友情・愛情

『薄黄ちゃん、ご苦労様!』

 男の子にチョコレートをあげなくても、ホワイトデーにはまた別の楽しみ方があると思う。

 例えば、お友達とお菓子を交換したりとか。バレンタインデーにも同じことをやったけれど、こういったことをするのは好きだから、何回やっても飽きない。

「……やっぱり、薄黄の作ったプチシューは美味しい」

 そう言って微笑むのは、お友達の焦茶ちゃん。

 今日は焦茶ちゃんの家に来て、私の作ったシュークリームを一緒に食べているところ。

 いつも無口で自分から話題を出すことはあまりない焦茶ちゃん。だけど、こうして甘いものを食べて嬉しそうにしている顔は、とても可愛い。

「ありがとう。喜んで暮れたら私も作った甲斐があるよー」

「うん、大喜び。むしろ毎日作って欲しい。という訳でお嫁に……」

 可愛い……けど、いつも必ずお嫁さんの一言が付いてくる。

 素直に喜んで暮れるのは嬉しいけれど、焦茶ちゃんは少し変わっていた。

 優しいし、私よりもずっとしっかりしている頼りがいのあるお友達なのに。

「お、お嫁さんは無理……あっ、で、でもっ、焦茶ちゃんのことは大好きだよっ」

「そう、残念。法律の壁は厚いんだね」

 そういう問題、なのかなぁ。

「……あっ、焦茶ちゃんの作ってくれたケーキも美味しいよー」

 少し重くなった空気を換えようと、私も焦茶ちゃんの作ったチョコレートケーキを食べる。

 一口で広がる、チョコレートの甘味。焦茶ちゃんはきっと、私よりずっと料理が上手だと思う。

「食べてもらう人のことを想って作るの。だから薄黄みたいに甘いのが出来る」

「わ、私みたいに?」

「そう、薄黄みたいに甘い……いい、匂い」

「こげ、焦茶ちゃぁーんっ、口開けて迫ってきちゃダメだよぉー」

 噛み付こうとする焦茶ちゃんの口に、近くにあったシュークリームを入れる。

「んっ……甘い」

「すぐ噛もうとしちゃだめっ」

「む、面目ない。どうも薄黄から漂う香りは麻薬のようで」

「そんな風に言われても嬉しくないよぉー」

 シュークリームを食べながらも、私の耳たぶにずっと視線を向けている焦茶ちゃん。

 私に一番噛み付いてくる、ちょっと困ったお友達です。


 世間的な寮のイメージと比べると少々こぢんまりとしているが、だからこそタイミングの悪さが“タイミングよく”重なることもある。

「ふう……」

「お、ナーイス。次俺な」

「ちょ、ちょっと! 私が出た直後に入らないでよ! デリカシーないわね!」

「デリカシーって、朝の切羽詰まったときにそんなこと言ってられるかよ。ほら、どいたどいた」

 トイレから出てきたばっかりの青とばったり出くわしたり。

「いただきまーす。紫ちゃん、醤油——」

「いただきまーす。桃、醤油——」

「……紫ちゃんは『目玉焼きには胡椒』派でしょ? お醤油、取ってくれる?」

「今日は醤油で食べたい気分なの! 桃だって『目玉焼きには塩』派じゃん!」

「私も今日はお醤油な気分なんだもん」

 隣に座った同士で調味料を挟んでにらみ合ったり。

「はい、白。パンが焼けたわよ。今日は苺ジャムにする? マーマレードにする?」

「いいよ、黒ちゃん……それくらい自分でできるから」

「? いつも私がやってあげてるじゃない。今さら遠慮しなくてもいいわ。あ、ほっぺたに卵がついてるわ。取ってあげる——」

「……いいったら!」

 いつもは嬉しい友人の気遣いが、どういうわけかその日に限ってわずらわしく感じてしまったり。ほんと、ごくごく稀にこんな朝もある。

 だけどそれで空気が多少重くなったところで、彼女たちには関係ない。

「おーはー! ケント・デリカットだーよー!」

「……なんで朝っぱらから鼻眼鏡なのさ。デリカット全然関係ないし。……ぷぷ、でも不覚にも……くくく、ツ、ツボに入った……あははははは!!」

「よっしゃー! おやおや、笑ってるのは赤だけかな? みんな我慢しなくていいんだよ?」

「朝から騒がしいわね……」

「むー。そんなこという緑には、こうだー!!」

「あ! ちょっとなにするのよ! 眼鏡返しなさい!」

 いつだってマイペース。二十四時間ハイテンションな黄色。

「わー、また寝坊しちゃったよー! 黄緑さん、私のごはん——」

「はい、茶色ちゃんにパース!」

「へ? な、なに、この眼鏡……ふわ〜、ぐるぐるする〜」

「きゃっ! ちょっとどこ触ってるのよ! スカート引っ張らないで!」

「ご、ごめん……あいた! うう、足の小指ぶつけた……わーっ! 花瓶がーっ!」

 失敗は失敗の母。ひとときたりとも目が離せない茶色。

「ふふ、今日も朝から二人とも絶好調だねー。はい、紫ちゃん、お醤油」

「ほんと、朝ご飯のときくらい、もうちょっと静かにしてればいいのに……ありがと。はい、桃」

 二人にかかれば、嫌なムードなんて一瞬で消し飛んでしまう。

「……そうね。白はあの二人と違ってしっかりしてるんだから、もっと自主性を尊重しないとね。卵、ほっぺたのここのところについてるわよ」

「うん……とれた。教えてくれてありがとう、黒ちゃん。それで……今日はマーマレードにしてくれるかな?」

「私が塗っていいの?」

「うん。黒ちゃんにしてもらいたいの」

 いつも騒いでばかりで空気が読めないとか、何をやってもドジばっかりで迷惑だとか……みんな口ではけっこうひどいことも言うけれど。

「さすが、黄色と茶色にかかっちゃかなわないな」

「へ? 私なんにもしてないけど?」

「わ、私もいつも通りだよ?」

「それがいいんだよ」

 きっとそれは、二人のかけがえのない魅力。


 暖かな日差しが柔らかく窓から外にある渡り廊下を照らした。

 桜はチラチラと風に乗って踊り、短い命を終えようとする。

 そんな穏やかな日々と対照的な私の気持ちを知らずに私とすれ違った子達はこそこそと耳打ちする。

 原因は私にある。しかしどうしようもないのだ。

「こら、そこの生徒!」

 私だって好きでこんな風なわけじゃない。

「こら!聞こえないのか!」

 春。新しい学校に生活。女の子だらけのこの風景にまだ馴染めないって言うのに。

「こら!そこのでかい奴だ!」

 人のコンプレックスを大きな声で言わないでほしい。

 ──踏み出して ほら 何も怖くはないんだから

「はい?私ですか?」

「お前以外いるのか!でかい奴が」

 その言葉が一番嫌いなのに連呼しないでほしい。

「すみませんでした。何でしょう?」

 しかし、入学当初から問題は起こしたくないので、愛想よく対応した。

「スカートが短いぞ。お前一年だろう。顔も生意気だぞ」

 周りにいる生徒がチラチラとこっちを見てはまた何か耳打ちをしあっている。

「あ、ごめんなさい……」

 制服を買うときに店員さんが「背が高い場合はスカートが短めの方が似合う」と言われ、少し短くしてもらった。

「はっはっはっ。そうやって素直に謝れば、許してやっても……」

「先生」

 得意気に胸を張る生活指導の先生の後ろから低めの声が聞こえた。

「私も注意受けましょうか?私も彼女と同じ身長、スカートの長さですが」

 機嫌の悪そうに響くその声に恰幅のいい偉そうで女にモテなさそうなその教師は恐る恐る振り向いた。

「青井……、姉っ!」

 尚、その声の持ち主は強気にその教師を睨むと、教師はすごすごと立ち去った。

「雫、大丈夫?」

「零ちゃん……」

 その声の持ち主は私と双子の姉で私と対照的な彼女だった。

 私、青井雫(あおい しずく)と青井零(あおい れい)はこの虹彩学園の新入生の双子。

 髪の長さと色、性格以外はそっくりな私達。

 零ちゃんは気が強いけどそれが嫌味っぽくないほど成績優秀で運動神経も抜群。まさに非の打ち所がない。

 それに比べて私はこの学校に入れたのが奇跡なほど頭が悪く運痴。強気そうな顔は似てるのに気が弱い。

「あのくらい、ちゃんとあしらいなよ」

「だって、面倒起こしたくないもん……」

 チラチラとこちらを見る周りの目がさっきとは違う色を持った目付きになった。

 憧れを含んだ色。私の姉はいつもファンクラブを作られるほどの人気があったりする。

 きっとこの学校でもできるまでは時間の問題だろう。

「じゃ、道場行くから」

「あ、うん。頑張ってね」

 零ちゃんは小学校の頃から弓道を習っていて弓道部に入学当時から所属している。

「私も部活入ろうかな……」

 運痴がたたって運動系の部活に入ったことはない。音痴だし、不器用だから文化系に入ったこともない。

 ちなみに四月いっぱいは部活道の見学は自由である。

 何か覗きに行こうかと部活棟を目指そうとしたが、道が分からない。

 この学校は中等部と高等部が校舎は別だが敷地が一緒であり、だだっ広いのである。

「えー、と。確かこっちの方だったかな……」

「あの、すいません」

「はい?」

 後ろから聞こえた声に振り向いたが誰も見えなかった。

「あれ?」

「あのっ」

 後ろを向いて下を向けばちんまりとした女の子がいた。

 私が173cmだから、きっとこの子は150cmないのだろう。

 体に似合わない大きなスポーツ鞄を肩から下げている。

「何ですか?」

「バスケ部の部室行きたいんですけど、どっちですか?」

「バスケ部……」

 確か、私が行くのは部活棟だからきっとそこにあるのだろう。

 そう言ってから、ふと気づいた。

「え、と私も今年高校入ったばかりだからよく分からないけど、中学の部活棟はあっちじゃ……」

 最後まで言う前に左頬に強い痛みを感じて、叩かれたということに気づくのに時間がかかった。

「うちは高校だよおばか!おめぇもでけぇくせに一年かよっ!」

 早口でそう巻きたてられたのと、叩かれた意味が分からずに少し考えてやっと分かった。

 私は目の前の子を見た目で中学生と判断してしまい、失礼なことをしたと気づいた。

 しかし、これはおかしい。

「な、何よ。貴女だって私を年上と勘違いしたでしょっ!」

「ガキ扱いされるよりマシだろうがっ!」

「ガキ扱いしたわけじゃないわよっ」

 はぁはぁ、と大きな声で二、三言やりあったがやがて落ち着くと同時にふぅっと溜め息を吐いた。

「ごめんなさい。中学生なんて言っちゃって」

「いや、うちもきついこと言ったし……」

