紫メインSS

 いつだってやかましいほどにおしゃべりの花が咲きまくってるのが普段の寮の食事風景だが、その日は朝からお通夜みたいに静まりかえってた。

「……」

「……」

 誰も口を開こうとせず、黙々と箸を動かすだけ。実に珍しいことだ……いや、緑と黒はいつもこんな感じだが。

「こ、このお味噌汁おいしいね、黄ちゃん」

「そ、そうだね橙ちゃん。もしかしたらウコンかターメリックが入ってるのかも」

「それはカレーに入れるスパイスだよ、黄ちゃん」

「あちゃー、うっかりしてたー。あはは……はは……」

 静寂に耐えられなくなった橙と黄が必死で場を盛り上げようとしたが、むしろ逆に室温は下がった気がする。

「……」

 まあ会話がはずまない原因は明らかで……おしゃべりのオピニオンリーダーである紫が、むっつりしたまま一言も口をきこうとしないのだ。

 隣に座る青から肘でつつかれ、俺は気が進まないながらも紫に話しかけた。

「なあ紫、どっか調子悪いのか? なんか箸も進んでないみたいだけど」

「……別にいつも通りだけど」

「いつも通りって、全然いつも通りじゃねーだろ。夏風邪でもひいたのか? 今日は日曜だし、ゆっくり休んで——」

「なんでもないって言ってるでしょ……ごちそうさま」

 不機嫌そうに言い捨てると、紫は半分も食べないうちに箸を置いた。俺と話すときは不機嫌かご機嫌のどっちかな紫だが、それにしてもこんなローテンションなのは見たことがない。

「あら、もういいの? お口に合わなかったかしら?」

「ううん、おいしかったよ。あんまりお腹すいてないだけ。それじゃ私、部屋に戻るから」

 結局最後まで笑顔を見せることのなかった紫が退場すると、示し合わせたように残りの全員が立ち上がって俺の周りを囲んだ。なんですか? リンチ?

「ちょっと色無、何やったか知らないけど、さっさと謝ってきなさいよ!」

「そうそう、どうせ色無がまたちょっかいかけたんでしょ。口げんかするのはかまわないけど、冷戦は勘弁してよね」

「私は静かに食事がとれて願ったりかなったりだけど、寮の空気がぎくしゃくするのはいただけないわね」

 何でこいつら、そろいもそろって人のせいにしやがるのか。

「別になんもやってねーよ。つか、いいかげん何かあるたびに何でもかんでも俺に濡れ衣着せんな」

「でも……紫ちゃんが怒ってるときって、たいてい色無くんが元凶だと思うけど……」

 ……おとなしいのに、たまーにざくっと胸をえぐるようなこと言うよな、水って。

「あーもう、分かったよ。謝る謝らないは別にして、とりあえず様子見てくる」

 結局いつものようにこっちが折れる形になって、朝飯の残りをかきこんだ俺は紫の部屋に向かうべく階段を上った。

 

 コンコン——ノックしても返事がないので、ドア越しに話しかける。

「紫、いるんだろ? みんな気にしてるから様子見に来たんだけど。……寝てんのか? 入るぞ? 入っちゃうぞ?」

 物音一つしないのでさすがに心配になって、そーっとドアを開けて中をのぞき込むと、紫はベッドにうつぶせになって枕に顔を埋めていた。

「うっさいなあ……ほっといてよ」

「そうもいかんだろ。紫が笑ってないと、みんな調子狂うんだよ。俺が何かやったってんなら謝るからさ、みんなとは普通にしてもいいだろ?」

 紫は返事をしなかったが、ここまで来て戦果なしで帰るわけにも行かないので音を立てて床に座り込み、長期戦の意思表示をする。

「……誰にも言わないって、約束してくれる?」

「? ああ、約束するよ。なんだ?」

 数分の沈黙のあと、ついに紫が口を開いた。か細い声を聞き取ろうと枕元に身を寄せると、不意にがばっと身を起こした紫が潤んだ瞳で見つめてきた。

「色無……私……私ね……」

 な、なんだこの流れ……まるで告白でもされるかのような雰囲気に気圧され、俺は息を止めて紫の次の言葉を待った。

「はが……」

「……葉賀?」

「歯が痛いよう……」

 言い終えると同時に、紫の大きな目からぽろぽろと涙の粒がこぼれ落ちた。

「……あー、あーあーあー。歯、ね。歯が痛いのか」

 がっかりしたようなほっとしたような複雑な気分で、ひとまず俺は大きく息をついた。

「どれ、ちょっと見せてみろ。あーってしてみ?」

「あー」

「んー……あー、これか。そんなにひどくもなさそうだけど、ちょっと黒くなってんな」

 もう少しよく見てみようと顔を近づけると、その距離に照れたのか、紫は口を閉じてそっぽを向いた。

「もういいでしょ。とにかくそういうわけだから、しばらくほっといて」

「ほっといてって……虫歯もほっとくのか?」

「今ちょっと痛むだけだもん。ちゃんと歯磨きしてるから、たぶんこれ以上ひどくはならないし、波が引けば痛くなくなるから。絶対みんなには内緒だからね」

「ふーん……まあお前の歯だからいいけどな。そんじゃお大事に」

 再びぐったりとベッドに横になる紫を残して、俺は後ろ手にドアを閉めた。

 

 そのときの紫の驚きようと言ったら、もう見開いた目が飛び出してくるんじゃないかってくらいだった。

「紫ちゃん、虫歯なんですって? さっき歯医者さんに予約入れておいたから一緒に行きましょうね」

「き、黄緑!? 色無、チクったわね! この嘘つき! 裏切り者! スケコマシ! ジゴロ! ハーレムマスター!」

 ひでえ言われようだ。つかハーレムマスターて。それ悪口なのか?

