桃メインSS

 泣くことは逃げること。立ち向かうことから、目を背けること。だから私は泣かない。こう見えて、結構タフですから。

『色鉛筆にまつわるエトセトラ〜消えないその花びらは桃色に〜』

「……ふぅ、何を描こうか決まらなかったなぁ。どうしよ?」

 ひとりっきりの放課後の美術室は、どこか薄気味悪くて居心地が悪い。

 それは、様々な学校でも七不思議でしばしば騒がれる程度の気味悪さ。正直、一刻も早く帰りたい。

 けれど、私がこうして辛気臭い美術室にいなくてはならないのには理由があって、いや、たいしたことではないけれど。

「『何でもいいから、好きなものを描け』って、絶対適当すぎだよ……」

 四月も末、新学期を迎え、新学年になって初めての美術の授業で、担当の先生はそう告げた。

 結局、私は授業時間までに題材が決まらず、こうして放課後に美術室に出頭してまで考えているわけで。

 そして私は、指定されたものならともかく、自由課題で絵を描くということが苦手なのです、ハイ。

 基本的に何に関してもそうだと思う。

 学校の授業も、もっと言えば友達付き合いも、なんとなく感じている義務みたいなものがある。

 将来のために、と親や教師に勉強をさせられ、空気を読めないと困るから、友人に合わせさせられる毎日。

 これを義務と言わず、なんと表現できるだろう?しかし、それは嫌と思うほどのものではないことも事実。

「やっぱりみんなみたいに適当に決めとけばよかったかなぁ……」

 いきなり外に放り出されて、道なき道を進むよりは、安全に舗装された道を誰もが選ぶように、私もその一人というだけのこと。

 そして、その義務に身を任せたままでいるのは、とってもらくちんだ。

 だから、自由にとか好きなようにっていうのは、逆に何をしていいのか分からなくなる。

 難しいことを考えなくても、なんとなく過ぎていく日々。なんとなく消えていく昨日。

 そんな毎日は、あんまり嫌いじゃない。

「もーやめやめっ! かーえろっと……げ、もうこんな時間だ……」

 意外に遅くまで悩んでいたようで、日は暮れていないものの、きっと友人はみんな帰っているだろう。

 外からはまだ野球部の大きな声が校舎内に響いてくるが、さっきまで聞こえていた吹奏楽部の音は、いつの間にか止んでいた。

「……帰ろ」

 音のない校舎をてとてとと歩く。外からは音が流れてくるのに、それは決してこの校舎に馴染まずに霧散していく。

 野球部員の声も、外を走る車の音も、道を歩く人々の雑踏の音も、ここでは意味を持たない。

 本当に外界とは隔絶させた空間、その校舎は神秘的というよりは恐怖に近いものを感じさせる。

「もう、気味悪いなぁ。ほんとに誰もいないの? ……うー、怖い」

 気持ち駆け足で下駄箱へ向かい、靴を履き替えて外へ出る。そのときにさっと風が顔に吹きかかった。

 春の暖かさを含み、むしろべたりと張り付くような暖かさに、思わず顔をしかめてしまう。

 すでに日中の気温は、暖かいから暑いに移行しようとしている。少し汗ばむのが、どうしても気持ち悪い。

 しかし、そこで私はあることに気がついた。先程の風に飛ばされてきたのだろうか、足元に何か落ちている。

「帰ったらシャワー浴びよっと……あれ、これ……桜の花びら? この辺りにはなかったはずじゃ……」

 確かに、校門の近くには多少その花びらを残している桜があるものの、生徒玄関付近には植えられていないはず。

 それではいったいどこからこの花びらはやってきたというのか。

「……あ、むこうにも落ちてる」

 よく目を凝らすと、校門の方向とは逆の方へと続く道に、また桜の花びらが落ちている。

 そしてそれは、奥へ、奥へと続き、うっすらと桃色の道を作っているようだった。

「ちょっと、寄り道してみよっか?」

 と、自分自身に問いかけてみる。どうしてそんなことを思ったのかは分からない。

 けれど、奥へ奥へと続く道を作っている桜の花びらに体が引きつけられるように、不思議と足が進むのだった。

 