「とりあえず、私も部活見に行くつもりだったし、この時間じゃもう部活始まってるから体育館行かない?」

「うん」

「私、青井雫」

「村崎紫音(むらさき しおん)」

 そう言いながら二人で体育館に向かった。

 体育館に向かう途中、先程よりも強い視線を感じた。

 小さいのと大きいの。聞こえなくてもそう言ってるのが分かる。

「デコボココンビ」

 少し大きめの声でそう聞こえた瞬間、紫音ちゃんの様子を見たら金剛力士像のような顔になっていた。

「誰だよ!今、言ったやつ!」

 ビクッと周りの生徒達が驚いたのが分かる。紫音ちゃんは周囲を一睨みすると歩き出した。

「し、紫音ちゃんはバスケ部入るの?」

「うん。あんたは?」

「わ、私、は運痴だし」

「ふーん、とろいんだ。顔に似合わず」

「っ……気にしてるのにぃ」

「グジグジうるさいっ」

「はいっ!」

 そんな会話を繰り広げながら、体育館に着いた。

「すいませーん。見学いいですか?」

 ガラガラ、と少し重いドアを空けながら紫音ちゃんは声をかけた。

「おー、いいよいいよっ」

 歓迎ムードであることにホッとした。予想より暖かい雰囲気だったのでひょっとして紫音ちゃんは有名なプレイヤーだったのかな、と思ったが、それは違った。

「背ぇ高いねぇ。バスケの経験あるの?」

「へっ?」

「いーねぇ。ポジションどこだった?」

 チラリと紫音ちゃんの方に目を向けると、鬼の様な形相だった。

「いや、私は運動できないんで……」

 ぴた、と先輩であろう人達の質問が止まったかと思うと、ワッと皆が笑い出した。

「まぁまぁ、着替えはない?じゃあフリースローでいいからやってみてよ」

「え、えぇ?だから私は……」

「またまたぁ。謙遜はいいから」

「あ、君も見学?勝手に見ていいよ」

 やっと紫音ちゃんに声がかかったと思ったらえらくぞんざいな扱いだった。

 そんなこと考えている間にいつの間にかゴール前に立たされて、ボールを持たされた。

「やってみて」

 周りを眺めたが、部員の人達は期待の目で私の方を見ている。紫音ちゃんは悔しそうに顔を歪めていた。

「いいよいいよ。気楽に」

 早く投げて早く帰っちゃおう。適当にゴールに向けて投げたが、届きもしなかった。

 静まったコートに笑い声が響いた。

「緊張しないで。リラックス、リラックス!」

 もう後はほとんど覚えていない。投げても投げても入らないボールに体育館は水を打ったように静まりかえった。

「なぁんだ。見かけ倒しじゃん」

 涙が出そうだった。

「もう帰っていいよ」

 来た時とは真逆の対応が心苦しかった。

「おっきいのにね」

「もったいない」

 嘲笑い声を背中に受けながら体育館を出ようとした。

「待ちなよ」

 紫音ちゃんの隣をすれ違おうとしたときに静かな怒りを含んだ声に振り向いた。

「紫音、ちゃん……?」

「私、バスケ部入りたいんですけど」

 冷静な声でそう告げると部員の人達はまた笑い出した。

「君が?中学部はあっちだよ?」

「1on1で試合して、私がワンゴールでも取ったら入部させてください」

「取れるもんならね」

 嘲笑いを続ける部員達を睨みながら、静かに続けた。

「私が取ったら彼女に謝ってください」

「逆立ちで校内一周でもしてあげるよん」

 ジャケットを脱ぎ、タイを外すとバスケットシューズを履き、コートに向かった。

 経験者とはいえ、相手は年上だし、しかも制服を着たままだ。不利なのは目に見えている。

「じゃ、私が相手してあげる」

 私よりも大きい女性が紫音ちゃんの前に立ちはだかった。

「お願いします」

「半コートで行います。制限時間はありません。どちらかがギブアップ、もしくは一年生が点を決めたらそこで終了します」

 審判の先輩が笛を口元に運んだ。先攻は紫音ちゃんだ。

「始めっ!」

 その声と同時に紫音ちゃんは素早くドリブルをしながら目の前の先輩を抜いた。

 不意を突かれた先輩は慌てて振り向き、紫音ちゃんを追う。

 素早さは紫音ちゃんが上だが先輩も負けず劣らずの速さでリードが長い分先輩の方が有利だ。

 ボールを奪うと、軽くワンゴール決めた。

「こんなもんよっ」

「さすが、キャプテン!」

 キャプテンと呼ばれた彼女は部員達に向かってピースサインを投げ掛けた。

「無制限でしょう?まだこれからですよ」

 その気迫は運動をやったことない私でも感じるくらいの強さだった。

 それから何分たったか分からない。ひょっとしたら何時間もたったのかもしれない。

「もう……そろそ、ろ……っ……諦めなさいっ」

「ま、だまだ……です、よ……」

 何ゲームやったのか分からない。まだ一本も取れていない紫音ちゃんは諦めない。

 さすがにキャプテンも息が上がってきている。

「見上げた根性だよ。バカにしてごめんね。入部認めてあげるよ」

 部員の一人が、紫音ちゃんに声をかけたが、紫音はそれを突っぱねた。

「そんなことはいい!勝負してください!」

 彼女の気迫に部員一同は黙って紫音ちゃんを見つめている。

「紫音ちゃん!」

「何?」

 思わず声をかけると気だるげにこちらを振り向いた。

「もう、いいよ!私も怒ってないから!」

 はぁはぁ、と肩で息をしている紫音ちゃんが俯いた。

 やっと試合をやめてくれるのかと思って、安心したところギロッと睨まれた。

「あんたのためにやってるわけじゃないっ!」

「へぇっ!?」

 てっきり私に謝らせようとしてくれていると思っていた。

「うちがあんたのためなんかにやるわけないでしょっ!?さぁ、キャプテン、もう一本!!!」

 さっきまでの疲労はどこへ行ったのか。また強気にキャプテンに挑みかかる。

「よっしゃ!やってやる!」

 キャプテンも最初とは違う態度で紫音ちゃんの挑発に乗った。

「紫音、ちゃん……」

 疲れているはずなのに、笑顔でまたゲームを始めた。本当にバスケが好きなんだと感じた。

「うわっ」

 キャプテンのボールを目にも止まらない速さで奪うとゴールに向かって駆け出した。

 次の瞬間、ワッと部員達は盛り上がり、紫音ちゃんに駆け寄った。それは紫音ちゃんを讃える声だった。

「ちょっ!下ろせぇぇぇぇええ!」

 そのまま紫音ちゃんを胴上げして、紫音ちゃんは慌てている。

 助けようか迷ったが思わず私も胴上げに参加していた。

「ばーかばーか」

「ごめんってばぁ……」

 胴上げに加わったことを帰り道にくだくだ言われてしまっている。

「あ、そうだ」

「何?どしたの?」

「謝らせるの忘れてた」

 と、真面目くさった顔で紫音ちゃんは言った。


『スマイルスマイル』

 4月も始まったある日の夜。

 店の仕事ばかりやっていると、時折この土地に来た本来の理由を、忘れそうになる。

 あくまで俺は、高校通うために上京してきたんだ。そして明後日、ついにその学校の入学式がある。

 二階の自室で、カレンダーを見ていてやっと思い出した。とは言っても、制服はすでに壁に掛けてあるし、これといって準備するものもない。

「色無君、ちょっといいかしら?」

 と、ノックの後に黄緑さんの声。

 その声に返事を返し、ベッドから降りてドアへと向かう。

「ごめんなさい、寝るところだった?」

 私服にエプロン姿の黄緑さんが、申し訳なさそうに尋ねてくる。

「いえ、大丈夫ですよ。で、どうかしました?」

「ええ。色無君の高校の入学式、確か明後日だったかしら」

 その言葉にうなずきながら返事をすると、黄緑さんはやっぱりと、笑顔を返してくる。

「じゃあ、明日は色無君お休みね」

「え? お休みって……」

「ここの手伝い。よく働いてくれるから、明日ぐらいは休んでおかないと」

 確かに、ここに来て休んだのは店の定休日ぐらい。後はずっとこの店で、雑用ばかりの日々だ。

 だからよく考えると、俺にとってこの街で知っているのは、駅からここまでの道のりと、そのご近所ぐらい。高校の位置など、地図上でしか場所を知らない。

 だが、明日は定休日じゃない。もしも忙しくなったら、大変なことになる。

「遠慮はしなくていいのよ?」

 と、俺の考えていることを読んでか、黄緑さんがそんなことを口にする。

 ……まぁ、通学路を知るチャンスと思えば、良い機会なのかも知れない。

「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうございます」

「そんな改まらなくてもいいのに。あ、ちなみに有給だから、安心して楽しんできてね」

 

 というわけで、休日を堪能することになった俺は、こうして私服姿で店の前に出てきた。

 空は快晴。さわやかな春の朝だ。桜の花びらも、近くに木があるのだろう、アスファルトの隅に溜まっている。

 しかし困った。一人で歩いてもつまらないと黒や白ちゃんを誘ってみたものの、どちらも用事があるとかで撃沈。

 さて、どうしたものか。街に出るのもいいが、特に買う物もない。

そもそも引っ越し荷物の整理が終わってないのに、物を増やすのもどうかと思う。

「……仕方ない」

 ポケットに手を突っ込み、そこから一枚の紙を取り出す。

 内容は、ここから高校までの道のりを書いた簡単な地図。

 とりあえずは、この場所まで行ってみようか。

 

 右往左往しながら、なんとか辿り着いた高校の正門。

 広い道に面した、塀に囲まれた敷地内。前庭には校舎玄関までを繋ぐ遊歩道があり、その道を挟むようにして、桜並木が白色の花を咲かせている。

 やはり田舎の学校とはセンスがどことなく違う。そんなことを思いながら、一足先にその遊歩道へ足を踏み入れる。

「こーらっ、生徒は制服着て学校入る規則だぞー」

 突然背後からかけられた声に、思わず体をびくつかせる。後ろに誰かいるなんて、全然気付かなかった。

 ゆっくり後ろを振り返ってみると、そこにはジャージ姿の、高めの身長が目立つ女の子が一人。なぜかにやにやと笑顔を浮かべながらこっちを見ていた。

 一体誰だろうか。店で働いていたときも、全く見たことのない顔だ。

「……なんてね。実はあたしも、ここの制服まだ着たことないんだ。入学式前だから」

 そう言って、舌を出して笑みを浮かべる女の子。

 何というか、ここに来てから変わった子と関わる機会が増えた気がしてきた……。

 