「紫のためを思えばこそだ。虫歯はほっといてもよくなることは絶対ないからな。諦めて歯医者行って、きゅいーんと直してもらってこい」

「きゅいーんとか言うなー!!」

「はいはい、行きますよー」

「いやー!! 助けてー!!」

 黄緑にズルズルと引きずられていく紫を見送りながら、俺は心の中でドナドナを歌っていた。

 

「お、勇者様のおかえりだ。おつとめご苦労さん」

 二時間ほどして、紫は朝食のときよりさらにむすっとした顔で黄緑と一緒に帰ってきた。

「まだ怒ってんのか? しょうがないだろ、虫歯が進行したらもっと痛くなるんだぞ。まああと何回か通わなきゃ行けないから、気が重いのも分かるけど……」

「いえ、もう今日で治療は終わりなんですよ。抜歯したので」

 紫の頭を撫でながら、黄緑が意外な事実を教えてくれた。

「え!? いきなり抜いちゃったの? 素人目にはちょこっと黒ずんでるかなーって感じだったけど、そんなひどかったのか?」

「いえ、虫歯自体はまだそれほど進行してなかったらしいんですけど……最後の乳歯だから、もう抜いてしまった方がいいだろうって……」

 ものすごく言いにくそうに、黄緑は困った顔で笑っていた。

「……そっか。その、なんだ……よかったな、紫。その若さで差し歯にならずにすんで。これで紫もようやく大人の仲間入りだな。今夜はお祝いだ!」

「うう……ひっひゃいってひうな……」

 涙目で言い返してきた紫は、まだ麻酔が効いててろれつが回っていなかった。

 

「はい、今夜はお赤飯よ〜」

 黄緑が嬉しそうに食卓の用意を調えていく。しかし、まさかほんとにお祝いするとは。

「赤飯? なんかおめでたいことでもあったの?」

「うふふ、内緒です。ね、紫ちゃん」

「え? まさか紫ちゃん……ようやく……」

「? ……!! ちっがーう!!」

 純真な俺にはよく分からない理由でみんな盛り上がっていたが、ひとまずこれで元通り。平穏(?)な日常が戻ったことに感謝しつつ、俺は手を合わせて赤飯に箸をつけた。


「眠れぬ夜は」
 静かな部屋にキィ……と、ドアの開く音がした。

 いつも勢いよく開くドアの姿しか見慣れていないせいか、それはひどく滑稽に見えた。

「……こんな時間にどうした、紫」

 半開きのドアから頭半分を覗かせている少女は、この部屋の主がまだ起きていたことに少々驚いた。

 そして遠慮がちに言葉を発した。

「ま、まだ起きてたんだね」

「あぁ、今ちょうど寝ようと思ってたところなんだ。で、何の用だ?」

「……っと、その……ぅうん、やっぱり何でもない。おやすみ色無」

「ベッドに潜りこみにきたのか?」

「!?」

 少年の問いがどうやら図星だったらしく、少女は顔を真っ赤にしてその場に立ち竦む。

「はぁ……まったく、こっちの身にもなってほしいよな。朝起きたら隣に寝てるんだもんな。心臓止まるかと思ったぜ」

 ——ビックリしたのと、その寝顔があんまり可愛いもんで。

 そんな少年の心の声が聞こえるはずもなく、少女は俯き、そっとドアを閉めようとした。

 嫌味に聞こえたかな? そんな後悔の念がよぎったせいか、少年の口からは言葉が自然と出ていた。

「こいよ」

「えっ?」

「寝れないんだろ? 一緒に寝てやるって。もちろん下心なんて……たぶんない」

「……色無のえっち」

「冗談だっての。ほら、一人じゃ寒いからさ、早く来てくれよ」

「何もしない?」

「紫に欲情したら何か負けな気がする」

「どーゆー意味よそれっ!」

「こら、大声だすなバカ」

「あ……ご、ごめん」

 少年はこの表情豊かな少女をもっとからかってみようかと思ったが、やりすぎて拗ねられた日にはどんなことになるか、一度や二度の経験ではなかったので今日はやめることにした。

「で、くるのか? こないのか?」

「……迷惑じゃないの?」

「んー、朝誰か来る前に自分の部屋に戻れば大丈夫だろ」

 ——最悪、紫に前科があることはみんなが知ってるから理解してくれるだろうし。

 そう考えていた自分がどれだけバカだったか、と後悔するのはまた別の話になるが。

「……」

 五秒ほど考えた後、少女は部屋に入り静かにドアを閉める。

 そしてベッドの方向へと、歩を進めた。

「壁際がいいか? それとも手前?」

「いつでも逃げられるように、手前」

 ——じゃあ俺じゃなくて他の奴らのところに行けばよかったんじゃないのか?

 喉まで出掛かったが、自分を頼ってくれたということは、きっと他のところではダメだったんだろう。そう思い、なんとか声にはならなかった。

「ではどうぞ、お嬢様」

 少女はころん、と少年のベッドの中に転がり込む。

 少年はそれを見届けると、少女とは反対の方へと向きを変える。

 背中からは少女の温もりが伝わってきた。

「……がとね、色無」

「ん、何か言ったか?」

「ううん……おやすみ」

「おやすみ」

 こうして今日も虹色寮の夜は更けていくのであった。


『ただいま増量中』

無「ただいまー」

紫「おかえりなさい、あなた」

無「……ん?」

紫「なーに?」

無「その胸」

紫「んー?」

無「……増量中?」

紫「……だって色無が、いつもちっちゃいちっちゃい、って言うから頑張ったのに」

無「バカだな、ちっちゃいのがイヤだなんて言った事ないだろ?」

紫「……ロリコン」

無「……そのロリコンと結婚したのは誰だよ」

紫「……ばか」


無「秋といえば」

赤「スポーツでしょ!」

黄「食欲! っていうかカレー!」

青「涼しいから集中できるもの、勉強にはうってつけよね」

緑「秋は静かだし……読書がいいわ」

灰「秋の夜長はゲームがいちばんですよ、旦那」

黒「特に何するってこともないわ。でも季節の変わり目だもの、白のことちゃんと看てあげないと」

桃「うーん、お出かけするのにちょうどいい時期だからー……くすっ」

水「お花を見にお散歩するのがいいかな……」

茶「べ、勉強も運動も読書もがんばりますっ!」

橙「……普段と何も変わんないじゃん」

無「どうやらそのよう……いや、一人だけ違うのがいるぞ」

橙「え?」

紫(たくさん運動してたくさん食べて……この秋で生まれ変わってやるんだからっ!)