 生徒玄関を出て、野球場の脇を通り、校庭に沿って進む。道はまだ続く。

 花壇と並木に挟まれた道を通り、渡り廊下のところで曲がり、突き当たった武道場の裏を歩く。花びらの数が少し増えてきた。

 最初はゆっくりと花びらを見失わないように、慣れてくると歩くペースで、そしてすぐに小走りに。

 道を進めば進むほど、はやる心が抑えられず、体が勝手に動いてしまう。暑さも気にならなくなってきた。そしてついに、

「わぁ……すごく、きれい……」

 たどり着いた先は、学校の敷地の端の端、たった一本の桜の木。

 それは、もう花びらはほとんど散ってしまっているし、桜吹雪が見られたわけでもなかった。ただの、散りかけの桜。

 けれども、私が心を奪われたのは散ってしまった花びらのほうだった。

 その花びらは、木の足元に満遍なく降り注いでいて、その桜の周りだけ桃色だけで埋め尽くされていた。

「桜の、絨毯みたい……ほんとに綺麗……」

 しばらくの間、じっとこの景色に見とれてしまっていた。が、幹のちょうど後ろのほうに誰かがいるのが見えた。

 そっと、なんとなく足音を立てないように遠くから回り込むようにして覗く。あれ、何で私こんなこそこそしてるんだろ?

「あ、あの人……って、確かうちの学年にいたような……色無くん、だったっけ?」

 そこにいた彼は、どうやら木陰で休んでいるらしく、時折うつらうつらとしている。もしかしたら寝ていたのかもしれない。

 そのとき、彼がふと私のほうを見た。ちょうど吹き抜けた風が、さっと髪を掻き分けた。重なり合う目線。

「——っ!」

 その一瞬、私の中で、何かが弾けた。ひとつ弾けた何かが、隣に連鎖していくように弾けていく。止まらない、抑えられない。

 必死に胸を押さえてみても、どうしようもなく、心臓がリズムを作るように鳴り出す。

「はっ、はっ、っ——」

 それが何なのか分からなくて、少し怖くて、私は駆け出した。息が詰まる、走る、息を吐く……苦しい。

 家に着くと、急いでシャワーを浴びた。汗と、焦りと、恐怖が少しずつ流れていく。

 しばらく、シャワーを出しっぱなしにしたまま、私はぼーっと立ち尽くした。この戸惑いを抱えたまま。

 

 その翌日の放課後、私はまたあの桜へと向かっていた。今度は、スケッチブックと色鉛筆を持って。

 なんとなくだけれど、私はあの桜を描いてみたいと思ったからだ。それに、昨日の彼のことも気になったままだ。

 どうしてあんなことになってしまったのかは、よく分からない。でも、分からないままのほうが怖かった。

「でも、会ったら何て言えばいいんだろう……昨日、逃げちゃったしなぁ。悪いことしたわけじゃないのに」

 そう、目が合った瞬間に逃げ出すなんて、失礼にもほどがある。彼だって、きっといい思いはしていないはず。

「とりあえず、謝ろう。まずはそれからってことで——」

「あのー、すいません」

「ひゃっ!?」

「ま、待って! あのさ、昨日、ここに来てた人、だよね?」

「あ、あの……えと、わわっ……」

 このいきなり私に声をかけてきた人物、まさに昨日の彼、色無という人そのものだった。

 しかし、心の準備ってものがあって、不意打ちも同然のこの展開に、頭は混乱するばかりだ。

「あー、ごめん。なんかすごく驚かせたみたいで。今日のところはひとまず帰るよ。また今度にでも……あれ?」

「……? ……あっ、や、ちがっ」

 なんだか無意識のうちに、彼の服のすそをつかんでしまっていたみたいだ。慌てて放すと、すそはしわくちゃになっていた。

 彼は、そのしわになった部分を見ると私に向かって苦笑いをしながら、告げた。

「うん、じゃあ落ち着くまで待ってるから」

 私が落ち着くまでの数十分、彼は何も言わずにじっと待っててくれた。

 きっと聞きたい事だっていっぱいあったはずなのに、それでも待ち続けてくれた。

 だから、そのやさしさを分かってしまったから、そのことが余計に私の中を騒がせていたのだけれど……

「もう落ち着いた?」

「はひっ! ……はい……」

「はは、ほんとに大丈夫?」

「えと、大丈夫です……」

 ……妙にしおらしいなぁ、私。普段の私はどこへいったんだろ?