 高校近くのバス停。その前にあるコンビニの前で、俺は先ほど知り合った女の子——赤と並んでジュースを飲んでいた。

 ちゃん付けで呼ぶのは絶対やめるようにと言われたのが、やたらと頭に残っている。なるほど、赤ちゃんじゃあ確かにアレだな。

「へぇ、わざわざあそこ通うために上京かぁ。高校なのに、珍しいね」

 スポーツドリンクを飲み干した赤が、壁にもたれかかりながら、一人分間を空けて立つ俺の方へ顔を向ける。

 先ほどから絶やさない笑顔。それはやたらと、こちらの口をよく回らせてくれる。とても喋りやすい相手だ。

 ——それから話したことといえば、住んでいるのが親戚の家だとか、一人暮らしでなくて残念だねとか、そんな普通の会話。

 初対面なはずなのに、まるで知人の間柄のように感じてしまう。

「なるほどぉ、サッカー好きでここにねぇ。あたしは球蹴りより、走る方が好きだなー」

 そう言って、かかとで駐車場のアスファルトを叩く。

 使い古されたランニングシューズが目に付く。陸上でもやってるのだろうか。

「ところでさ、さっきはどうして学校見てたの? 抜き打ちの見学だったら、他の人に怒られるよ」

「そうじゃないって。今日は休みだけど、暇だったからな」

「暇? 暇なら街の方行ったりすればいいのに。ここじゃ正直、余計に暇をもてあますだけだよ」

「そうかも知れないけど……まだこの辺詳しくないんだ」

 ここに来るのだって、何度か迷って何とか辿り着いたといったところだ。もっと人通りの多い場所に来てしまっては、きっと帰り道も危うくなる。

「なるほどなるほど。まだ全然街に慣れてないわけだ」

「そういうことだ」

 俺の言葉に納得したかのようにうなずく赤。

 そして、何かを思いついた様子で目を輝かせ、両手を合わせた。

「それじゃあ、ついでだからあたしが案内してあげるよ。学校帰りの寄り道先がないと寂しいでしょ?」

「ん、まぁな。でも赤だってやることが」

「どうせ走ってただけだよ。それに案内ついでに走れば問題ないでしょ」

 これを本当に名案だと思っているのだろう。満面の笑みを、こちらに浮かべてくる。

 だがしかしだ、これが意味するのはすなわち……。

「待て、それってまさか俺にも走れと」

「ほらほらっ、そうと決まればさっさと行こうよ。がんばれ男の子っ」

 ゴミをゴミ箱に捨てたかと思えば、今度は俺の背後に回って、背中を押しにかかる赤。

 ここに来てろくに運動もしていない身だ。こんなテンション高い相手と一緒に走ったら、どんな目に遭うか。

 でも、背後から迫る力に逆らう術もなく、ただされるがままにその歩調を早めてゆく俺。

 休むはずが、とんだ運動に付き合わされることになってしまった。

 

 住宅街にある小さな公園。やたらとシルバー臭漂う細い道の商店街。俺が初めて目にした駅前広場は、ゲームセンターやカラオケなど、それなりに遊ぶ場所が充実している。

 そんなことを事細かに説明していく赤。説明好きなのだろうか、その姿はとても楽しそうだ。

「そういえばさ、色無君は未亡人ってそそるタイプ?」

「はぁ?」

 だが、どうしていきなり話題は未亡人になるのだ。

「あのね、この辺に結構おいしいレストランがあって、そこの店長さんが素敵な未亡人で」

 この辺にある、おいしいレストラン。

 そして店長が素敵な未亡人……。

「……店の名前は?」

「ん、レーゲンボーゲンっていうんだけど。やっぱり色無君は年上趣味なのかなぁ?」

 やはりそうか。

 そう思われても仕方ないのかも知れないが、自然とため息が漏れてしまう。

「黄緑さん、未婚だぞ」

 その一言で、赤が驚きの声を上げる。

「そ、そうなの? あたしはてっきり旦那さんが残した店を一人で切り盛り」

「そんな話一度も聞いてないな。料理学校出て、しばらく修行してから建てたって」

「へぇー……って、何でそんなに詳しいのさっ」

 予想外の切り返しに、赤は少したじろいでいる。

「あぁ、俺あそこで居候してるんだ。話してなかったっけか」

「聞いてないよそんなのぉー。もう、そういう事は事前通告が当たり前だよ?」

 俺を指さし、ふくれっ面を見せる赤。

 なぜ言ってなかっただけでこんなに非難されないといけないのだろうか。

「でも色無君がねぇ。もしかして友達だと割引ある?」

「ない」

 俺の即答に、今度はまるで俺を使えない奴と言わんばかりに、露骨なため息を見せてくる。

居候にそこまで期待を寄せて欲しくはないのだが。

「そっかぁ、残念。まぁ、たまには色無君のお小遣いのために、お金落としてきてあげるよ」

「そりゃどうも。で、案内ってのはこれで終わりなのか?」

 そう尋ねると、赤は口に手を当てて、西日で夕焼けに染まりつつある空を見上げながら考え込む。

 別に時間も十分潰れたし、走らされた疲れも溜まっている。これでお開きでも構わないのだが。

「んー……じゃあ、こっから学校行くのに一番近い道教えてあげるよ。ついてきてっ」

 

 今までの道よりも細い路地を抜けていく俺と赤。地元民でなければ絶対迷いそうな道だ。

「ここを抜けて、この階段を上ると……はいっ。後はここをまーっすぐ学校の方に行けば、一番近いよ」

 俺の身長よりも一回り高い斜面。そこに設けられた階段を上った先。

 そこに広がっていたのは、川沿いに伸びる遊歩道だった。

 堤防を兼ねた丘の頂点に遊歩道。階段と反対側の坂は2メートルほどあり、芝生で覆われた川縁は公園のようになっており、それを挟んだ先の川は、ずいぶんと広い。

 対岸には、工場の煙突が何本も見える。夕日に照らされ長い影を落とすそれは、どことなく不思議で、懐かしさを覚える風景だった。

「ここはいい場所だよー。夏でも風がよく吹くし、涼しいんだ。あたしもここはランニングのコースにしてるよ」

「まぁ、それにはちょうどいいかもな」

 こういう開けた場所というのは、その場にいるだけで気分が不思議と良くなる。

 夕日に照らされた川は金色に輝き、反射した光が少し眩しく感じる。

「ふぅー……とりあえず、今日はこの辺でお開きかな。色無君、お疲れ」

 俺から数歩離れ、こちらに振り返り笑顔を見せる赤。

 相変わらずの笑顔が夕日に照らされ、眩しそうに目を細めている姿は、どことなく惹かれてしまう。

「お疲れ。なんだかんだで色々世話になったな。ありがとう」

「いやいや、あたしも久々に良い感じの気分転換になったよ。ありがとね……あっ、そうだ」

 何か聞きたいことでも思い出したのか、再び手を合わせる仕草を見せる。

「色無君ってさ、やっぱり部活入って大会とか目指すの?」

「え? まぁ、そのつもりだけど」

 色無しに背を向け、深呼吸をしながら両腕を広げる赤。

 そして、空を見上げながら一言。

「そっかそっか。じゃあせっかくだし、もう少し頑張ってみようかなぁ」

 どこか含みのある、赤の口ぶり。

 それが気になって聞き返そうと思ったときには、すでに赤は走り出していた。

「一緒のクラスになれると良いねーっ」

 こちらを振り返り、大きく手を振る。

 それに対し、俺はただ手を振り返すだけ。

 結局、あの言葉に感じたわずかな疑問を、尋ねることは出来なかった。

 ——赤がいなくなり、急に辺りが静まりかえる。

 風の音が、耳元でずいぶんとうるさく聞こえた。


『入学初日』

 真新しい制服。

 初めて物を放り込んだ鞄。荷物は少なく、重さはほとんど感じない。

 カーテンを開くと、朝の日差しがまぶしいぐらいに差し込み、目を細めてしまう。

 窓を開けると、眩しいほどの朝日が目に入る。いい天気だ。

「色無」

 声のかけられた方……窓から見える店の入り口に顔を向けると、見慣れた人影が二つ。

 同じ学校の女子生徒の制服に身を包んだ黒と、同じく軽く手を振ってくる白ちゃん。

「私達が起こさなくても、問題はなかったみたいだね。関心したよ」

「見損なうなっつーの。ったく」

 相変わらずの黒に苦笑を向け、窓から離れる。

 そして、手に取った鞄を肩に担ぎ、わずかに残る寝癖に手を当てながら、部屋を出る。

 ……さて、今日は入学式。こんな高揚感は、久しぶりだ。

 