無「むらさきー」

紫「何?」

無「お手!」

 (とすっ)

紫「……あ」

無(今めちゃくちゃ反応早かったな……もう反応というより反射的に)

紫「ちっちゃいゆーな!!」

無「なんにも言ってない!」

紫「小動物みたいとか思ってた!絶対!」

無「思ってない!」

紫「嘘だね!色無しはすぐ顔に出るんだから!」

無「本当だって!」

紫「嘘!」

無「本当!」

紫「嘘!」

無「本当!」

紫「嘘!」

無「お手!」

 (とすっ)

紫「……」

無「……」

紫「てやっ!」

無「ぐはっ!?」


無「紫?」

紫「ん?」

無「お手」

紫「……(ジー)」

無「そんな軽蔑したような目で見ないでくれ」

紫「(ペタ)これでいいの?」

無「う、うん。……紫、手ちっちゃいな」

紫「ちっちゃいゆーな!」

無「でもそこが可愛いよ」

紫「か、可愛い……って、ゆ……ゆぅなぁ」


無「ん、紫からメールがきた……うわ、ひどい言いぐさだなぁもう」

from 紫 件名 ξ゚�゚)ξ


色々な女の子達がいるけど

無理しないでアタシを選んでおけばいいのよ

大切なのは服従を誓うこと

好みのタイプはアタシでしょ?

きみで我慢してあげるって言ってるんだから

だまっていうこと聞けばいいの!

よ〜く理解しといてよね!!


灰(フフフフ、縦に気持ちがにじみ出てる……そしてそれに気づかない色無……)


紫(ぽとっ)

