのがおいしそうだったから……そういう橙ちゃんのだってダロワイヨのじゃない」
黄「私のはモロゾフだよ。まあホワイトデーのことを考えると、そこそこいいものあげとかないとねー。桃のは手作り? おいしそー」
桃「よかったらひとつ食べる?」
橙「いいの!? ラッキー!! じゃあ私のもひとつあげるー!」
黄「あ、ずるい! それじゃ私のとも交換してよ!」
白「……わたしももらっていいかな?」
黄「はー、おいしかった。満足満足」
桃「やっぱり一流メーカーのは値段も高いけど、それだけの価値があるよねー」
白「でも、桃ちゃんのもとってもおいしかったよ。何か隠し味とか入ってるの?」
桃「うふふ、ひ・み・つ」
橙「それじゃそろそろおいとましますかー。色無、ホワイトデーはもちろん三倍返しだからね。期待してるよ!」
無「……俺、一口も食ってないんすけど……」
3年目 †
無「なあ灰」
灰「ん? 何さ」
無「今日バレンタインだよな」
灰「うわっ、さいそくしに来たわけ? 貰えなかったの? 色無のくせに」
無「む、貰ったって! お前から貰ってないから聞いただけだ」
灰「ふーん。残念ながら私は用意してないよ。面倒だし」
無「そっか、お前らしいな。じゃ、用はそれだけだから」
灰「待った!! そういえば今年は逆チョコが流行りらしいじゃん? よこせ」
無「はぁ!? よこせといわれても持ってないっての」
灰「そのカバンの中にたくさんあるじゃん」
無「これは貰ったやつだからダメだって!」
灰「いいからよこせよー。あ、姉様にあのことを言っていいのかな?」
無「は? 何のことだよ?」
灰「隙あり!! はい、ありがとうね」
無「あ! いつの間に!?」
灰「気にふんなおー」
無「もう食ってるし。この悪魔め」
灰「カバンの中に残ってるのもあるよ」
無「どれ……って朱色さんからのチロルチョコだけかよ」
灰「ホワイトデーにはちゃんとお返ししてあげるよ?」
無「何で疑問系なんだよ! ホワイトデーには必ず貰うからな」
灰「あーうんうん。忘れなかったらね」
無「ふぁ〜あ」
白「あ、色無君、おはよう」
黄「休みだからっていくらなんでも起きるの遅いよ」
赤「みんなもう朝ごはん食べちゃったよ。ほら早く」
無「わかったよ。でも台所に人だかりができてるのはなんで?」
白「えーっとね、今みんなでお菓子作ってるの」
無「お菓子?ああ、友チョコってやつか」
赤「ちがうよー。クッキーとかチョコ以外もいっぱい作るの。ボクも今頑張って作ってるんだから」
薄「わ、わたしも頑張って作ります!」
無「うんうん。がんばれよ」
ナデナデ
薄「えへへ」
赤「あっ! ずるいよ色無。ボクもナデナデして!」
黄「私もー」
白「私にもしてくださーい」
無「するのはいいんだけど、うしろで青と黒と黄緑さんが笑顔ですごいオーラを出してるぞ」
赤「やばっ」
黄「ちぇー」
白「じゃああとでいっぱいナデナデしてくださいね」
その後、お菓子を食べるときの席決めはもめにもめたそうな。
黄「いっろっなっし。チョコちょうだい!」
無「何を言ってるのか理解できない」
黄「え……あたま大丈夫?」
無「バカ野郎、本気で心配するな。チョコならさっき灰にほとんど持っていかれて、残ってるのはこれだけだ」
黄「ちっ、灰ちゃんの方が早かったか。可哀想な色無くんや、私とチョコフォンデュ食べに行こうよ」
無「前半の部分は聞かなかったことにしてやる。それなら例年通りと逆チョコってことで割り勘でどうよ?」
黄「えー、おごってくれないの?」
無「もらった分むしりとられてその上おごれとか、お前は鬼か!? 少しいたわって」
黄「わかったわかった。慈愛あふれる黄色ちゃんだからそれでいいよ」
無「突っ込まないからな。んで、チョコフォンデュの店ってどこにあんの」
黄「えっとね、駅前だったっけな? とりあえずそっち方面だよ。早く行こう」
無「引っ張るなっての」
黄「えへへ、デートだー!!!」
無「ちげー」
灰「あ、色無、ちょうどいいところに」
無「どうした?」
灰「そこ動かないで、では、えいっ!」
無「イテッ、何で蹴るんだよ?」
灰「♪バレンタインデイ・キック!」
無「それ、キックじゃねーだろ?」
灰「♪バレンタインデイ・キック・キック・キック・キック」