 一昨日の人気のなかった校門前は、入学式のために集まった生徒とその父兄で、ずいぶんと賑わっていた。

「は、はぁーい、新入生の方々はこっちの玄関から指定の教室……あぁ〜っ」

 玄関の前で、人波にもまれる教師らしき人影。

 あんな小さい体の人を、普通あんなところに回すモノか……。

「色無、君のクラスは?」

「ん? あぁ、えーと」

 黒に袖を引かれ、前庭の中程に配置された、クラス表が貼られた掲示板に目を移す。

 クラスは1から6まで。全てのクラスは大体30人前後で割り振られているようだ。

 その中で俺の名前は……2組の中だ。

「2組だ」

「そうか、じゃあ私は隣だ。1組だった」

「私は6組。みんなバラバラになっちゃったね」

 残念そうに、白ちゃんが口を開く。

 確かに、ここまで見事にバラバラでは、そういう風に思っても仕方がない。

 まぁ、最初は学校に通ってから友人を作る予定だったのだが……。

「おーっ、白に色無っ! あとおまけの黒……」

 と、突然の声と共に、白ちゃんの腕にしがみついてくる小さな人影。紫だ。黒の顔に、明らかな嫌悪感が浮かぶ。

 そして、あまりこういった唐突な登場には慣れていないのだろう。白ちゃんは衝撃で数歩前に進んでしまい、心底驚いた顔を浮かべている。

「ん、クラスの確認? どれどれあたしのクラスはぁ……6組。おっ、白の名前もあるーっ。一緒のクラスかぁー。よろしくなー」

「う、うん。よろしくね」

 満面の笑みを浮かべる紫に対し、白ちゃんは苦笑で返す。黒はどこか悔しそうな顔を見せている。

「……仕方ない。紫、白に迷惑かけたらただじゃおかないから」

「迷惑なんてかける訳ないでしょうが!」

「信用ならない。大体お前は昔から」

 白ちゃんを間に挟み、二人の言い争いが始まる。

 その様子を横目でうかがう俺。何というか、なんだかんだでこの二人は仲がいい気がする……。

「いーろなし君っ」

 今度は三人とは反対側の肩を叩かれる。

 そちらに顔を向ける……と、待ち受けていたのは細い人差し指。それが俺の頬を軽く一突き。

「あはっ。おはよー」

 明るい笑顔を見せてきたのは、赤だった。一昨日ぶりではあるが、まるで付き合いの長い友人のような顔だ。

「……いきなりずいぶんな挨拶だな。時代遅れだぞ」

「えー、そんなことないのになぁ。で、色無君何組?」

「ん、2組だけど……あ」

 もう一度看板を確認してみると、2組のクラスメイトの中に赤の名前が。

 初めて出会ったときの最後の言葉。どうやらそれが、現実のものになったらしい。

「一緒のクラスだねぇ。これもあたしの日頃の行いが良かったおかげかな。

同じクラスで嬉しいよ」

「日頃のって……どこまで本当なんだか」

「んー、4割ぐらいリップサービス?」

「そりゃまた微妙だな」

 相変わらずニコニコしている赤。どの辺りが4割なのかは気にしないことにする。

「そういえば、隣にいる子達は友達?」

「ん、あぁ。店で知り合ったんだ」

 相変わらず白ちゃんを挟んで言い争いをする二人。こちらには全く興味を示してこない。

「……まぁいいや。そろそろ教室行こう」

「え、いいの? 放っておいて」

「平気だろ。というわけで、俺は先に行くからな」

 果たして、俺の言葉は三人に伝わったのか……。

 なんだか弱々しい視線を感じる気もするが、あえてそれを気にせず、赤と一緒に玄関へと向かった。

 綺麗に掃除された教室の中は、各々席について暇をもてあますクラスメイトであふれていた。

立って話をしている生徒は、数名程度だ。

 真新しい机と椅子。教壇の後ろには、チョークの粉が付いていない黒板とチョーク受け。

 そして、黒板には今日の日程が書かれた紙と、席の割り当て表が貼られていた。

 さて、出来れば後ろの席の方がいいのだが……。残念ながら、窓側の先頭席だった。

「あ、あたし最後列だ。ラッキー」

「何だ、居眠りでもするつもりか?」

「それは秘密ー……あっ、ちょっとこっち来て」

 と、俺の腕を掴んで、突然席の最後列へと歩み寄る赤。

 向かう先には、席に座って黒板を見つめる、ずいぶんと眠たげな目をした女の子だった。

「おこげちゃん、久しぶりー」

 おこげちゃんと呼ばれた女の子が、ゆっくりとした動作で赤の顔を見上げる。

「おはよう」

「おはよー。こっちでも同じクラスだねぇ」

「10年連続。すでに腐れ縁。でも薄黄は……」

 誰かの名前を呟いた途端、周りの空気がやたらと重くなるのを感じた。

「し、仕方ないよ。でもこれで10年連続かぁ」

「きっと、文科省が私と薄黄の仲を引き裂こうとしている。法律なんて……」

「それはないと思うよ、うん」

 一体何の話をしているんだか……。

 いい加減自分の席に向かいたい。そう思ったところで、今度は俺の方へ女の子の視線が向く。

 眠たそうでありながら、一点の曇りもないまっすぐな視線。なんだかちょっと、子供っぽく見える。

「赤は、いつの間に彼氏持ちになったの?」

「え? あぁ、色無君ね。それは秘密。あ、この子は焦茶ちゃん。あたしはおこげちゃんって呼んでるんだ」

「いや、秘密とかうやむやにするのってどうよ……あぁ悪い。初めまして」

 相変わらずの赤のペースに飲まれそうになる前に、適当な挨拶を返す。

「……ふふ」

 すると、何故か焦茶ちゃんは口元だけ笑みを見せてきた。

「君、知ってるよ。黄緑さんのお店の新人君」

「え……」

 まさかこの子も、あの店に来ていたなんて。

 いつも四苦八苦しながら仕事の手伝いをしているから、客の顔を見ている余裕がなかったせいか。全く気付いていなかった。

「よく、他の常連さんに怒られてるね。なかなか面白く拝見させてもらってたよ」

「なっ、あ、あれはなぁ」

 ばつが悪くなり、視線を泳がせてしまう。

 きっと、俺が黒に文句言われている姿を見ていたのだろう。当然、そんなの人には見られたくないし、知られたくもないわけで。

「んー、何か面白そうな話だね。ちょっとお姉さんに聞かせなさい」

 そして、俺の仕事中の姿など見たこともないであろう赤は、瞳を輝かせながら俺の顔を見つめてくる。

 当然、話すつもりなど毛頭ない。見つめてくる赤から顔を背ける。

 だが、そんな小さい抵抗も、焦茶ちゃんがいては意味をなさない。

「本人は話したくないみたいだから、私が」

「あっ、ちょ、焦茶ちゃんっ!」

「呼び捨てで構わないよ。で、新人君の仕事姿だけど」

「だぁーっ!」

 問答無用で話そうとする彼女を止める術はないのか。

 二人の間に割って入っても、二人は俺のがら空きになっている脇から、顔を見合わせる。

 これでは入学早々、俺が笑いのネタにされてしまう……そう思ったところで、チャイムの音が校内に鳴り響く。

 それを聞き、他のクラスメイトは皆割り当てられた席へと戻っていく。

「お、おい、時間切れだぞ。とっとと席に戻れ」

「む、何か先生みたいな事言うね、色無君。まぁ、この話は後でってことで」

「いや、ホント勘弁してくれ……」

 がっくりと肩を落とす俺を見て、赤が可愛らしい声で笑いながら、自分の席に戻っていく。

 きっと、俺がどんなに頼んでも聞き出すんだろうな。もしくは店に来て直接……。

「新人君、自分で言ったんだから、席に戻った方がいいよ」

「え、あぁ……って、新人君はやめてくれよ。色無って名前があるんだから」

 ため息をつきながら、相変わらずの口元だけの笑顔を向けてくる焦茶に背を向け、自分の席へと戻る。

 途中「似合ってるのに」と言われた気もするけど、これ以上ややこしくしたくないので聞かなかったことにする。

 本当にこのクラスで、上手くやっていけるのだろうか……無性に心配になる。

そんなファーストコンタクトだった。

 

 入学式を終え、再び教室に戻って数分。

 黒板側の引き戸がゆっくりと開き、そこから左手にプリントの束を持った、童顔の女性が顔を覗かせてきた。先ほど体育館まで案内した人とは別の人だ。

「え、えーと……みなさんいますか? いますよね?」

 全席が埋まった教室内を見渡しながら、不安げな声で尋ねてくる。

 この人を、俺は一度見たことがある。確か今朝玄関前で、人波に流されていた教師だ。

「いますね。よ、よし……」

 空いた右手で小さくガッツポーズを取り、その教師が教室に入ってくる。式があるためか、紺色の女性用スーツを着ている。

 だが、緊張しているかのような、堅い足取り。そこから伝わってくる不安な思いは、こちらにも妙な緊張感を与えてくる。

 そして……。

「あぷっ」

 ……妙な悲鳴と共に、教壇上で見事に転んだ。

 ぶちまけられるプリントの束。顔から転んだ教師は、起きあがるそぶりを見せない。

「水先生っ、大丈夫ですか!?」

 と、今度は男の教師が教室に飛び込んでくる。確かあの人は、新任ということで入学式で紹介されていた空先生……。

「だ、大丈夫ですよ。大丈夫ですからね?」

 顔を突っ伏したまま喋る、水先生のくぐもった声。

 そんな状態で言われても、全く大丈夫には見えない。むしろ泣いているのを我慢しているようにも見えて、見ているこちらが居たたまれなくなってきてしまった。

 

「そ、それでは、明日は身体測定がありますので、皆さん遅刻しないようにしてください」

 弱々しい水先生の説明も終わり、挨拶を終えたところで教室内が一気に賑わう。

 集まってきた生徒達の質問にとまどう水先生と、その後ろで苦笑を浮かべる空先生。知人らしき相手と話を始めたり、すぐに帰宅するクラスメイト。

 やることのない俺も、このまま帰宅の予定だ。しかしすぐに、俺の席の前に赤がやって来る。

「聞いたよ色無君。お仕事大変なんだねぇ」

 その一言で、すぐに赤から目をそらす。

 ……赤の笑顔が、今はとにかく嫌がらせにしか見えなかった。話したな、焦茶め。

「それより、これからどうするの?」

「ん、そりゃ帰るさ。部活の紹介だって明日だし」

「色無は部活に興味があるんだ」

 突然俺の背後から、焦茶が顔を覗かせてくる。

「音もなく忍び寄るなよ……というか、喋ったな」

「話す約束だから。で、色無は何部に入るの?」

 悪びれた様子を見せない焦茶を横目で睨みながら、ため息を漏らす。

「一応、サッカー部だけど」

「サッカー……料理とかじゃないんだ」

「何でそうなるんだよ」

「どちらかといえば家庭的に見えるんだよ。君は」

「あっ、分かる分かる。色無君は主夫さんって感じだから」

 二人の言葉に全く自覚がない身としては、この意見にはただただ首をかしげるばかり。

 俺が主夫っぽいというより、そもそも主夫っぽいというのがどういったものなのか、全く想像が付かない。

「きっといいお婿さんになるよ」

「嬉しくない褒め言葉をどうも……」

 満足そうな焦茶の笑みに、もう何も言う気が起きなくなってしまう。

「私もそう思うけどなぁ……あっ、部活の話だけど、私も陸上部入ることにしたんだよ」

 何気ない赤の一言。

 初めて出会った時もランニング中だったし、走るのが好きと言っていた。当然の事だから、驚く必要もない。

 だが、それを聞いた焦茶。浮かべていた笑みは消え、目を丸くしていた。クールな印象があった焦茶らしくない表情だ。

 もしかして知らなかったのか。いや、幼なじみの間柄なのだから、そんなはずはない。赤の様子を見るからに、中学でも陸上をやっていたのは間違いないだろうし。

「え、いや……赤、ケガはいいの?」

 そして、焦茶が呟いた一言で、今度は俺も驚かされた。

「ケガって、もう3ヶ月も前の話だよー。平気平気」

「それはそう、だけど……」

「俺が会ったときも、普通にランニングしてたけど。何だ、ケガしたことあるのか」

「うん。若気の至りって奴、かな。でも色無君の見たとおり、もうへっちゃらだよ」

 その場で足踏みをしてみせ、自分の脚は完璧だとアピールする赤。

 ケガと聞いて少し驚いたが、なんて事ない。どう見たって平気そうだ。

「さてっと、そろそろ長居してても仕方ないし、どこか寄り道して帰ろうよ。薄黄ちゃんも誘ってさ」

「あ、あぁ……うん」

「何か歯切れ悪いなぁ、おこげちゃん。あ、色無君も一緒にどう?」

「ん、あぁ悪い。俺は先約があるからさ」

 それを聞き、残念と赤が唇を軽くとがらせる。

 だがすぐ笑顔をに戻り、俺達から数歩、ドア側へ遠ざかる。

「それじゃあ、ちょっと薄黄ちゃん呼んでくるね。色無君、また明日ーっ」

「ああ」

 こちらに手を振りながら、教室を出て行く赤。

 取り残された俺と、俺の隣で髪を撫でる仕草を見せる焦茶。

 何だろう。ずいぶんと神妙な面持ちだが……。

「どうかしたのか?」

「どうかって?」

「いや、難しい顔してるからさ」

 そうかとつぶやき、初めて見たときと同じ、眠たげな目を見せる。

「何かケガの話になってから、様子が変だぞ?」

「ん、それは、まぁ……ちょっと、いろいろあったから」

「いろいろ?」

「それはそのうち、当人が話すかも知れない。部外者が話すような事じゃないよ」

 なんだかごまかされている気もするが、焦茶の様子を見て、これ以上話してくれるようには見えない。

 彼女の言うとおり、赤自身が話すのを待つしかないのだろうか……。

「色無は、ここの出身じゃないの?」

「ああ、上京してここに来たんだ、つい最近」

「そうか。それじゃあ知るわけない、か……それじゃあ、私も赤の後を追うよ。また明日」

 