無「あれ?お〜い紫、何か落としたぞ〜」

紫「ホント?何を……って、色無のバカぁぁぁ」

 バチーンッ

無「痛ててて。なんなんだよいったい」

黄「いや、今のは色無が悪いよ」

無「黄色、見てたのか。でも、何が悪かったんだ?」

黄「そりゃあ、いくら自分が落としたものとはいえ胸パットを渡されたらどんな娘でも怒るでしょ」

無「そっか、それは怒っても仕方がな……胸パット?」

黄「うん。胸パット」

無「ちっちゃ……あまり変わってなかったように思うんだけど」

黄「まぁ四次元胸元だからしょうがないのよ」

無「意味がさっぱりわかんないんだけど」

黄「どれだけ胸パットを入れても厚みが増さないのよ、紫ちゃん」

無「それは……そうか、そっとしておこう」

紫「ちっちゃいってゆーな!」

無「くっ……強く生きろよ……」


紫「色無ー! 初雪だよ、初雪ー!」

無「ん? ああ、そんなにも寒いのか」

紫「……年寄りくさいなぁ。もっと素直に感動しようよ!」

無「といっても、もう初雪で感動する年じゃないしなぁ」

紫「何? それは私が小さいって言ってるわけ?」

無「誰も言ってねーよ! ……初雪ねぇ」

紫「色無! 積もったら雪合戦しようよ!」

無「騒ぎすぎだっての。でも、雪合戦か……面白そうだな」

紫「でしょ! 思いっきりぶつけてやるんだからね!」

無「お、言ったな。逆に当ててやる」

紫「もし負けたら1つだけ何でも聞いてよ!」

無「OK。その勝負乗った!」

紫「ふっふっふ〜。覚悟しなさいよー」

無「オマエモナー」


紫「ケホッ、ケホッ。ん、鳴った」

黄緑「良かった。お熱、少し下がったみたいね」

白「大丈夫?紫ちゃん」

紫「うん。ちょっと楽になった」

黄緑「でも、まだ安心できないから寝てなきゃダメよ」

紫「はーい。ありがと、黄緑。白ちゃんと黒も、心配かけてごめんね」

黒「季節の変わり目だったからね。白も気をつけなさいよ、あなたは体が弱いんだから」

白「わかってるよ。じゃあ紫ちゃん、お大事にね」

黒「お大事に。早く良くなってね」

黄緑「何かしてほしいことがあったら呼んでね。すぐに来るから」

紫「うん、みんなありがとう」

無「紫、入るぞ?」

紫「色無、どうしたの?」

無「いや大丈夫かなって、メシ食ったか?食欲ないだろうけど、栄養は摂ったほうがいいぞ」

紫「ふふっ、心配してくれてるの?色無」

無「ま、まあな。お前が元気じゃないと調子出ないしな」

紫「ふーん。あ、そうだ。色無、リンゴ食べたい」

無「リンゴ?ああ、そうだな。風邪引いた時はお粥かリンゴだな。よし、剥いてやる」

紫「色無できるの?」

無「黄緑ほどじゃないがリンゴくらい……」

紫「じゃあウサギ!ウサギにして!」

無「おいおい。分かった、切ってやるから寝てろ」

紫「うん!」

紫「あはは、変なウサギさん」

無「悪かったな、上手くできなくて」

紫「ううん。美味しいよ、色無」

無「じゃあ食ったら寝ろよ。そんで早く元気になってくれ」

紫「うん……色無」

無「ん?」

紫「ありがと……」

 ちょっと顔を赤くして無言で部屋を出る色無の背中を見送って、わたしは不恰好だけど

かわいいリンゴのウサギを一口齧った。明日はきっと元気になれるね。


コンコン

「はーい。開いてるよー」

ガチャ

「色無ぃ……」

そろそろ寝ようとしていた時、俺の部屋に入って来たのは紫だった。

体が小さいせいで、ぶかぶかのパジャマに「着られている」ように見える彼女は、今にも泣きそうな顔をしていた。

「どうした、紫。またホラー映画でも見たのか?」

こいつは怖がりなくせにそーゆーもんを見たがって、一人じゃ寝れないからと俺の部屋に来る事があった。

「ううん。そうじゃなくて……」

言いながら近づいて来る。足を引きずっているように見えるが、怪我でもしたのだろうか。

「足がね、痛いの」

「痛いって、怪我か? ひねったとか?」

「違うと思う……」

「うーん、とりあえず座れよ」

彼女はベッドに腰掛けた。その前に座ると、紫を見上げる格好になった。

「どこが痛いんだ?」

紫はパジャマのズボンをたくし上げて、膝までを露出させた。怪我をしているようには見えない。

しかし細い足だな。体が小さいせいか?

口にすると逆鱗に触れるような事を考えていると、泣きそうな声が聞こえた。

「膝から足首まで全体……」

「すねが全体的に痛いのか。両足とも?」

「うん……」

それはアレじゃなかろうか。

「痛いのって、どんな感じだ? こう、中からずきずき来る?」

「うーと……うん、中からじわ〜っと痛い……あんまり痛くない気もするけど、なんか我慢出来なくて……」

初めての経験なのだろう。不安そうな表情をしている。

「ふむ。じゃ、寝転んでみてくれ」

ベッドに寝かせて、露わになっている紫の足首をさする。これはやはり、アレだろう。

「ちょっと、すけべ…… 何してんのよ……」

今はその声すら元気がない

「すけべって……さすると楽にならないか?」

「……そう言えば……」

俺がそうだったからなぁ。

ベッドの横から彼女の両足をさするのは、少し変な態勢になるが仕方ない。そのまましばらく続ける。

「あー……痛くなくなってきたかも……」

そう言った紫の声は、来た時と違って穏やかなものになっていた。

「お前、こんな風になるのは初めてか」

マッサージ——と言っても表面を撫でるだけだが——を続けながら、確認するように聞く。

「うん……さっきお風呂上がってから急に……」

気持ちよさそうに、緩やかに答える。

「そっか。まぁ安心しろ。単なる成長痛だろうから」

「せ−ちょーつー?」

「足が伸びようとしてんだよ。成長してるんだな」

「ほんと!?」

上半身を起こして俺の顔を覗きこむ紫。そんなに嬉し……いんだろうなぁw

「ああ。俺がそうだったからな。よく夜中に母さんを起こして、寝付くまでさすってもらったよ」

紫は再び体を横にして、満面の笑みを浮かべた。

「そっか……どんくらい伸びるかな」

「それはわかんないけど……良かったな」

「うん……♪」

答える彼女は、声が弾んでいる。

「寝付くまでさすっててやるから、今日はここで寝ろよ」

「いいの……?」

「ああ。さするのやめると、また痛くなるからな」

布団をかけてやると、紫は少し頬を赤らめた。

「ありがと、色無」

「……ああ」

素直だとすげー可愛いな、こいつ。

「おやすみ」

そうして、紫の足をマッサージしつつ、彼女の寝息を確認して……と思っていたら、いつの間にか俺も眠っていた。

次の日、ふと「紫の寝顔を見ればよかった」と思い至ったが、残念がる必要は全くなかった。

……この後、俺は何度も、彼女の足首をさすりながら眠りに陥る事になったのだ。

最初の夜が明けて、朝。

紫「……おはよ、色無」

無「おう、おはよ」

紫「昨日はありがとね。気持ちよかったぁ……あ、気づいたら寝てたよ、ごめんね」

無「気にすんな。俺も気づいたら寝てたしな。痛くて夜中に目ぇ醒めたりしなかったか?」

紫「うん、朝までぐっすり寝れたよ。……また、してくれる?」

無「ああ。いつでも来い。寝てたら起こしていいから」

紫・色無以外「!?」

橙(これは……アレでしょうかね?)

黄(アレでしょうかねぇ?)

橙(紫ちゃん、一足早く『女』になったのね……)

黄(先越されたー……って、色無ってやっぱロリコンだったんだね……)

桃(こんな事ならもっと押し付けて襲われとくんだった!)

水(む、紫ちゃんと色無君が……ぁぅ)