無「しかも連打かよ!」
灰「♪呪文をこめて♪」
無「こめるな!」
灰「というわけでコレ」
無「何? ……チョコレートか、コレ?」
灰「バレンタインなのだよ」
無「しっかし、なんか前衛的な形状なのだが」
灰「呪文こめたからね」
無「こめたのかよ!」
灰「嘘。なかなか市販品のようにはいかないのだよ」
無「もしかして、手作り?」
灰「半分正解」
無「何だその半分ってのは?」
灰「バレンタインチョコ作製君2号謹製。マシンは手作りなので半分正解」
無「……はぁ、マシンよりチョコ作る方が簡単と思うのだが」
灰「全自動ロボは男のロマン」
無「いや、お前たしか女だよな?」
灰「ふーん、色無は灰ちゃんを女としてみてくれているんだ。このエロ無め」
無「そういうんじゃなくってさ」
灰「じゃあさ」
無「ん?」
灰「バレンタイン・キッスの方がよかった?」
『赤×青』
「勝手に来て悪かったね! ボク一人で帰るから!」
気まずそうな部活仲間に囲まれて、青は何か言いかけてたけど、ボクは聞く耳持たずにその場を走り去った。
クールダウンして着替え終わると、陸上部より少しだけ終わるのが遅めの弓道部に青を迎えに行く。クリスマス以来、それがボクの日課になってた。
二人で一緒に寮に帰る時間は何より楽しかったし、青も喜んでくれてる——そう思ってた。その日、青が弓道部の友達を話してるのを聞くまでは。
「ほら、もたもたしないで! さっさと掃除すませないと日が暮れちゃうわよ!」
「何言ってんの。青が時間も忘れて一年をしごいたせいで遅くなってるでしょうが。まあもうすぐ旦那が迎えに来る身としては、気が焦るのも分かるけどさー」
「ちょ……お、女の子同士で旦那とか、馬鹿なこと言わないでよ! 赤は同じ寮生だから一緒に帰ってるだけで、そういうんじゃ……」
「あれ? だれも赤のことだなんて言ってないけど?」
「う……」
「ああ、もしかして青の方が旦那? 赤の方が嫁ってこと? 青もやるわねー」
「ち、違うって言ってるでしょ!」
弓道場の入り口をくぐろうとしたとき、そんな青たちの話し声が聞こえてきて、ボクはつい足を止めて耳をそばだてた。からかわれて真っ赤になってる青の様子が目に浮かんで、自然と頬が緩んだ。
「だいたい、私は迎えに来てくれなんて一言も言ってないのよ! いい加減迷惑してるんだから」
——だけど、さすがのボクもこれにはかちんと来た。
「何かにつけてじゃれついてくるし、宿題もテスト勉強も私に頼りきりだし。あの子一人じゃ何もできないから、仕方なく一緒にいてあげてるだけ。いわば私は赤の保護者——」
とうとう我慢できなくなって、ボクはガラスが割れるんじゃないかってくらいに音を立てて、弓道場の引き戸を勢いよく開け放った。
それで捨て台詞を吐いて、むしゃくしゃする頭の中が真っ白になるまで町中を走り回って——気がついたら駅前の繁華街まで来ちゃってて、あたりは真っ暗になってた。
「はあ、はあ……あー、もうあったまくるなあ! 誰が保護者なのさ! 同じ寮に帰るのに、別々に帰ることもないと思って誘ってあげたのに!」
ペースも考えずに走ったせいで、さすがに苦しくなった息を整えてると、また怒りがぶり返してきた。今はまだ、寮に帰って青と顔を合わせたくなかった。
「いいよ、そっちがその気なら、こっちだって知らないもんね。青なんかいなくたって、一人で何でもできるんだから!」
口うるさい青がいるとできない寄り道を堪能しようと思って、ボクは目の前のデパートにずんずんと足を踏み入れた。
「……ダメ。やっぱ無理。ギブアップ」
三十分もしないうちに、ボクは一人でいることを諦めた。
スポーツショップに行けば弓道の用具を物色してしまう。本屋に行けば青が読んでたシリーズ物の最新刊が気になる。地下に行ったら青の好きそうなお菓子ばっかり目に止まる。
青のことを考えずにいるなんて、とても無理だった。
「青がああいう性格なのは分かってたことなんだし、ボクが受け止めてあげなくちゃダメだよね。しょうがないな、寛大な心を持って許してあげよう」
ちょっと青の真似をしてみて、ボクは特設売り場で買ったチョコの包みを鞄にしまい込むと、寮を目指してダッシュした。
「遅い! こんな時間までどこほっつき歩いてたのよ! 日が落ちる前に帰らなきゃダメじゃないの!」