 いつもなら、もし友達が相手だったら、適当なことを言ったりして会話を無難に続けられて、返答に困ったら話題変えて……

「俺は色無。2年7組なんだけど、君は?」

 でも、この人だけにはそんなことをしたくない。押し付けられた義務を受け入れるときとは違う、そんな気持ち。

 今まで感じたことのない、友人とも違うこの、よくわからないもの。

 何かを、自分から大切にしようと思えてしまうこの感情を、守りたい。

「桃。桃です、に、2年3組……よろしくね?」

「そういえばさ、桃はどうしてこんな学校の端のところに?まぁ、俺だってこんなところにいたんだけどさ」

「たまたま、落ちていた桜の花びらを辿って、気がついたら……です」

「……実は俺も」

「ほんとですか?」

「うん。帰ろうと思ったら、玄関のところにこれが落ちててさ、気が付いたらこんなところに」

「すごい偶然。ほんとに……」

「あれ、そのスケッチブック、もしかして美術の課題のやつ?」

「あっ、忘れてた。私、この桜を描きに来たんだった」

「桜って、このもうほとんど散った桜を?」

「そうですけど。あ、変ですか?こんな散りかけを描きたいだなんて」

「うーん、まぁそんなところだけど。もっといいものがあると思うよ?」

「いいんです、これで……」

「そっか。じゃあ、俺はそろそろ帰るよ」

「そ、そんなっ! まだ明るいですよ!?」

「び、っくりしたぁ……いきなり大声ださなくても」

「ごめんなさいっ! でも、まだ少ししか話してないのに……」

「いや、俺もそう思ってたんだけどさ。ほら、時計見て」

「えっと……あれ、もう6時過ぎてる? うそ、だってまだ日が暮れるには……あっ」

「水平線の向こう、もう暗くなってるだろ? いやー、意外に時間って早く過ぎるんだなぁ」

 目を向けた先、かなたの水平線。

 そこには綺麗に夕と空が溶け合っていて、きっとあんな色は誰にも描けないんだろうなぁって、ぼんやりと思った。

 明るい空と静かな夕は、相容れないようで綺麗に混ざり合っている。

 それじゃあ、私は? 友人の前にいる私と、彼の前にいる私は、混ざり合っているの? どんな色をしているの?

 ——そもそも、私は何色をしているの?

 綺麗なはずの景色が、一瞬だけ歪んで見えた。

「桃、どうかした? なんか泣きそうな顔してる」

「! ……なんでもないです。ただ、空が悲しい色をしてるなって、思っただけです」

 うそ。悲しい色をしているのは、私に違いないのに。

 それを偽って……あ、これっていつもの私と同じだよ……なんだ、そうか。結局わたしは、わたしは……。

「嘘つくなよ」

「嘘じゃないです。なんで私が嘘ついてるって思ったんですか?」

「涙」

「へ?」

「じゃあ、何で涙、流れてるの? 桃、泣いてるよ」

「うそ、つかないでください……どこにも、なみだなんか……」

 うそ。さっきから、頬を伝う雫が止まらない。うっとおしいなあ。でも拭きたくないなぁ。

 うそ。早く、止まって。いやだ、こんなの。だれか、止めてよ。

「……わかった。桃は泣いてない。その頬から流れてるのは涙なんかじゃない。これで、いいんだろ?」

「そうですよ。だから、あなたが心配する理由なんか……」

「そうだな。でも」

 ふいに、体がぐいっと引き付けられて、顔に何かが押し付けられた。目の前には、白いワイシャツ。

「それを拭いちゃいけない理由なんかないだろ?」

「……シャツ、濡れちゃいますよ?」

「いいよ、どうせ雨でも降ったんだろ。ほら、もう外が真っ暗だ。雲でも出てるんじゃないかな」

「そうですね。もう、真っ暗です」

 ぎゅっと、私を締め付ける力が強くなった。彼は、その目から涙を零していた。

「ワイシャツのボタンが押し付けられてて痛いです」

「そんなことない」

「どうして泣いてるんですか?」

「気のせいだ。雨でも降ってるんだろ」

「痛いなぁ……痛い。痛いよう……」

「我慢しろよ。俺だって、痛い」

「そっか、痛いんですか。おかしいですよね、何にも怪我してないのに……」

「なぁ、その丁寧語やめてくれないか? さっきから俺ばっかりタメ口だ」

「……そろそろ、帰りませんか? もう遅くなっちゃいましたよ?」

「そう、だな……」

 体から、ふっと力が抜ける。すとんと落ちる体。あれ、立てない? さっきから支えててもらってたのかぁ……失敗失敗。

「それじゃあ、な。桃」

「はい、色無くん」

「……」

 彼が背を向けた瞬間、何かが壊れてしまった気がした。さっき、守りたいって思ったのに……あれ、何をだっけ?