 一度浮かんだ疑問というのを、気にしないようにするのは容易いことではない。

 白ちゃんと黒、二人と一緒に帰宅している間も、焦茶の一言がどうしても頭から離れなかった。

 地元民なら知っている……そんな口ぶりだった焦茶。

 もしかしたら、黒辺りは何か知っているかも知れない。

「色無、難しい顔は似合わないぞ」

「いきなり失礼だな、お前は……あぁ、ちょっと聞きたいんだけどさ」

 隣を歩く黒の横顔。視線だけが、俺の方を向いてくる。

「どうした?」

「難しいことじゃないんだが、3ヶ月前に何か事故とかあったのか?」

「事故? すまない、そういう話に覚えはないな」

 黒が知らないと言うことは、大きな事件というわけではないということか。

「じゃあ、白ちゃんは?」

「私も事件は聞いたことないかなぁ……ごめんね」

「ん、いいんだ。気にしないでくれ」

 やはり、当人から聞いてみないとダメみたいだ。

 しかし気になるな……でも、ケガのことなんてまだ知り合って間もない相手が聞ける内容だろうか。

 しばらくは自分の胸の内にしまって、気にしないようにする方が得策だろう。難しいことだが。

「そういえば、入院してたときに同い年の女の子が来てね、2週間ぐらいだけどいろいろと話し相手になってもらったんだよ。ちょうど3ヶ月前ぐらいかな」

「へぇ。その人も入院してたのか?」

「うん。外科病棟だから、ちょっと遠かったけどね」

 その言葉を聞いて、何故か白ちゃんと赤が楽しく談笑する姿が、目に浮かんだ気がした。

 まぁ、そんなことはないだろう。偶然としては、できすぎている。

 だがもしも入院するようなケガだったとしたら……焦茶があんな顔をするのも、理解できる気がする。

「だから君に難しい顔は似合わない。そんな顔する暇があったら、営業スマイルの一つ覚えるんだ」

「っ、お前なぁー」

「黒ちゃん、もう少し優しく言ってあげよう?」

「こういうのは甘やかしたらダメだからね。というわけで今日は、営業スマイルの練習だね。白、早速店に行こう」

 そう言うと、一人で足取りを速めて、俺達の前を歩き始める黒。

 その様子に、とまどう様子を見せる白ちゃん。

「えっ、でもお昼ご飯まだだよ?」

「授業料として、色無に奢ってもらおうじゃないか」

「って、お前勝手に決めるなよ!」

 黒の勝手な提案で、俺の財布が再び危機にさらされるのは確定らしい。

 ……まぁ、ケガの話は、時間をかければそのうち聞ける機会もあるだろう。

何せ高校生活は3年もある。

 今はまず、目の前の危機を乗り越えなければ。これ以上俺の財布から金がなくなることは、

なんとしても阻止しなければ。

 長い高校生活。学校と店の二足わらじの生活は、なかなか忙しいことになりそうだ……。


 『髪』

無「……」

灰「……」

無「なぁ、灰」

灰「ん?」

無「お前の髪、長いな」

灰「ん〜、そうだね。姉様よりは短いけどね」

無「そうか、いい髪だな」

灰「でも長い髪って洗うの面倒なんだよね」

無「面倒なのは分かるけど、灰は長い髪が似合ってるぞ」

灰「へ?」

無「あ、いや、その、灰はこの髪だから似合ってるって意味で」

灰「……ふふ〜ん。色無、長い髪が好きなんだ?」

無「!? な、何を言ってるんだ?」

灰「今なら触り放題だよ? ほれほれ♪」

無「そんなことすると後から何か請求されそうだからやめておくよ」

灰「そんなことしないって。ほらほら、存分に堪能したまへ〜」

無「……まぁいいや。それじゃちょっと……」

灰「それにしても知らなかったな。色無が髪好きだったなんて」

無「まぁ、灰達の髪を見てたら、なんとなく好きになっただけだ」

灰「ふ〜ん……ちなみに色無は長い方が好き? 短い方が好き?」

無「その人に合った髪なら。それにしてもいい髪だな」

灰「あはは、ゲームの対戦相手になってくれるなら自由に触ってもいいよ?」

無「それで触れるなら役得だな。綺麗な髪ってそうそういないからな」

灰「……それって、私の髪は綺麗ってこと?」

無「そーいうことだ」

灰「う……馬鹿色無」

 

空「ねぇ、先輩?」

無「ん? どうした、空」

空「先輩って、女性の髪が好きなんですか?」

無「!? 空、それをどこで」

空「灰ちゃんと先輩が話しているところ、聞いてました」

無「い、いや、それは……」

空「大丈夫ですよ、お姉ちゃんや他の先輩達には話してませんから」

無「ありがとう空……橙とかに知られたらねだるのが目に見える」

空「あの、その代わりにお願いしていいですか?」

無「へ?」

無「……」

空「わぁ……気持ちいいですね」

無「代わりのお願いが『髪を撫でてください』とは思わなかったよ」

空「だって、灰ちゃんがちょっと羨ましかったんですよ。髪が綺麗と言われて」

無「空の髪だっていいと思うけどな」

空「ちゃんと口で言ってくれなきゃ分からないですよ、先輩」

無「今度は気をつけておくよ。それにしても気持ちいいな〜」

空「……あの、先輩」

無「ん?」

空「私の髪、どうですか?」

無「空らしい、柔らかな髪でかわいいと思うよ」

空「っ!」

無「うん、灰とは違った綺麗な髪……空?」

空「むきゅー」

無「え、ちょ、空!? 空!」

 

無「アバアバアバアバアバレンジャー……ん?」

紫「……」

無「紫じゃないか、今日は髪結んでないんだな」

紫「今日は結ぶ気分じゃなかったの」

無「そっか。珍しいせいか、結んでないと大人びて見えるぞ」

紫「小さいって言うな!」

無「いや言ってないから」

紫「うー……色無のために解いてみたのに……」

無「?」

紫「あーもう! 馬鹿馬鹿この髪フェチ色無!」

無「!? お前、それをどこで……」

紫「空の髪はあんなふうにしておいて、私の髪はどうでもいいってわけ!?」

無「あーなるほど、空との会話聞いてたのか」

紫「もう知らない! 髪フェチ色無なんて——」

無「まぁ落ち着け紫」

紫「!?」

無「んー、長い髪って人によって感触が違うな」

紫「な、何するのよ!」

無「髪触ってる」

紫「そういうことじゃなくて……!」

無「ん、元気があっていい髪だな。さすが紫」

紫「っ!」

無「んー、触り心地いいなー。紫の髪」

紫「……ふん、好きに触りなさいよ。勝手にどうぞ!」

無「それじゃ勝手にさせてもらうかな。んー、いい気分だ」

紫「ふん……馬鹿色無♪」

 

黄「い〜ろなし♪」

無「ん、黄か。どうした?」

黄「見ちゃいましたよ旦那♪ 紫ちゃんの髪をナデナデしてるところ」

無「げ……何が目的だ?」

黄「さっすが色無! 私の言いたいことを察してくれるなんて」

無「カレーか? いくらでもおごってやるからとりあえずは」

黄「んー、それも魅力的だけど……」

黄「んー……気持ちいいね、色無の手!」

無「まさか黄まで触ってもらいたいと言うとは思わなかったんだが」

黄「だって紫ちゃんや空ちゃんが気持ちよさそうにしていたんだもん」

無「さいで。とりあえずは黙っていてくれよ?」

黄「はいはい。それでどう? 私の髪」

無「カレーの匂いがする」

黄「え、嘘!?」

無「嘘。黄らしい匂いが髪からしてるぞ」

黄「何それ、色無って匂いフェチ?」

無「んなわけない。黄らしいいい髪だって言ってるんだ」

黄「あはは、ありがと♪」

無「んー、それにしても短いな」

黄「長い方がよかった?」

無「黄が長い方が似合うと思うならばそれでいいと思うけど?」

黄「んー……やっぱやめておく」

無「そうか。それならそれでいいんじゃないかな」

黄「そうだね。んー! 色無の手、気持ちいい♪」

無「……変なやつ」


『マイフェイバリットシスター』

 粉塵が舞い、ほこりっぽいグラウンドばかり見てきた俺にとって、手入れの行き届いた芝生のグラウンドは、ただ驚くしかなかった。

 外周を、赤茶の400メートルトラックが囲い、その中には芝生のサッカーコート。

このグラウンドに来る前は、テニスコート2つに屋内プールも目に入った。

 田舎者にとって、この光景は新鮮だ。周りにどう思われてるか知らないが、どうしても見入ってしまう。

 改めて、すごいところに来てしまったような、そんな気にさせられる。

「きついか、ルーキー?」

 10周のランニングを終え、膝に手を付いて息を荒げている俺の後ろから声をかけてくる先輩。

 顔を上げて目に入るその姿。サッカー部部長で3年の黄先輩だ。

「久しぶりだから、少し……でも大丈夫です」

「大丈夫かっ。そうかそうか、それは何よりだ! 少々の無茶が若人の特権だもんな!」

 どこか親父くさい一言と共に、俺の背中を叩く。

 この部に入って2週間。上京の身である俺のことを気遣ってくれてはいるのだが、どうにも付き合うのが大変な先輩だ。

 そして、そんな先輩をいつも見守る女の子が一人。

 練習のある日は毎日来ているようだが、先輩の彼女だろうか……。

 

 窓から夕日が覗く、蛍光灯の明かりで照らされたロッカールーム。

「マネージャー募集?」

 練習も終わり、制服に着替えた俺の隣にいた同級生が、そんなことを口にする。

「ああ。何か部長がそんなこと言ってた」

「へぇ。まぁいてくれたら助かるかも知れないけど、人集まるのか」

 さあなと、苦笑を浮かべる同級生。

 第一、部員募集からすでに2週間が過ぎている。この時期に集まるとは、とうてい思えないのだが。

「まぁ、先輩ならその場の勢いで何でも言いそうだからなぁ。何か適当に言ったっぽっ!」

「誰が適当だってぇ?」

 同級生の首を背後から締め上げる腕。制服に着替えた黄先輩だ。

「せっかく俺があの恐ろしい青先生に承諾してもらったっつーのによぉ。少しは俺の苦労労えよぉ!」

「わっ、わかっ、分かりました! だから首、き、決まってっ!」

「先輩、死にそうだから勘弁してやってください。いや、もうホント顔が……」

 俺の言葉を聞いて気付いたのか、締め上げていた腕を解放する先輩。

「っとまぁ、そういうわけで、サッカー部の歴史にやっとマネージャーの名前が刻まれることになったわけだ」

「刻まれるのはいいんですけど、人がいないと話にならない訳で」

 その言葉に、先輩は待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべる。

「そのために今日まで我慢してきたんだ。そう、新入生が来るこの日まで……ふふ、ふはははは」

 不気味さを漂わせる笑い声。

 俺と同級生が後ずさっているのも、気にしていない様子だ。

「ちょうどいい、これからそいつに声をかけに行くところなんだ。お前らも……あれ、色無だけか」

「え? あ……」

「まぁいいか。というわけで色無っ、早速話付けに行くぞ!」

「い、いや俺これから手伝いが……あぁ、分かりましたから。

そんなおねだりする子犬みたいな顔しないでください」

 

 その話を付けるべき相手は、1年1組の教室にいた。

 薄々誰に話を持ちかけるかは気付いていたが……教室中央の席に座っていたのは、いつもグラウンドで先輩を見ていた女子生徒だった。

 その子が、教室に入ってきた俺達に視線を送ってくる。

「おぉーっ、マイフェイバリットシスターっ!」

「お、お兄ちゃんっ、その呼び方やめてよぉ」

 机に座る女子生徒に抱きつかんとする勢いで、先輩が駆け寄っていく。

 そして向かいの席に飛びかかるようにして座るや、女子生徒と嬉しそうに顔を合わせる。

 シスター……妹、なのか?