黒「……朝から愉快な会話をしてるわね、あんたたち」

青「よりによって紫だなんて……この変態!」

無「痛っ! 何がだよ! く、黒、首、絞め、ぅげ」

紫「二人ともどうしたの!?」

青「紫、怖くなかった? 痛くなかった? 体は大丈夫?」

紫「え? さ、最初は(何なのかわからなくて)怖かったし、(足が)痛かったけど、すぐに気持ち良くなったよ? ……色無、優しく(マッサージ)してくれたし……」

無「!(←気づいた)」

黒「……色無、すぐに私も逝くから、先に逝って待ってて」

無「ご、誤解、ぐるじ(頬染めんな紫!)」

白「黒ちゃん、色無君の顔が青くなってるよ!? ああ青ちゃん、しっかりして! どうして倒れるの!?」

橙「詳しく話してもらいましょうか、紫ちゃん」

黄「初めてなのに気持ち良かったってホント?」

紫「??? う、うん? 詳しく?」

緑「……個人差が大きいから、初めてでも大丈夫な人はいるそうよ」

紫「なんでみんな顔真っ赤なの???」

 紫が真相をきちんと話すまでに、色無は死んだ祖父と会ってたりした。大きな川の向こうの、花畑で。

無「……死ぬかと思った……ってか一瞬マジで死んでたな……」

紫「……」

無「……なんだ?」

紫「(←誤解を解く過程で気づかされた事を想像している)」

無「……?」

紫「ぁぅ(ぷしゅー)」

無「紫!?」


『僕の彼女はおチビさん』

紫「ちっちゃくないもんっ!」

無「いや、どう見てもちっちゃいだろ」

紫「なんで!?どこが!?言ってみなさいよ!」

無「はい、ここに30センチの定規があります」

紫「いやぁぁぁ!そんなのとなりに置かないで!」

無「えーと、頭のてっぺん辺りの目盛りを読むと……」

紫「わぁわぁわぁ!!」

無「こら、暴れんな。……んーと、約14センチ位?」

紫「あぅぅ……ち、ちっちゃく……ないもん……」

無「どういう訳か朝起きたら身長が10分の1になってたそうな」

紫「ぅぅ……くすん……」

無「よしよし、俺が一生面倒見てやるから」

紫「い、色無っ!?」

無「……ペットとして」

紫「……うわぁぁぁぁん!!ばかぁぁぁ!!」

 

紫「色無、お腹減った」

無「何か食いたいもんは?」

紫「……っていうか箸とかないよね?お椀にお皿も!」

無「ほれ、箸。つ(つまようじ)」

紫「……うぅ、なんだか物凄くひもじいよぅ」

無「お椀とか皿なんかないよなぁ……」

紫「!~色無、おもちゃ屋さん行こっ!!」

無「はぁ?」

紫「ほら、リ○ちゃんハウスとかのでっかいお家セットみたいなのに入ってるかもしんないじゃん!」

無「ち、ちょっと待て!俺は嫌だぞ?公衆の面前で思春期の男の子にそんなの買わせて……新手の羞恥プレイか!」

紫「ばか!本気よ本気!!洋服も丁度いいんじゃない?ほら、このままだと一緒に縮んだこの服一着しかないから」

無「あー、リアル着せ替え人形か。それはそれでアr(ぷす)いたっ!つまようじ刺すな!!」

紫「へ、変なこと考えないの! と、とにかく服だけでも買いに行くの!!」

無「ところで腹減ったんじゃなかったっけ?」

紫「……うん」

無「とりあえずパンでも焼こうか。腹が減ってはなんとやら、だからな」

紫「牛乳も!牛乳も!!(ぴょんぴょん)」

無「どうやって飲むんだよ?」

紫「んー……ストロー?」

無「ストローの方がおおk(ぷす)いたいっ!」

紫「ちっちゃいゆうな!!」

無「でもこんなにちっちゃいのに可愛いから困るんだよなぁ」

紫「……そ、そういうことも言うなっ!」

 

無「紫ー、お風呂沸いたよ」

紫「えっ、まさか一緒に入る気?」

無「えっ、まさか一人で入る気?」

紫「真似すんなぁ!」

無「いや、だってほら、もしものことがあったら大変じゃん」

紫「そ、それは……そうだけど……」

無「それに蛇口捻ったりも出来ないじゃん。シャンプーにリンスも使えないし」

紫「ぅー……でも恥ずかしいよ」

無「体洗ってる間は紫の方見ないしそれ以外の時はタオルの切れ端巻いとけば大丈夫だろ?」

紫「う、うん……」

無「入ってもいいか?」

紫「うん、いいよ」

無「お邪魔しま——」

紫「な、何よ!あんまりジロジロ見るなぁっ!」

無「……色気ねぇ」

紫「う、うるさぁい!鉄板じゃないもん!ちゃんと膨らんでるもん!お椀が二つついてるもんっ!!」

無「お椀じゃなくて小皿だろ?」

紫「ううぅ……」

無「まぁそんなとこも含めて好きなんだからさ。そんなに落ち込むなって」

紫「この変態!ロリ○ン!」

無「はいはい、おふざけはこのくらいにして風呂入るぞ」


紫「んー……あ、あとちょっと……」

無「これが欲しいのか?(ヒョイ)」

紫「色無っ!?」

無「相変わらずちっちゃいな、紫は」

紫「っ!!……ちっちゃくないもん!」

無「いいや、ちっちゃいね!」

紫「ちっちゃいゆーな!」

無「ちっちゃいもんはちっちゃいんだから、しょうがないだろ!」

紫「そんなにちっちゃいのが嫌いなら私なんかに構わないでよ!バカ色無!!」

無「誰も嫌いだなんて言ってねぇだろ!むしろ好きだ!」

紫「ほらやっぱり好き——えっ、好き?」

無「はっ!い、今のは——」

『お客様、申し訳ありませんが、店内ではもう少しお静かにお願いします』

無・紫「……」

 