 思わず頬に触れると、涙の乾いた跡と、丸いへこみができていた。ワイシャツのボタンと同じ大きさの痕が。

「だから、痛いって言ったのになぁ……」

もう、空には何も見えなかった。

 

 次の日、私はまたあの桜へと足を運んだ。もちろん、彼はいないと確信している。昨日のことを考えればあたりまえのこと。

「ほらね、やっぱりいない」

何を当たり前のことを言っているんだろう。それでも、自分の中に溜め込んでおきたくなかった。言葉にして吐き出したかった。

「桜、もう花びらないなぁ」

 昨日は、まだもっと残っていたように思ったけれど……一晩で劇的に散るものなのだろうか?

 まぁ、今となってはどうでもいいか。私は、ただ、桜を描くだけなんだ。それだけ。

 スケッチブックと鉛筆を取り出して、デッサンを始める。もともと絵が上手な方ではないから、まずは下書きから。

「……」

一日目が終わった。

 また次の日、やはり彼はいない。まだデッサンを続ける。本番までにはまだまだ遠い。

 桜がまた散ってしまったように思う。昨日よりさらに少ない。でも、いいんだ。

「……」

二日目終了。

 そのまた翌日。今日は友人から誘いが来た。

「ねぇ、桃。今日も遊べないの?」

「うん、ちょっとね」

「最近妙に付き合い悪いんだけど……もしかして、これか? 男か? そうなんだな?」

「違うよ。ほら、美術の課題が残ってて……」

「あぁ、あれ? なに、いつもの桃なら適当にやってたのに、どうしたの? なんならアタシがぱぱっと描いて」

「ううん、私が描くよ」

「そう? ……まぁ、いいや。じゃ、アタシらもう行くけど、次は遊びにいこうぜ!」

「うん、ありがと」

 今日は友人と話していたので、いつもより少し遅れてしまった。やはり、彼はいない。

 昨日は思ったより進みがよかったので、今日から本番。色鉛筆を使おう。

 最初に取り出す色は——なんだろう? 何色から使えばいいの?

「私は……何を描きに来たんだっけ?」

 あれこれ悩んだけど、結局思いつかなかった。

 三日目が終わる。

 四日目の朝、起きると体が重かった。熱を測ったら微熱だったが、親には休めといわれた。

 普段はうるさいくせに、こんなときだけ優しいなんて卑怯だ。

 ベッドの中で、うつらうつらとしながらぼんやり思うこと。

 いつもならこの時間は勉強しているころなのに……確か今日の一限は、なんだっけ? 思い出せない。

 いつの間にか昼が過ぎて、午後の授業は適当に流して、ホームルームが終わったら、何をしてたっけ? 分からない。

 ふと、桜の花びらが散る夢を見た。その桜は、すでに数えるほどしか花を残していないのに、まだ散り続けていた。

 おかしい、なんでだろ。あぁ、夢だからか。夢の中で夢と気付くなんて、めずらしいなぁ。

 あれ、足元に何か落ちて……花びら? あれ、これどこかで……。

 響く頭、誰かが耳元で叫んでいる。——思い出せ。思い出せ。思い出せ。思い出せ。

 誰? ——思い出せ。思い出せ。思い出せ。思い出せ。

 はっと振り返る。そこに立っていたのは……。

「わ、たし?」

 全身が淡く桃色に輝いているそれは、なぜか私の形をしていて、なぜか泣きそうな顔をしている。

 ——思い出せ。思い出せ。思い出せ。思い出せ。

「どうして、泣いてるの?」

 それに問いかけると、それはゆっくりとその腕を私に向かって伸ばし、私の頬に触れた。

 その瞬間、目元が濡れる感じがした。目のあたりが、ジーンとする。

「あれ、泣いてるのは……わたし?」

 目が覚める。外を見ると、もう辺りは真っ暗だった。思わず目元をぬぐうと、涙が乾いた跡があった。あの時と、同じ。

「泣くつもりなんて、なかったのに……こんなに弱かったっけ?」

 少しの自嘲を含んで苦笑いしてしまう。けれど、心はすっきりしていた。なぜだか、自分のやるべきことが分かっていた。

 きっと、いい夢でも見たんだろう。よく覚えてないけれど。

 それでも、明日やるべきこと。それは——

 放課後、またあの桜の元へ。一日ぶりなはずなのに、もう何ヶ月も来ていないように感じた。

「さて、はじめますか」

 スケッチブックと色鉛筆を取り出す。改めて景色を見渡す。それは、もう花を残してはいない桜。

 けれど、私は桜ではなく、その空間を見渡した。

 そこには、散った桜の木と、その一面が絨毯のように敷き詰められた花びらが作る、美しい景色があった。

 この前までの私では、おそらく見ることのできなかった風景。

 そしてなにより、私が一番最初に美しいと感じた景色こそが、これだったのだ。

「これで、やっと……」

 こうして、私はようやく絵を描き始めたのだった。

 

 数日にわたって絵を描き続ける間、私は見えない誰かに時々話しかけてみたりした。

 それが誰なのかは、分からない。桜に話しかけたのかもしれないし、自分や、もしかしたら、彼に……

 それでも、絵を描いている間、ずっとなにか暖かさを感じていた。だから、そのお返し、っていうのも変かな?