「色無も早く来いよー。っと、こっちは俺の妹で、薄黄だ」

 その名前、確かに聞いた覚えがある。確か焦茶と赤の友人だったか。

「は、初めまして。えっと……新人さん?」

「っ……それ、どこで聞いたの?」

「え? あの、焦茶ちゃんが。前に同じクラスの人だって」

 やめないどころか、言いふらしているのか。あいつは。

 教室のドアにもたれかかり、ため息を漏らす。そんな俺を、薄黄ちゃんは申し訳なさそうに見つめてくる。

「あ、その。ごめんなさい」

「いいよ、気にしてないから。でも出来れば色無って呼んでくれ」

 はいと返事をする薄黄ちゃん。話の分かる相手で良かった。

「さて、自己紹介済んだところでだ。薄黄っ!」

「ひゃ、ひゃいっ!?」

 いきなり肩を掴まれて驚いたのだろう。薄黄ちゃんの声がうわずっている。

「早速だが前々から話してた件、やっと許可が出たから明日からだ!」

「え、でもでもっ、私マネージャーとかよく分からないから」

「問題ない! どのみちサッカー部はマネージャーいなかったっ。お前がその基盤を作ればいいんだ!」

「も、もっと自信ないよぉ」

 ——全然話が付いてないじゃないか。

 二人の傍に寄りながら、肩をすくめる。

 そういえば、薄黄ちゃんの近くに寄ったらなんだかいい匂いがするな。

「いいやっ、お前は出来る子だ! 俺が言うんだから間違いない!」

「そ、そういう問題じゃないよぉ」

「なぁに、青春はちょっとの無茶も許される。お前ならきっと世界一のマネージャーにっ。

色無、お前もそう思うだろっ?」

 興奮状態の先輩の勢いに、俺はただ首を縦に振るしかなかった。

 そんな俺に、薄黄ちゃんは困り果てた表情を向けてくる。助けを求められているのか?

「せ、先輩。いきなり言われてもすぐには決められないですよ。だから今は落ち着いて」

「何を言うかっ、俺は2年待ったんだ! キャプテンになったのもマネージャー獲得のためであってだなっ」

「そんな不純な動機でキャプテン!?」

「不純じゃない! ロマンだ!」

 確か、去年はこの人の活躍で県大会優勝まで果たしているんだよな。どれだけ強い執念なんだ……。

「というわけで薄黄ぃっ、俺はお前に期待しているんだ! だから頼む!」

 机に頭をこすりつけ、懇願する先輩。

 こんな必死な先輩、見たくなかったかも。動機が動機なだけに。

「そんなぁ……」

「この通りだ!」

 2回、3回……先輩、きっと薄黄ちゃんが承諾するまで頭を下げるつもりだ。

 それは、俺よりずっと付き合いが長いであろう薄黄ちゃんも気付いているようだ。

困った表情でため息をつく。

「……そこまで、言うなら」

「本当かっ!?」

「だって、嫌なんて言えないよ……お兄ちゃんに」

 その一言が、相当嬉しかったのだろう。

 顔を上げた先輩の目は潤み、まるで子犬のように震えている。

 そして、机を掴んでいる腕には力がこもり……。

「さすが……さすが俺の妹! マイフェイバリットシスタァーッ!」

 ——飛びかかった。薄黄ちゃんに。

 感極まって抱きつこうとした。ただそれだけなのだろう。

 だが、それを絶対阻止するかのように、薄黄ちゃんの悲鳴と平手が、先輩を襲う。

 頬を強く叩く、独特の乾いた音。同時に先輩の体は、薄黄ちゃんとは全く違う方に飛ばされた。

「ぐぼあっ!」

 奇妙な悲鳴と共に、机にその体を激突させる先輩。

「お……お兄ちゃんのばかぁーっ」

 涙目で息を切らせている薄黄ちゃん。相当怖かったんだろうなぁ。

 そして、俺と目が合うや、頬を真っ赤にしてうつむく。

「あ、あのっ、その……す、すみません」

 そんな彼女に、俺はただ気にしていないと声をかけるしかなかった。

 気まずい。そんな空気を払うかのように、薄黄ちゃんが顔をあげる。

「えっと……こ、これからは、お兄ちゃんが迷惑をかけないように注意しますから、その……」

 目をそらし、両手を頬に当てる薄黄ちゃん。

「これから、よろしくお願いします。上手くできるか分かりませんけど」

 あれだけの事があっても、マネージャーの仕事は受け持ってくれるようだ。

 ありがたいような、申し訳ないような、そんな気持ちでいっぱいになってしまう。

「あ、あぁ。よろしく」

 そして俺はただ、何の面白みもない返事を返すことしか、出来なかった。


緑「こんばんわ」

黒「ん? ああ、こんばんわ。どうしたの?」

緑「ちょっと隣がうるさくてね。逃げてきたんだけど、先客がいると思わなかったわ」

黒「隣っていうと……橙か。おおかた黄色と映画でも見てるんでしょ」

緑「残念ながら青の方よ」

黒「あー……青か。あれはどうしようもないね」

緑「あればっかりはさすがにね。あれがなければ本当にいい娘なんだけど」

黒「そうね。もう少し融通がきいて気がきいて口煩くなくて早とちりがなくなればいい娘よね」

緑「それでも充分いい娘よ」

黒「知ってる」

緑「そう。ところであなたはどうしてここにいるの?」

黒「似たような理由よ。隣の部屋に色無が来てるの」

緑「あぁ、灰ちゃんか。だったらいつもみたいに止めに行けばいいんじゃないの?」

黒「灰じゃなくって白の部屋に来てるのよ。気になって仕方がないんだけど、保護者気取って野暮もどうかと思うしね」

緑「相変わらず白には甘いのね」

黒「突然話し声が聞こえなくなったり断続的な物音が聞こえてきた時は本当に怒鳴り込もうかと思ったわよ」

緑「それって大丈夫なの!? ……そうよね、色無だから大丈夫か」

黒「そういうこと。だから私はもう少しここにいるつもりだけど、あなたは?」

緑「邪魔じゃないならここにいたい」

黒「歓迎するわ」


黒「こんばんわ。今日も青が騒いでるのかしら?」

緑「こんばんわ。単に暑くて寝付けなかっただけよ。気分転換のつもり」

黒「そ。じゃあちょうどよかったわね。はい」

緑「っと、いきなり投げないでよ。これは?」

黒「レモンのシャーベット。色無が料理用に漬けてる果実酒の副産物。あんまり量が作れないらしいからみんなには内緒」

緑「そう、色無の……」

黒「なにか気になる事でも?」

緑「別に大した事じゃないわよ」

黒「知ってるわ。それを聞きたくて訊いたんだもの」

緑「ちょっとした嫉妬よ、色無と仲がいいんだなって」

黒「ふふ。仲がいいって言うか、気が合うだけなんだけどね。だけど、嫉妬の度合いはあなたより私の方が大きいわよ?」

緑「えぇ?」

黒「色無の心の距離が一番近いのは、あなただもの」

緑「え?」

黒「知ってる?色無の初恋が誰だったか」

緑「紺姉さんでしょ。それを見て色無が好きだって事に気付いたんだから」

黒「なんで否定するかな。色無の初恋はあなたじゃない」

緑「何を根拠にっ……」

黒「色無のアルバム見てるときにたまたま見つけたのよ。写真の裏に拙い字で書かれた相合傘をね」

緑「嘘でしょ……?」

黒「ホント。気付いてなかったの?」

緑「全然」

黒「あなたも結構鈍感なのね。あの写真を見つけてから注意してたらね、あなたに対する態度が違う事に気付いたわ」

緑「そんな事、ない、わよ……」

黒「あるの。正直色無に近づけば近づくほど挫けそうになるわよ。向かう先にはいつだってあなたがいるんだもん」

緑「……」

黒「負けるつもりはさらさらないわ。いらないのなら遠慮なく貰っていくわね」

緑「……どうしてそんな事を教えてくれるの?」

黒「言ったでしょ、負けるつもりはさらさらないって。それが答えよ」

緑「……私も、負けない」

黒「知ってる。だから緑も覚えておいて」

緑「わかったわ」

黒「それじゃ、お休み。……あ、そうだ」

緑「まだなにかあるの?」

黒「暑くてどうしても寝付けないなら私の部屋に来なさい。寮で一番風通しのいい部屋だから」

緑「いいの?」

黒「ええ、もちろん。白と一緒に寝るいい口実になるわ」

緑「あなたは……。まぁ、気が向いたらお願いするわ。それじゃあ、お休みなさい」

 

黒「こんばんわ。今日は緑が先なのね」

緑「こんばんわ。先っていうか、ここで寝ちゃってただけなんだけどね。あなたは?」

黒「なんとなくあなたが居る気がしたからね。はい」

緑「あ〜……ま、いっか。ありがとう」

黒「コーヒーじゃない方が良かったかしら?」

緑「そうじゃなくって、私も用意してたんだ。ほら」

黒「あ〜。じゃ、あなたの方を飲みましょうか」

緑「かなりぬるくなってると思うけど」

黒「缶コーヒーはいつでも飲めるけど、あなたの入れたコーヒーはそうそう飲めるもんじゃないし」

緑「そうそう飲める味だと思わない事ね」

黒「怖っ」

緑「ふふっ」

黒「ふふ。……それにしても、緑とこんな風に話をするなんて、入寮した時には考えつかなかったわ」

緑「私もよ。絶対に仲良くなれないと思ってた」

黒「やっぱりあなたも私が怖かったの?」

緑「いいえ、そうじゃないわ。入試の時の白への態度を知ってたから、あなたが優しい人だって事はわかってたもの」

黒「人を見る目がないのね」

緑「誰かさんが言うには鈍感らしいわね。話を戻すけど、私とあなたは似てるから、絶対に嫌われると思ってた」

黒「あれ、私と逆なのね。わたしは、緑と真逆の性格だから無理だと思ってたんだけど」

緑「えぇ?私たちそっくりじゃない?」

黒「ないって。どの辺が同じなのよ?」

緑「頭脳派なところとか自己完結型の性格とか、依存心の強さとか。あと男の趣味も」

黒「ああ、確かにその辺は似てるけど、根本的に違うところがあるでしょ。私はドSであなたはドMじゃない」

緑「失礼な!私だってSよ!」

黒「じゃあ聞くけど、人を叩くのと人に叩かれるの、どっちが嫌?」

緑「叩く方」

黒「即答でドMじゃない」

緑「た、偶々よ偶々」

黒「いやいや確定だから」

緑「ふっ」

黒「ふふふ。やっぱりあなたは面白いわ。仲良くなれて本当に良かった」

緑「私も同じ気持ち。ありがとうね、黒」

黒「感謝されるような事をした覚えはないけど、素直に受け取っておくわ」

緑「どこが素直なんだか」

黒「んふふふふ、ドSですから。さて、そろそろ私はお邪魔するわ。コーヒーご馳走様」

緑「私も部屋に戻るわ。お休みなさい」

黒「お休み。この三日間は本当に有意義だったわ」

緑「知ってる。……なんてね」


無「ただいまー。ふー、バイト早めに終わったよ」

緑「あら、おかえり色無」

無「お〜う。あれ? 緑だけか? みんなは?」

緑(くいっ)

無「ん? 庭?」

 ぱぱん! しゅわー!!