階段を上って部屋の前に来たとたん、仁王立ちしてた青に怒鳴られた。びっくりして目が点になる。
「なによ。私の顔に何かついてる?」
「……もしかして、僕が帰って来るのずっと待ってたの? こんな寒い廊下で、あれからずっと?」
あきれてそう言うと、青は壊れたゼンマイのおもちゃみたいにあたふたしだした。
「べ、別に待ってたわけじゃないわよ。たまたま部屋の前を通ったらまだ帰ってないのに気づいて、どうしたのかと思ってたところにちょうどあんたが来ただけよ!」
そう言う青の鼻の頭は真っ赤になってたし、手は真っ白になってかじかんでるみたいだった。だいたい、青の部屋からこっち側にはボクの部屋しかないのに、どんな“たまたま”があったんだか。
やっぱり、青といると退屈しない。楽しい。こういう素直じゃないとこも含めて、ボクは青と一緒じゃないとダメみたい。
「ちょっと、なにニヤニヤしてるのよ! 私は怒ってるんだからね! それと、まあ、部活のときはちょっと言いすぎたかもって思って……」
怒ったり謝ろうとしたり、忙しく表情を変える青を見てるだけでどんどん幸せな気分になる。チョコを渡すとき、『友チョコじゃないよ』って言ったらどんな顔するかな。今からすっごい楽しみだよ!
『緑×桃』
「かわいくてスタイルもいいあなたには分からないわ。私とあなたは違うの。あなたの価値観を押しつけようとするなら、もう私にかまわないで!」
絞り出すように叫ぶと、私は目を丸くしている桃を部屋から押しだし、勢いよくドアを閉めて飛んでくる声をさえぎった。激しくドアを叩く音がしばらく続いて、やがて静かになった。
勝手に外された眼鏡をかけ直して、無理矢理塗られたカラーリップをタオルで乱暴に拭き取る。きれいにブラシを入れて整えられた髪をくしゃくしゃにかき回して、私は読みかけの文庫を手に取るとベッドに背中から倒れこんだ。
「はあ……今日という今日は、少しは懲りたかしら。本当にもううんざりしてるんだから」
一年のときのクリスマスころから、いったいどこを気に入ったのか、桃がやたらと私にちょっかいをかけてくるようになった。
桃は同性の私から見ても、かなりかわいい。スタイルのよさは学年で一番……いや、学校一と言ってもいい。
その上誰からも好かれる愛嬌ある性格をしていて、男女問わず人気がある。もっとも、性格についてはちょっと作ってる感じもするけど、誰にもとがめられないのならそれでいいのかしら。
対する私はというと、容姿は客観的に見て平均的。スタイルは……まあ、太ってはいないけれど、アピールには欠ける。紫よりはましだけど、彼女に勝っても自慢にはならない。
他人と関わるのが苦手で、何をするにも一人でいることが多いし、その方が落ち着く。
「つまり私とあの子は、何から何まで正反対なのよ」
だから、最初は桃が苦手だった。ことあるごとに寄ってくるあの子を避けて、無視して、遠ざけようとした……けれど、桃は全然めげないで、私をいろんなところに連れ出して、私にいろんなことを教えてくれた。
騒がしいだけのカラオケも、桃と二人でならそれなりに楽しめた。
趣味じゃない服やアクセも、身につけてみると少しは華やいだ気分になった。
少し髪をいじって化粧をするだけで、こんなにも印象が変わるのかと驚いた。
「……まあ、私が知らなかった世界を教えてくれたことには、感謝してるけど……」
そういう意味では、桃は本と同じくらいに価値のある存在だと言えなくもない。だけど……。
みんなで連れ立っていったカラオケでは、桃が歌うと拍手が飛び、私が歌うと苦笑が漏れた。
同じ服やアクセを身につけても、あの子の方が何倍も似合ってた——そもそも、服は同じサイズのは着られなかった。
朝起きて、洗面所でどれだけ悪戦苦闘してみても、桃がしてくれたようには髪も化粧もうまくできなかった。
「それは、比べてどうなるものでもないってことくらい分かってるけど……どうしたって、コンプレックスを感じてしまうのよ」
桃と一緒にいると楽しい。それは間違いないことだけど、無理にお洒落を押しつけたり、過剰にスキンシップしてくるのはやめてほしい。その度に、一つも敵うところがないって思い知らされるから。