 今日の話題は、私が色鉛筆を使っている理由についてだ。

「絵の具だと、洗うのも面倒だし、汚れるのもヤだし、だから却下。消去法みたいに色鉛筆使ってるみたいに聞こえるかもしれないけど、でも色鉛筆は好き。だってさ、口ではうまく表現できないけど……あったかいんだよ、色が。だから、大好き」

 こちらから、一方的に喋るだけだけど、誰かがちゃんと聞いていてくれる気がする。だから続ける。

「よし、今日はこんなもんかな。明日ぐらいには完成しそう。だから……」

 でも、きっと明日が最後。

「待ってて」

 色鉛筆が、しゃっしゃっと音を立てる。リズム良く、それでもたまに不規則に。

 時々は色に悩んで止まったりもするけれど、やがては再び、さっさっと音を続ける。

 これまでにこの音を何度も聞きながら、その度にいろいろなことがあった。とてもつらいこともあった。

 それでも、今日まで絵を描き続けることができたのは、きっとこの桜のおかげ。

「はんとに、今までありがとう……ありがと」

 今や、その花びらは一つとして残っていない。花は全て散り、木の根元に敷き詰められている。

 寂しくない、わけない。最後まで支えてくれた、大切な存在なのだから。

「夢にまで出てきて、助けてくれたもんね。そうじゃなきゃ、今頃……」

 けれど、目を閉じれば、いつだって浮かんでくる。

 風に流されて、ひらひらと桃色が舞い落ちる、あの美しい桜が。そして、木の下に座る、あの人が——

「……できた」

 これが、私の答え。やっとわかったよ、色無くん。

「きれいだね、その桜の絵」

「来て、くれたんですか」

「あのさ、いつも見てたんだよ。結局心配でさ。あれから何日かして、一日休んでたみたいだけど、また絵を描き始めて……」

 うん、知ってるよ。ずっと、見ていてくれてたことくらい。

「休んでたあの日、大丈夫だった?もしかして風邪とか引いてなかった?」

「ちょっと微熱でした」

「今はもう平気なんだろ? 無理してたら怒るぞ」

「大丈夫です。一日休んだら、すっかりよくなりました」

「そっか、よかった……なぁ、桃」

「なんですか?」

「やっぱり、その、丁寧語はなんとかならないのか?」

 ドクドクドクドクドクドクドクドクドクドク——音は止まらない。

 心臓から、体中に伝わって、頭の先までおかしくなるみたい。けれど、伝えたいことが、ある。

「今まで、ごめんなさい」

「……はい?」

「あの時は、本当にごめんなさい。私はあなたにやつあたりをしただけでした。うまくいかない自分にやきもきして、そんなことで泣き出した自分が嫌で、泣いていることを認めたくなかったんです」