赤「遅いよ色無! せっかく待ってたんだから!」

橙「夏休み最後なんだから、ぱーっといこうぜ!」

無「花火、か。ったく、飽きないねーお前らも」

黄「うるせい! さっさとこっちに混ざりやがれ!」

桃「色無く〜ん、ずっと待ってたからココ蚊に刺されちゃった〜♪」

紫「さりげに胸はだけんな! このおっぱい魔人!」

朱「うい〜。もっと酒持ってこ〜い!」

無「既にできあがってる人までいるし……別に待ってなくてもよかったろ?」

黒「何言ってるのよ。あなたがいなきゃ始まらないでしょ?」

白「そうそう♪ はいこれ、色無君の分!」

無「お、さんきゅ」

黄「続いては、30連発参りまーす!!」

青「ちょっと! 少しはペースってもんを考えなさいよ!」

水「あ〜、き、黄色ちゃん、花壇に気をつけて……」

茶「ふえ〜、私の花火だけ火がつかないよぅ……」

灰「灰色特製暴れネズミ花火をくらえ!」

無「まったく……お前らのおかげで疲れもふっとんだよ!」

黄緑「あらあらうふふ♪」

無(これからも、ずっとこいつらといい思い出作っていきたいな)


灰「で? ここを……こう?」

黄緑「そっちじゃなくて、こっちを通すんですよ」

灰「あ、そか……」

黒「編み物もできないなんて……ほんとに女らしさが一つもないわね」

灰「……差別発言だよ、今の時代」

黒「女性のステータスだと思うけど? 役割的な話じゃなくて。こういうのできると男の人は喜ぶの」

灰「……あれ? ……あー、どこやってたかわかんなくなっちゃったじゃん! 話しかけないでよー!」

黒「自分のせいでしょうが……ほら。私は喋ってる間にももうすぐ完成ーっと」

黄緑「ここからですよ。目印つけてありますよね?」

灰「あ、ほんとだ。よーし……」

黒「悪いわね、黄緑。うちの子につき合わせちゃって。そろそろ眠いんじゃない? いつもならもう寝てる時間でしょう?」

黄緑「大丈夫です。今日は昼寝しちゃいましたから。あまりに太陽の陽射しが気持ちよかったもので、つい……」

黒「珍しいわね……あれ、ここのとこどうやるんだっけ?」

黄緑「これはここを通してですね……」

黒「……あぁ、そんな感じだったわね。思い出してきたわ……よし、完成!」

灰「くそう……あとから来たのに追い越され〜」

黄緑「泣くのが嫌ならさあ歩け、ですよ」

灰「泣かないもん!」

黒「口より手を動かしなさい、手を」

灰「動かしてるし! 話しかけないでって言ったでしょ!」

無「ふぁ〜……やべ、寝すぎた……ん? 手袋……右手の、と……じゃあこれも左の手袋……かな? 一応。全然形違うけど」

本人の前で、鍋つかみと口を滑らせてフルボッコされたのはまた別のお話。


 本当は少しだけ寂しかったのかもしれない。

 息苦しい仮面をいち早く脱ぎたかったのかもしれない。

 けれど、もうそのタイミングがはかれなくて。

 誰でもいいから私の中の私に気づいて。

 ──HELLO GIRL

 私立光彩(こうさい)女学園高等学校。市内でも指五本に入るという有名なお嬢様学校。

 とは表面上のことでお嬢様と呼ばれるこの学校に通う生徒達だって、中身はただの高校生の女の子。

 しかも、幼稚園から大学まであるこの学校で、転校生なんていうのは在学している間に一人来るか来ないか分からないほど。

 だから、普通の女子高生はめったにない転校生にざわざわと騒いでいるところなのです。

「転校生? この時期にぃ?」

 よくまぁそんなことでそこまで騒げるものだ、と私、桜井桃華は表情に出さないように感心していた。

 しかし、ここで一緒に騒がないとノリが悪いと思われてしまう。

「珍しいでしょ?まだ学校始まって二週間なのに」

 前の席に座っている委員長の赤城紅蓮がそう言った。

「どんな子だろうね?」

 その話を聞いていたらしい水無月雫がそう問いかけてきた。

「どんな子でも仲良くできるといいねぇ」

 ニコリと柔らかな笑顔を作って見せる。このくらいは朝飯前だ。

「あれ、その傷どうしたの?」

 私の少しだけ赤くなった額を指して雫が問いかけた。それを聞いて私は自分の額に触れる。

「あ、これぇ……?」

 へへ、と照れ隠しに額を掻きながら笑った。

 今朝、着替えてるときにパジャマを上から脱いだら首にひっかかって慌てていたら壁にぶつかってしまった。

 それを話すと紅蓮と雫は声を上げて笑った。

「あーあ、桃華って天然だからねぇ」

 それを聞いて私は心の底でほくそ笑んだ。あくまで、表情には出さず。

 天然。私はこの学校でそう通っている。しかし、本当の私は決してそんなキャラではない。

 いわゆる偽天然である。だから、人に天然と言われると上手く行ってるな、とほくそ笑むのである。

「えー、私、天然じゃないよぅ」

 と敢えて否定してみせるのは、真実の天然は天然であることを否定するという定説があるから。

 『私、天然なんだ』と自分で言う奴は下手な偽天然である。

「いや、桃華ちゃんは完全に天然だよ」

「もー、雫ちゃんまでそういうこと言うのぉ?」

 わざとらしい膨れ顔に舌っ足らずな喋り方、そして完璧に装った素顔。

 悲しくなんてないし、寂しいなんてこれっぽっちも思わない。

 朝礼が始まる鐘が鳴り響き、クラスメイトは散り散りに自席に着いた。

 担任の教師が教室に入ってくる。

「えー、と今日はみんなにお知らせがあります」

「転校生でしょ!」

 と声を上げたのは後ろの方に座っている黄金陽菜。

「なんだ、もう知ってるのか。なら話しは早いな」

 おい、入りなさい。と教師はドアの外に立っているであろう転校生に話しかけた。

 カラ、とドアが音を立てて開いた。クラスメイトの目は一心にその方向に向けられている。

 コツコツと革靴特有の靴音を響かせて教壇の前に位置した少女。

 てっぺんの方でまとめたお団子頭におしゃれ眼鏡なのかピンク縁の眼鏡。

 ピンクは私の色なのに、と心の中で毒付く。

「えーと、鷲見蜜柑です。鷲を見る、と書いて『すみ』です」

 短い自己紹介が終わると、担任は私の隣を彼女の席として指名した。

「こんにちはっ。よろしくねぇ」

 得意の笑顔と高めの声で媚を売る。これに騙されない奴はいない。

 しかし、予想より返事は遅く、少しだけつり上がった瞳がこちらを強く見つめるだけだった。

「……あぁ、よろしくね」

 何よその妙な間は。しかし、蜜柑はニコリと勝ち気な笑みで返してくれた。まぁ、悪い奴じゃないらしい。

「ね、蜜柑ちゃんって呼んでいい?」

 いいよ、と彼女が答えている途中で担任に私語を注意され、仕方なくそこで話すのは止めた。

 朝礼が終わるとすぐに蜜柑の回りに人が集まった。すると必然的に私の回りにも集まることになる。

「前はどこ住んでたの?」

「兄弟いる?」

 お決まりとも言える質問に愛想よく答える蜜柑。ちやほやされる姿は少し気にくわなかったが、まぁそれもすぐ収まるだろう。

 そんな感じで午前中の授業が終わり、昼休みを告げる鐘が響いた。

「蜜柑ちゃん、一緒にご飯食べよう?」

 にっこりと笑ってお弁当を見せると彼女はニッと笑って机を寄せてくれた。

「パンなのぉ?」

 蜜柑が鞄から出したのはいかにもコンビニエンスストアで買ってきたような菓子パン。

「うん、家共働きで、母親忙しくて作ってくんないから」

「それじゃ栄養足らなくなぁい?桃華が作ったやつで良かったら食べるぅ?」

 そう言って差し出すと、蜜柑は卵焼きを一つ拾い上げ、口に入れた。

「お、美味しいじゃん。すごいね、えと桜井さん?」

「桃華でいいよぉ」

 幸い料理が得意なので、時々こうして料理やお菓子を配る。これだけで周りはもっと騙されるのだ。

「料理、上手いんだね」

「えー、そんなことないよぉ」

「そうそう、時々指に火傷してるもんね」

 話を聞いていたらしい紅蓮がニヤニヤと私を見つめる。

「ちょ……、紅蓮ちゃん言わないでよぉ!」

「仕方ないよ、桃華天然だもんね」

「もー、天然じゃないってば」

「そうだよ、この子、天然じゃないよ」

 と言ったのは蜜柑。その一言に私は思わず顔を作るのも忘れてまじまじと彼女の顔を見つめた。

「……え?」

「作ってるんでしょ?そのキャラ。なんとなく分かる」

 空気が凍る。それ以上にこの状態に相応しい表現があるなら教えてほしいくらいで。

「つ、作ってないよぉ。何言ってんの蜜柑ちゃん」

 苦し紛れに出た声は少し震えていたのかもしれない。でもその声がきっかけで紅蓮も手を左右に振って否定した。

「そうだよ。桃華の天然は筋金入り。作って作れるもんじゃあないよ」

 蜜柑はまだ納得いってなさそうな表情を浮かべていたが、言い返すのも面倒なのかそれ以上言ってこなかった。

 それから三週間、蜜柑は普通に接してはくるものの悉く私のぶりっ子を否定してくるように言う。

『作ってるんでしょ?』

 頭の中にその言葉がぐるぐると回り、耳にこびりついて離れない。

「あー、何でこう上手く行かないかな」

 誰もいない昼休みの屋上で、少しだけ仮面を外せる時間。

 今までの友達でも最初は少し胡散臭く思っていた奴もいた。でも根気よくぶりっ子を演じればそれを受け入れるようになった。

 しかし、蜜柑だけは違う。天然であることを否定はするものの、避けたり、陰口を言うようなことはしない。

「よく分かんねぇなアイツ」

 人前では決して出せないような言葉遣いでボソリと愚痴る。

 言わば天敵。それも今までにいないほどの強敵。蜜柑を落とすには長い時間がかかりそうだ。

「あれ」

 と、自分以外の声が聞こえて振り向くと、その天敵、蜜柑が立っていた。

「屋上開いてるんだ」

 前の学校は開いてなかったからな、と独り言を呟いて私の隣に蜜柑は座った。

「桃華、ご飯は?」

「……早弁しちゃった」

「そっか」

「蜜柑ちゃんは?」

「同じく」

「またパン?」

「今日はおにぎり」

「栄養、」

「『足らなくなぁい?桃華ので良かったら食べる?』でしょ」

 悪戯っぽい天敵の笑みに思わず笑ってしまった。ここ毎日行われているやり取りであった。

「アンタさ、辛くない?」

「っ……何?」

 いつにない真剣な蜜柑の視線にギクリと心臓が震えた。

「だから、そういう風に演じてて」

 もうバレている。これ以上隠したって仕方ない。バラしてしまえばいい。

 そうすれば、楽になれる?