紫「……ねぇ、さっきのこと何だけど……」

無「い、いや……あれはその……」

紫「……と、取ってくれてありがとね!」

無「……は?」

紫「わ、私……ちっちゃいから」

無「いや、そりゃ見れば分かる」

紫「んなっ!」

無「だから今度から買い物には俺が付いてってやるよ。あんな荷山崩したら偉いことになるからな」

紫「……うん、お願いね色無!」

無「あ、あぁ」


紫「いーろーなーしー」

無「なんだよ……乗っかるなって」

紫「だって遊んでくれないんだもん」

無「少し休んでからでもいいだろ?」

紫「いいけどさあ。……へへ」

無「? どうした?」

紫「……目線が色無と同じだ」

無「紫、ちっちゃ」

紫「ちっちゃいゆーな!!……でも、今がチャンスかも」

無「は?何——」

 ちゅ

無「え、ええ、ええええ!?」

紫「してやったりぃ♪」

紫「いっつもできればいいのになあ……せめて背伸びすれば届くくらいに……」


『花梨糖』

ふーふー

紫「熱ッ!」

ふーふー

紫「……ッ!」

ふーふー

紫「……う゛っ」

ふーふー

紫「……まだ無理」

無「いい加減に飲んだら?」

紫「熱くて飲めないの!!」


無「エレベーターって来ないときはなかなか来ないよな」

紫「そうだね……って人の頭に手を置かないでよ!!(パシッ!)」

無「ん? ああ(ポン)」

紫「だーかーらー! 置くな!!(バシッ!!)」

無「だってさ、ちょうどいいところに頭があるんだぜ? 置くしかないだろ(ポン)」

紫「ちっちゃいってゆーな!(ガスッ!!!)」

無「いってぇ!! すねは反則だって」

紫「ふんだ(スタスタ)」

無「あー痛かった。あれ? 紫いねぇし、エレベーターいつ来たんだよ!? 置いてきぼりかよ!?」 

無「しゃーねーなー、エレベーター来ないし、面倒だけど階段で昇るか」

 6階まで昇ると、エレベーターホールに紫がいた。

無「何だよ、先に行ったんじゃないのかよ?」

紫「待ってあげてるんじゃない」

無「でも最上階の展望台に行くんだよな?」

紫「そうだよ?」

無「なんで6階で待ってんの?」

紫「べ、別にいいじゃん」

無「ふーん(ニヤニヤ)」

紫「な、何よ?」

無「そんなに離れてるのがイヤだった?」

紫「バカ?」

無「ですよねー」

 チーン。エレベーター到着。乗り込む二人。

紫「ボタン押して」

無「え?紫の方が近いじゃん」

紫「いいから」

無「えーと」

紫「ほら、早く」

無「まぁいいけど(なんでコイツうつむいてんの?)」

紫「……」

無(やっぱり最上階のボタンに手が届かなかっただけか……)


 コロコロコロ……

子供「すみませーん、ボールとってください」

紫「はーい、投げるよー」

子供「おう、サンキューな」

無「なんか子供がタメ口になったのはなんでかなぁ」

紫「……ちっちゃいって言うな(ガスッ)」

無「イテッ、だから脛は反則だって」

紫「うるさいうるさいっ!」

無「わ、悪かったよ、あ、そうだ今度キャッチボールやろっか?」

紫「いいもん別に」

無「そう拗ねるなよ、帰りにクレープおごるからさ?」

紫「い、色無がそこまでいうならクレープ食べてあげてもいいけど」

無「じゃ、行こっか」


無「コイツのトイレそろそろ洗ってやるか?」

猫「にゃー」

紫「そうだね、汚くなってきたし。タオル用意してよ洗ってくるから」

無「あいよ」

紫「先にお風呂場いってるねー」

無「ここ置いておくぞー」

紫「うん、ぷわっ!!」

 ガラッ

無「どうした? ぷっ、何やってんだよ、びしょ濡れじゃん」

紫「うっさい! 手がすべったの!!」

無「あーそー。お! その小さいブラ可愛いな」

紫「そうでしょ、って何見てんのさヘンタイ!!」

無「紫が見せてるんだし不可抗力──待て! それはやめろ!」

紫「うっさいスケベ!!」

 シャー

無「うっわ! 俺まで濡れたじゃ──へっきし!」

紫「あはは、エッチな目で見てるからだよ。くしゅん!」

無「いくら春だからってシャワーかけんな、風邪引く」

紫「ごめんね」

無「いいって、着替えとバスタオル取ってくるから待ってろ」

紫「うん、ありがと」

紫「ふぅ、ちょっとしたハプニングになっちゃったね」

無「俺は被害者だけどな」

紫「女の子の下着を見るからそんな目に遭うの!」

無「あー、あーすんませんね」

紫「さーヘンタイはほっといって、ほーらトイレきれいになったよー」

猫「にゃぁ!」

 クンクン、プリプリ

無「うお! コイツいきなり用を足しやがった!」

紫「いいじゃん、健康な証拠だよ」

無「ここの所さっそく汚しやがったんだけど、それでもいいのか?」

紫「え!? 本当だ!! でも仕方ないよ、猫に罪はないもん」

猫「にゃあ♪」


無「ムラサキちょうだい」

紫「!」

無「いや、醤油の事だから」

紫「わ、わかってるわよ!」

無「お、このガリ美味いなぁ」

紫「!」

無「ちっちゃいって言ってないからな」

紫「う、うるさいなぁ」


紫「あ〜! 色無一人でアイス食べてる〜!」

無「うわ、一番やっかいなのに見つかったな」

紫「ふふん、色無、わかってるよね〜?」

無「あ〜あ、なけなしの金で買ったアイスなのに。ほらよ、食べろよ」

紫「な!? だ、なんであんたの食べかけを食べなきゃならないのよ!」

無「んなこと言ったってもう手持ちがないんだもん。しょうがないだろ」

紫「こ、この貧乏人〜!!」

無「そこでキレられても……」

紫「うまうま♪」

無「く……貯金を削ることになろうとは……!」

紫「なんだ、お金持ってんじゃん。ということでみなさ〜ん!!」

無「ぎゃー!! 裏切り者ー!!」


紫「晴れてよかったねぇ!」

無「ああ、一時はどうなることかと思ったが、ちょっと涼しくなってちょうどいいかもな」

紫(花火もそうだけど、色無とのデートがナシにならなくってよかった!)

無「お、そうだ紫、わたあめ食うか?」

紫「むっ、子供じゃないんだから、そのとりあえずわたあめって考え方やめてよね!」

無「もう買っちゃったし。ほら、食うのか、食わないのか?」

紫「む〜……(はもっ)」

無「やっぱり食うのか」

紫「だって買っちゃったならもったいないじゃん! 色無甘いモノダメだし、しょうがなくだかんね!」

無「はいはい(ぽんぽん)」

紫「あ、こら! 子供扱いすんなぁ! もう!」

無(ほっぺた膨らましちゃって……ったく)

紫(でも色無に撫でられるのは、ちょっと嬉しいな……)

 ひゅるるるる……ドォォン!!!