「そっか、そうだったんだ……」

「自分から何かしようって思っても、何をしていいか分からなくて、自由って怖くて……」

「うん」

「それでも、この何日かずっと絵を描いてて、それでやっと気付いたことがあって……そのためにはまず謝らないといけなかった」

「別にもう気にしてないって。こうして、また喋れたんだし」

 そんなふうに笑わないで。私は、今まであなたに酷いことばかりしてきたんだから。

 だから、こうして謝らなければ、きっとあなたにこんなことを伝える権利はないから。

 対等な立場になろうなんて贅沢は言わないけれど、せめて伝えるだけ。これが、私なりのやり方。これが、私が決めたこと。

「最後にもう一回だけ、本当にごめんなさい。こんな自分勝手でわがままな私を、許してくれますか?」

「……許すも何も、もともと怒ってないし」

「そうですか……それじゃあ、やっと言えるね」

「……あれ、丁寧語じゃない?」

「さっきまでの私、泣いてばかりの桃を許してくれてありがとう。ほんとに嬉しかった」

 泣くことは嫌い。涙で前が、見えなくなるから。貴方のことが、見えなくなるから。

「もし、色無くんが私を許してくれなかったら、私は私を許せなかったと思う。だから、ありがとう」

 それでも私は泣き虫だから、きっと泣いちゃうんだと思う。

「それと、見守っていてくれてありがとう。また、会いに来てくれてありがとう」

 けれど、それでも泣いちゃったときは、きっと……。

「いいんだよ、それくらい。だって、俺は、桃のこと——」

 貴方が私の涙を拭いて、優しく抱きしめてくれるから。その温もりをくれるから、

「だめ。今度は、私からだよ?」

 私は、安心して泣けるんだ。こんな泣き虫だけど、貴方は私の側にいてくれますか?涙を拭いていてくれますか?

「桃。もう、お前のことを泣かせたりしないから。涙なんか似合わない。だから、笑ってろ……できれば俺の前でいっぱい」

「ぷっ、あははっ! 斜め上の発想だったよ、それ……あはははっ!」

「わ、笑うなって! あ、いや、笑っていてくれてた方がいいんだけど、あー、違うっつーか……」

「あー、おかしかった……うん、やっぱりいいね、笑うのって」

「おい、桃……泣いてる……」

「これ? 違うよ。嬉しくって泣いてるの。やっぱり、色無くんでよかった。他の人にはこんな顔見せらんないよ」

「あたりまえだ」

「うん、頼もしいね」

「まかせとけ」

「あー、あれ? 私、何言おうとしてたんだっけ?」

「そもそも、何を話してたんだかなぁ。あれ、そのスケッチブックの桜の絵、木の下に何か描いてある……」

「……え? ちょ、ちょっと! 見ないでよ! ばか!」

「おわっ、スケッチブックで叩くな! いて、ぐっ、角が……」

「せっかくかっこいいと思ったのに。ばか! ……でも、大好きです」

「……今、何て?」

「ばか!」

「そのあとは?」

「……」

 そのとき、ぶわっっと大きな風が吹いた。私は思わず目を閉じてしまったけれど、目を開くと、

「わぁっ、桜が綺麗……」

 地面に敷き詰められた桜の花びらたちが、風に巻き上げられて一斉に空へと飛んでいった。

 桜吹雪が水色の空へと向かい、空は桃色に染まってゆく。

 すると、地面に敷き詰められていた桃色の絨毯は、綺麗に消えてしまった。残ったのは、丸裸の木と、私と彼。

「寂しくなるな、ここも」

 彼は、ぽつっとそんなことを言った。確かに悲しい。でも、私は知っている。

 ひらりと舞い落ちた、ひとひらの桜。それに手を伸ばすと、桜はあっさりと私の手の中に入った。

 あおして、それを腕ごとそっと、胸に引き寄せる。

「大丈夫、ずっとここにあるよ。大切なものは、いつでも」

「そっか……そうだよな」

 だって、ほら、目を閉じればいつでも浮かんでくる。

 私と、桃色の絨毯と、桜の木と、その木の下に座る、大好きな彼が——。


無「あ〜あ、最近めっきり寒くなってきちゃったな……」

桃「なんだか残念そうだね?」

無「そりゃもう。だって寒くなってきたら……」

桃「きたら?」

無「寒くなると服を着込むようになるだろ? 薄着じゃなくなるだろ? 透けて下着見えることなんて夢のまた夢になるだろ? 残念だろ……」

桃「な〜んだ、そんなに見たいんなら言ってくれればいいのに♪」

無「はは、男の下着見て何の得が……あれ? 桃さん?」

桃「は〜い! 桃で〜す♪」

無「こんな話に乗ってくれるなんて、てっきり男だと思ってた……」

桃「色無君、なんだか熱弁してたしね〜。私だって気づかなかったんだ〜」

無「いや、これは男を相手にしてることを前提にした話でね? その……」

桃「へ〜、男君とはこんなHな話してるんだ〜(にじり)」

無「いやあの桃さん? 妖しい雰囲気全開なんですが」

桃「桃の全部を、見せてア・ゲ・ル♪」

無「見せなくていい! いや見せてほしい! いややっぱりらめぇえええええ!!」


 桃色が新妻だったら

無「ただいま〜」

桃「お帰りなさぁ〜い!」

無「喉渇いてるから、とりあえず何か飲むものくれる?」

桃「う〜っと、ビールがいい? 麦茶がいい? それとも私のオッパイかな?」

無「水道の水でいいです……」







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Last-modified: 2012-10-21 (日) 04:20:35