「何の、こと?」

 でも口は裏腹にまだ隠そうとする。まだ惚けようとする。

 最後の抵抗。お願い気付いて。

「あ、それよりさ蜜柑ちゃんって果物だよね。桃華も果物の名前でお揃い、」

 私の言葉を遮ったのは蜜柑が強くフェンスを叩いた音。

 針金が重なりあった特有の音は私の心臓を強く跳ねさせるのに十分で。

「そういうのいいから、本音聞かせてよ」

 重い沈黙。心臓に鉛が落ちたみたいに体が重い。初めて感じる敗北感。

 何で。

「……そういうこと言うんだよ」

 ずっと。

「……隠してきたのに」

 今まで。

「……騙されなかった奴いなかったのに」

 気付いたのは。

「……お前だけ」

 気付いてくれたのは。

「……お前だけ」

 ぼろぼろと溢れる涙を袖でグシグシと擦る。

「やっと見せてくれた」

 蜜柑はクスッと鼻で笑うと頭一個低いところにある私の頭に手を置いた。

 本当の自分じゃ好かれないと思った。自分を出す勇気がなかった。

「だからずっと、ずっと作ってきた。けど、……」

 どうしても蜜柑だけは騙せなくて、今まで自分が信じてやってきたこと否定されたみたいで。

「お前なんか、本当の友達もできないくせに、って言われてるみたいで」

 大嫌い。人を真っ直ぐに見つめるその瞳が大嫌い。自分の隠してるものを見られそうで。

「でも、初めて本当の桃華を見つけてくれて」

 嬉しかった。初めて本当の友達になれると思った。

「アンタ、素の時も自分のこと『桃華』って呼ぶんだね」

「く、空気読めよ……お前っ」

 指摘されたことが恥ずかしくて思わず蜜柑の肩を強く叩いた。

「いてっ、……くくっ、可愛い本性じゃないの」

 それでも懲りずにニヤニヤとからかってくるので頭に乗ってる手を払い除けてそっぽを向いた。

「まぁ、もったいないから私以外には見せない方がいいね」

 油断して力を抜いていたため、急に腕を引かれて思わず蜜柑の腕の中に飛び込んだ。

「何、……ひゃっ!」

 頬っぺたをちゅ、と音を立てて啄まれた。蜜柑を見ると舌を出して悪戯に微笑んでいる。

「な、な……何して」

「ご馳走様」

 思わず手を上げそうになったが、思い直して蜜柑の体をぎゅと抱き締めた。

 蜜柑は少し意外そうに目を見開いたが、すぐに抱き返してくれた。

 とりあえず今回は初めて気付いてくれたということに免じて許してやろう。

 でも、

「次に許可なくやったらぶっ殺す」

「おー、恐い……じゃあさ」

 許可とっていい? と耳元に囁かれた声に私は小さく、だけどしっかりと首を縦に振った。

pencil_1859.jpg

灰「……お姉ちゃぁん……」

黒「ぅ……ん……灰?……まだ夜中じゃない。どうしたの?」

灰「お姉ぢゃ……おね゛えぢゃーんっ!」ぼふっ

黒「きゃっ!な、何!?って、貴女泣いてるの!?まさか色無に——」

灰「ち、ちがっ……違うよぉ……夢で……夢でね、お姉ちゃんが……遠くに行っちゃってね……行かないで!って言ったのに……」

黒「灰……」

灰「大丈夫だよね?お姉ちゃんはどこにも行かないよね?」

黒「ええ、こんな可愛い妹をおいて何処かになんて行ける訳ないわよ……」

灰「お姉ちゃん……一緒に寝てもいい?」

黒「……いいよ、おいで。久しぶりだね、灰と一緒に寝るのって」

灰「お姉ちゃんの……その喋り方も久しぶりに聞いたよ」

黒「ふふ、何でかな?灰に甘えられると、この喋り方になっちゃうね」

灰「あたしはこっちのお姉ちゃんの方が優しいから好きだなー」

黒「あら、いつも優しくしてあげてるのに?」

灰「そうかなー?」

黒「お姉ちゃんの悪口を言う口はこの口かー!」むぎゅ

灰「く、苦しい、苦しいよお姉ちゃん!」

黒「そう言ってる割りには顔押し付けてるでしょ?腕に力入れてないよ?」

灰「えへ、ばれた? だってお姉ちゃんの胸、いい匂いするし気持ちいいんだもん」

黒「本当に甘えんぼうね、灰は」

灰「……このまま寝てもいい?」

黒「いいよ」

灰「あと、寝るまで撫でて?」

黒「はいはい」

灰「ん……ありがと、お姉ちゃん」

黒「良い夢がみれますように……おやすみ」

灰「おやすみ……」


白「急に暑くなってきたねぇ」

黒「そうね。もう初夏どころじゃないわね」

白「あ、黒ちゃん。あのお店でかき氷始めたみたいだよ!」

黒「あら、ほんと」

白「せっかくだから、食べていこうよ、ねっ!?」

黒「貴女はかき氷なんか食べるとお腹を冷やすから駄目!」

白「ブーブー」


白という色は残酷だ

自分以外の全ての色を拒絶し、否定し

純潔と純粋さを守る孤高の色

美しい色

いつも共に在りたいと願う私ですら、貴女と溶け合うことは許されない

見つめることしか許されない

だからなのかしら?

貴女が色無を選んだのは

何も与えず、何も押し付けず

相手のあるがままを許す男性

ぬるいと陰で囁かれる時もあるけれど

器が大きいのかもしれないわよね

黒と言う色は優しい

全ての色を その懐に抱き 胎内に納めて溶け合わせてしまう

誰もが貴女に受け入れられたがっている   私も例外ではない

でも、全てを受け入れるには貴女は優しすぎた  繊細すぎた

貴女は自分を守るために冷たい態度をとる

まるで厳しい門のように

入り口の狭い門は そこを通り抜けたものだけが

貴女の優しさに触れることを許される

だからなのかしら?

貴女が色無君を選んだのは

貴女の優しさと繊細さを理解して

苦しみと我侭を受け入れてくれる男性

貴女がどんなに冷たい態度をとっても

貴女を見つめて微笑みをくれる

貴女を受け入れてくれる大きな存在

私も一緒に

いつまでも3人でと祈る気持ちは

果たして誰の思いなのだろうか……


白「もう冬ですねー。早く雪とか降らないかなあ」

黒「何? 白って冬が好きなんですか?」

白「はい! 冬は白の季節ですから」

黒「はあ? 何かわい子ぶってるんですか」

白「うう……ひどいですう」

黒「雪なんて降られたら通行の邪魔じゃないですか。寒いから光熱費もかかるし。冬にいいとこなんてないですよ」

白「そ……そんなに言わなくたって……(うるり)」

黒「まあまあ。そう泣かないでくださいよ。くそムカつく季節ですけど、馬鹿はキャイキャイ喜んでますし」

白「慰めになってないですよ……」

黒「ふーん。白って泣くほど冬が好きなんですね」

白「だって……」

黒「?」

白「何でもないです!!(だって、冬は身体が弱い白のために黒が一緒に行き帰りしてくれるんだもん)えへへ……」

黒「何にやついてるんですか」

白「手、つないでくれたら教えます」


「もう今年も終わるねえ……」

 食後、お腹いっぱいにご飯を食べたあともみんなでコタツでダラダラしていると、黄緑がお茶を飲みながらそう呟いた。

「そうだねえ」

 私は軽く相槌をうちながらお茶をすする。

「今年は何があったっけ」

「水と茶と灰がこの寮に入ってきたり、私たちは修学旅行に行ったり? あ、あと私のところは菫ちゃんが結婚したんだっけ」

「スミレちゃんって?」

「私のお姉ちゃん」

 黄と紫の話を何となく聞いていると、今年の色々なことを思い出す。

 新入生挨拶で茶が朱姉さんにお茶を飲まされて大変だったこと、皆と回った修学旅行の遊園地のこと、桃と緑と一緒にチョコを作ったこと。なんかいろいろと楽しい一年だったなあ。

「あんた、何一人で笑ってんの?」

 青が新しいお茶を持ってきながら言った。

「ん? や、今年は楽しかったなあって」

「……う〜ん。確かに」

 クスクスと二人で笑いあう。

 その間も、静かに静かにその時はやってくる。

「でも、お前らと一緒にこうしてられるのももう少し何だけなんだよなあ」

 朱姉さんがお酒臭い息を吐きながら言う。

「来年は卒業ですもんねえ」

「まったくだ」

 黒と白は眠たそうな目でうなずく。

「来年は卒業かあ……」

「ま、正しく言えば再来年だけどね」

 ポツリと出た言葉に、すかさず緑が突っ込みを入れる。

「卒業のことを考えると気が重いなあ」

 桃が皆の思っていることを言う。

 本当は卒業なんて誰もしたくない。少ししんみり。でも、

「そんなシケタ顔、年末にするなよー」

 朱姉さんが苦笑しながらそう言うから、笑うしかなくなってしまう。

「そうだね。大晦日だもんね」

「来年はいい年になるといいねえー」

「今年も一年ありがとうねー」

「来年も宜しく!」

 赤も加わる皆が、それぞれに口を開く。

 きっと来年もいい年になるよって。

 鳴り始めた除夜の鐘を、皆で蕎麦を食べながら迎えた、あの冬。







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Last-modified: 2012-10-21 (日) 13:06:41