無「お、始まったか」

紫「げ! 灰ちゃんが教えてくれた穴場スポットまだ先じゃん! 走ろ、色無!」

無「お、おう(ぎゅっ)」

紫(さりげなく手握っちゃった! ラッキー!!)

無(こいつの歩幅に合わせるのきついんだよな……まいっか!)

黄「あー、二人とも手繋いでる!」

橙「おうおう、見せ付けてくれるね! ひゅーひゅー!」

紫「えっ、あ……こ、これはその違っ……は、離し——」

無「(ギュッ)今日は紫との約束だから」

紫「っ!!」

黄緑「あらあら……うふふ」

朱「非難の嵐が吹き荒れる前にとっとと行ったほうがいいぞ、色無」

無「すいません、じゃあみんなまた今度。……紫、行くぞ?」

紫「……う、うん」

無「ったく……灰のヤツ嵌めやがったな」

紫「……」

無「何かしらけちゃったな。屋台でなんか買って仕切り直しといくか」

紫「……あ、ありがと」

無「ん、気にすんなよ。あいつ等とあんなことくらいで険悪になるような仲じゃないだろうしさ」

紫「うん!」

無「さて、お嬢ちゃん何がいい? 何でも好きなの買ったげるよ」

紫「んっと……りんご飴とたこ焼きと……あ、あれ! クマーのお面!」

無「ちょっ、容赦ねぇなおい。しかも、いつもの突っ込みもないし」

紫「えへへ、今日は気分がいいから許してあげる!」

無「そっか。じゃあ迷子にならないように、しっかり手繋いどけよ」

紫「うんっ!」


黄「遅いよ二人ともー! 迷子?」

紫「あ……あれ? みんな……」

白「もう少しで探しにいくところだったよー」

無「おー。みんなもいるのかー!」

桃「色無くーん、こっちこっち! 花火始まってるよー!」

橙「あれ? お二人とも手を繋いで……なるほどねぇ(ニヤニヤ)」

紫「……っ!」

 バッ

橙「あれー? 別にいいのにー?」

紫「そ、そんなんじゃないんだから! 色無が歩くの遅いから仕方なく……」

桃「じゃあ私つないじゃおーっと!」

橙「あ、ずるいー! 私もー」

黄「とりゃー!」

無「え……ちょ、ちょっ待っ! 三人は無理でしょう!?」

紫「……や、やっぱり私も繋ぐ!!」

桃「えー? 仕方なく、だったんでしょー?」

紫「う、うるさいなぁ!ほら色無! もっと向こう行くよ!」


無「ん……! ふぁ、眠い。だけど朝は涼しいんだなぁ」

あーたらしいあーさがきたー♪

無「お?ラジオ体操か。懐かしいなぁ、昔は俺も……ん?」

紫「いち、にぃ、さん、し……!」

無「……帰って寝直すか」


紫「いっぱい泳いで楽しかった〜♪」

無「お帰り、紫。それにしても、お前まさかプールで帽子かぶったりはしてないよな」

紫「ちっちゃいゆ−な! かぶるわけないじゃん!」

無「はは、どうだか……お前、目真っ赤だぞ。ちゃんと洗ってきたのか?」

紫「うぅ……それが……ったの(ぼそっ)」

無「ん?なんだって?」

紫「だから! 怖くて洗えなかったの!」

無「ぶ!? はっははははは!! なんだそりゃ! やっぱ子供じゃん!!」

紫「もう!笑わないでよ! しょうがないじゃん、怖いものは怖いの!」

無「水中では目開けれて、洗うのは怖いのか?」

紫「うぅ、あのシャワーみたいに勢いよく出てくるのがちょっと……」

無「しょうがないな、目薬しとけよ、いちおう」

紫「えぇ? 大丈夫だよ、これぐらい……」

無「バカ、しとかないと後でひどくなったらどうすんだよ」

紫「う、うん……わかったよ……(ぽたっ)ひゃうっ!」

無「お前……目つぶんなよ」

紫「昔から苦手なの! だからやだったのに!」

黄緑「は〜い、怖くないですよ」

紫「うぅー……(ぽたっ)!! は〜、きもちい〜!」

黄緑「はいよくできました♪ えらいえらい♪」

紫「ありがとね、黄緑!」

無(……この光景は……)