さすがに面と向かってそう言うこともできなくて、嫌がってるのを態度で示してきたけれど、とうとう我慢の限界が来て、声を荒げて追い払ってしまった。
「……はあ。やっぱり、少し言い過ぎたかな」
いくら文字を目で追っても内容が頭に入ってこないので、私は読んでるふりをするのを諦めて本を閉じた。
いつもなら、五分ほどで『ごめんねー、ちょっとやり過ぎちゃった。許して〜』と、たいして悪いとは思っていない様子で再度やってくる桃が、今日は十分たっても来ない。
「桃だって、私をからかうばかりじゃなくて、少しはよかれと思ってやってたんだろうし、やっぱり謝るべきよね……」
とはいえ、今から部屋を訪ねる勇気もない。今日はもう寝て明日の朝に頭を下げようと、明かりを消して横になったとたんに控えめなノックが聞こえ、私は飛び起きた。
「桃!? あの、さっきはごめ……ん……?」
ドアの外に立っているのが誰なのか、眼鏡を直してもう一度よく確認してみる。たぶん桃……だと思うけど、いつもの彼女とはずいぶん様子が違った。
毎朝念入りに巻いている髪は、首の後ろあたりで無造作に輪ゴムで束ねられてる。髪ゴムでさえない、普通の黄色い輪ゴムで。
化粧も全部落とされている。お風呂や朝の洗顔時にも見たことはあるけど、こんなまじまじと桃のすっぴんを見るのは初めてだ。
そして何より……桃の最大の魅力と言ってもいい、あの豊かな胸がずいぶんとフラットになり、パジャマの胸元がずいぶんと余っていた。
「ええと……誰? 桃、よね? どうしたの、その格好?」
念のため確認してみると、桃はぷーっと頬をふくらませた。
「ひどいよ、緑ちゃん! 緑ちゃんが言ったんでしょ、かわいくてスタイルのいい子はいやだって。だから私……」
「……それで、髪も雑にまとめて、化粧も落としたの?」
「うん」
「胸はどうしたの?」
「朱色さんに包帯借りて、それでギューって締めてるの。すっごい苦しいんだよ、これ。ねえ、これで機嫌直してくれる?」
上目遣いで聞いてくる桃に、私はあきれて返事をすることもできなかった。
何で私のあの発言からこういう発想が出てくるの? これで私と同レベルってこと? それってものすごく失礼な気がするんだけど。
狙ってやってる……わけじゃないわね。ほんと、この子はときどきすごい天然なのよね……。
「あのね、緑ちゃん。私はね、緑ちゃんだってちゃんとすればもっともっとかわいくなると思って、それでいっつもあんなことしちゃうんだけど、あんなに嫌がるなんて思わなかったの。ごめんね」
叱られた子犬みたいな子でそう言われると、なんだか怒っていたのがばかばかしくなってきた。ほんと、素でこういうことができちゃんだから、桃はずるいわよね。
「私ね、緑ちゃんと一緒にいると楽しいんだ。勉強もできて、本をいっぱい読んでていろんなことを知ってて、いつだって落ち着いてて……私とは全然違うから」
私ははっとした。私は全然違う桃を遠ざけようとして、桃は全然違う私と一緒にいたいと思ってた——どちらのようにあるべきかなんて、考えるまでもなかった。
「……あなたには敵わないわね」
「え? ごめん、今なんて言ったの?」
「なんでもないわ。さっきは私が言いすぎたの。ごめんね、桃。それにしても……ふふふ……あなた化粧してないと、けっこう面白い顔してるのね」
こらえきれなくなって吹き出すと、桃は一瞬ぽけっとした顔をして、すぐに真っ赤になって怒り出した。
「ひ、ひどーい!! 桃ちゃんがこの方がいいって言ったんでしょ!!」
「ふふ、そんなこと言ってないわ……まつげが短くて……眉毛が全然なくて……ふふ、あはははは! ごめん、もう我慢できないわ。あははははは!」
「もー、緑ちゃん笑いすぎ!」
ぽかぽかと叩いてくる桃の拳を避けながら、私は涙が浮かぶほどに笑い続けた。そのうち桃も一緒になって笑ってた。
紙の上の知識じゃない、現実世界で私の知らないことを教えてくれる大好きなあなた——桃、あなたはかけがえのない宝物。
私には縁のないイベントだと思っていたけれど、この気持ちをチョコレートに乗せて伝えるのも悪くないわね。
朱「えーと、ここで混ぜて……量は……適当でいいか」
無「ただいまー……(どさっ)え? 朱色さんが台所に立ってる? 嘘? 夢?」
朱「げっ! 色無、もう帰ってきやがったか」
無「まさかね、あの朱色さんが台所で何か作るわけないよな……はは(ごっ!)がふっ!?」
朱「随分と失礼な事言ってくれやがって……あたしが台所にいちゃ悪いのか?あ?」
無「殴られた頬が痛い……これは夢じゃないのか!?」
朱「夢の国に送ってやろうか?」
無「え、遠慮しときます……しかし、朱色さんが台所にいるのを見るのは初めて……ではないけど、すごく久し振りのような」
朱「あたしだってなぁ、やるときゃやるんだよ。ったく」
無「で、何作ってるんですか? よかったら手伝いますか?」
朱「あー、ここまできたら隠しきれないか。これ作ってたんだよ、ほれっ(ぽいっ)」
無「(ぽすっ)え、これって……チョコ、ですか?」
朱「そうだよ。……んだよ、バレンタインにチョコ作って贈っちゃ悪いのか?」
無「いや、悪くないです……ありがとうございます」
朱「ふん。いいから食ってみ」
無「じゃあいただきます(ぱく)ん? これって……」
朱「ああ、ウィスキーボンボンだよ……何にやにやしてやがる!」
無「いや、朱色さんらしいなと思って」
朱「けっ……あ〜あ、慣れねえ事したから肩こったし、腹減ったなーと」
無「結局ご飯は俺が作るのか……まぁいいですけど」
朱「おう、うまいもん作ってくれよ!」
無「あ、じゃあおいしもの作るんでそれをホワイトデーのお返しということで」
朱「あ゛?」
無「なーんて事は考えてませんよ、はは……(怖っ!)」
朱「ふん……(あたしにこんだけ手間かけさせてんだ、お返しにゃお前をもらっていくからな?)」
黄「色無〜、チョコちょうだい!逆チョコ!」
無「ほらよ」
黄「わ〜い!ありがとん! ……あれ?」
無「なんだ? いらんのか?」
黄「なんでチョコ用意してんのさ!? ここは『ふふ、チョコくれないならイタズラしちゃうぞ?』って場面でしょ!?」
無「お前ならこうやってチョコ強請ってくるとわかってたからな。用意しといて正解だった」
黄「む〜、つまんな〜い……」
無「文句言うならそれ返せ」
黄「だーめーでーすー。もらったものはもうあたしのもの! (ぱくっ!)……?」
無「ふふ」
黄「だー! これカレールーじゃーん!! あたしはダル〇ムかぁ!」
無「ははは、まさか食べるまで気がつかないとは思わなかったなぁ」
黄「うぇ〜、しょっぱ辛い〜」
無「そりゃカレールーそのまま齧りつけばなぁ。悪い悪い、ほれ、水飲むか?」
黄「む〜……ひどいよ色無ぃ(ごきゅごきゅ)」
無「悪かったって」
黄「もういいもん! このカレールー使ってカレー作っちゃうもん! まいったか!?」
無「どんなキレ方だよそりゃ……楽しみにしてるよ」
黄「ぷんぷ〜んだ!(ここでカレー作って、それにチョコ混ぜてやろうかな! ……直接チョコ渡すの恥ずいし、ちょうどいいや!)」
無(……とかって思ってんだろうな〜。こっちとしては堂々とチョコ贈ってもらいたかったんだけど、こいつ変なところ臆病だからなー)
黄(色無気づいてくれるかな? でも、おいしいって言ってくれればそれで十分かも♪)
無(こうでもしないとこいつチョコくれないだろうからな……まあいいか)
黄「色無〜、もうちょっと待っててね〜?」
無(ああ、お前のチョコ貰うためならいくらでも待ってやるよ)
4年目〜 †
灰「……色無」
無「ん? なん——モゴォッ!」
灰「……(グイッ)
無「ちょっ、灰、口に、ってこれ、チョコ?」
灰「明日はバレンタインデー。だから先手必勝。きっと姉様たちが色無を奪い合うからね」
無「モゴモゴ……あぁ、もうそんな季節か」
灰「お返しはゲームソフトでよろしく」
無「いやまて、お前キットカットに対して何十倍返しを要求するんだ」
灰「えぇ〜?」
無「そんな不思議そうな顔してもダメだ。新作のゲームソフトはダメ」
灰「仕方ないなぁ。それなら、ゲームソフトにつりあうように……はむっ」
無「んむぐっ!?」
灰「ん、んぅ」
無「〜!?」
灰「……ん、ごちそうさま。これでゲームソフトにつり合うようになったよね?」
無「お前、口移しでチョコって」
灰「なったよね?」
無「……顔、赤いぞ?」
灰「うっさい! いいからゲームソフト!」
無「はいはい……」
白「……いいなぁ」
黒「あの子、あんな方法で……負けてられないわね」