紫「はむ! もぐもぐ! ごくん!」

無「お前……何かあったのか? ヤケ食いか?」

紫「うっさい! 食欲の秋! いっぱい食べて、いっぱい成長してやる! そう正に、成長の秋!」

無「毎年その目標掲げてる割にはちっとも——」

紫「は〜ん? 下らないこと言おうとしたのはこの口かな〜?(ぐりぐり)」

無「もがっ! やめ、イモを口に無理矢理入れようとするな! 下手すりゃ窒息しちまうだろ!?」

紫「黙ってればいいのよ、黙ってれば!」

無「ふう……しかしまあ秋の味覚満載。栗に焼き芋、柿にサンマにキノコetc……よくもこんだけ買ったなおい」

紫「乙女は夢のためにはお金は惜しまないの!」

無「ふーん。そんなもんかねえ……ちょっともらうぞ(ひょいぱくっ)」

紫「どうぞどうぞ」

無「? やけに素直に食べさせてくれたな? てっきり『勝手に食べるな〜!!』と激怒するのかと」

紫「怒るわけないじゃん。だってこれ全部、色無のお金で買ったんだもん」

無「……なんですと?」

紫「だーかーらー、これらの秋の味覚全部色無の貯金から引き落としたの」

無「そ、そんなの信じられるかー……はは、紫さんも悪い冗談だ」

紫「ほい、あんたの通帳(ぴら)」

無「……あれれー? 0っていう数字しかないよー?(ばたんっ!)」

紫「倒れちゃった……こんなの嘘に決まってんじゃん(ぽいすっ)バカだなー色無は」

無「うう、ぜ、ゼロぉぉぉおおおおお……」

紫「……今度はホントにコイツのお金使っちゃおうかな? なんてね」


紫「〜♪」

無「お、何作ってんだ?」

紫「チャルメラー♪」

無「いいなぁ、俺の分も作ってくれよ」

紫「残念、これで終わりだよ」

無「そんな殺生な……」

紫「……わけたげよっか?」

無「いいのっ!?」

紫「トッピングはスライスチーズでいい?」

無「お、分かってるじゃん」

紫「えへへ、ちっちゃい時から食べてたもん」

無「今もちっちゃいけどな」

紫「……分けてあげないよ?」

無「誠に申し訳御座いませんでした」

無「で、なんで丼が一つしかないの?」

紫「え、えーっと……あ、洗い物が増えるでしょ?」

無「食いづらくねぇ?」

紫「……文句言うならあげない——」

無「い、いただきまーす!」

紫「最初からそうすればいーの!」

無「ふー、ふー」

紫「ふー、ふー」

無「な、なぁ紫……っ!?」

紫「ん……!? な、なに?」

無「……や、やっぱりなんでもない」

紫「う、うん……」


 すてん!

「わっ! も〜、なんでうまくいかないの!?」

冷たい氷の上でしりもちをつく紫のところへ、色無は危なげなく近寄って手を差しだした。

「ほら、つかまれ。しかし紫がスケート滑れないとはな……それならそれで誘ったときに言えよな」

「インラインスケートなら得意だから何とかなると思ったの!」

 色無の手を掴んで立ち上がりながら、紫は真っ赤になって言い訳した。学年末試験最終日、二人は空いた午後の時間を利用して近所のスケートリンクに来ていた。

「それにしちゃ随分へっぴり腰だな」

「うるさい! そういう色無はなんでそんなうまいの?」

「子供のころ、しばらく北海道に住んでたからな。あっちじゃ小学校でスケートの授業があるんだ。バックだってできるぞ。ほれ、すいーっとな」

 手すりに必死にしがみつく紫に見せつけるように、色無は後ろ向きにすいすいと複雑な軌道で滑って見せた。

「なんかむかつくなあ……見てなさいよ、あっという間に滑れるようになってやるから!」

「確かに、紫ならすぐ滑れるようになるだろ。俺がコーチしてやろうか?」

「余計なお世話! こんなのは要するにバランスなんだから……わあっ!」

 すてん! 再び紫はお尻から着氷した。顔をしかめて腰をさする紫に、色無は苦笑した。

「そんなムキになんなよ。初心者講習は夕方しかやってないし、俺に教わった方が絶対いいって。尻に紫あざ作って蒙古斑をごまかしたいなら止めないが」

「蒙古斑なんかとっくに消えてる! ……しょうがないなあ、教わってあげるから十分で滑れるようにして!」

「それはどっちかってーと紫次第だと思うがなあ……」

 一つため息をつき、色無は紫を引き起こした。

 

「はい、あんよはじょうず、あんよはじょうず。もっとスピード出して。絶対受け止めるから安心しろ」

「変なかけ声かけるな! あ、ちょっと何で後じさってんの! じっとしてろってば……ひゃうっ!」

 ゆっくりと後ろ向きに滑る色無を目指し、紫はふらふらしながらもまっすぐ滑る。色無に辿り着くと、紫は前のめりに倒れ込んだ。

「おっとと。うーん、だいぶ滑れるようになってると思うんだが……何で俺んとこに着くと必ず転ぶわけ?」

「し、知らないよ、そんなの! 色無の教え方が悪いんでしょ!」

「ふーん。まあいいや、じゃあもう一回な。次は今の倍の距離にして……あれ、もうやめんの?」

 壁際まで紫を連れて行き、再び離れた色無が振り向くと、紫はリンクの出口であわただしくシューズを脱いでいた。

「ちょっと休憩するだけ。すぐ戻るからしばらく一人で滑ってて」

「休憩って、まだそんな疲れるほどは……ああそうか。まああれだけしりもちつけば腰も冷えるよな。ごゆっくりどうぞ」

「死ね!」

 デリカシーに欠ける色無を力いっぱい罵倒して、紫は急いでリンクをあとにした。

 

「……何やってるのよ、あいつ」

 危機を脱した紫が戻ると、色無はリンクの上で数人の女の子に囲まれていた。どうも指導を頼まれたらしく、色無は一人ずつ手を引いて滑り始めた。

 一言二言滑り方に指示を与え、最後には女の子を軽くスローイングする色無。そのたびに女の子たちは黄色い歓声を上げた。

「とまあ、こんなとこかな。あんまり教えられることもなかったけどね。……お、紫、戻ってたのか」

 紫に気づいた色無は女の子たちに手を振り、その場を離れた。“え〜!”という不満の声が紫のところまで届く。

「あの子たち、うちの学校の一年だってさ。ちょっと頼まれて見てやったけど、みんな紫よりうまいぜ。紫も早く滑れるように——紫?」

 紫は黙々とシューズの紐を締め終えると、差し出された色無の手を無視して氷上に出た。

「もう教えてくれなくても大丈夫。あとは一人で練習するから、色無は後輩の子たちと楽しく滑ってれば?」

「は? まあ紫が一人の方がいいならそうするが……じゃあ忘れてたけど、最後に一番大事なことだけ……」

「もういいって言ってるでしょ! 何よ、スケートなんて簡単じゃない!」

 紫は色無の言葉を遮って、氷を何度も力強く蹴った。

「あ! 馬鹿、スピード出すな! まだ止まり方教えてないだろ!」

「え……きゃーーっ、ちょっとどいてどいて止めてーー!!」

「くそっ!」

 先ほどの女の子たちが、突っ込んできた紫を慌てて避ける。転べばいいものを、パニックでそれすら思いつかない。反対側の壁が正面に近づき、紫はぎゅっと目を閉じた。

 

「痛ってえ……」

「!? 色無!」

 目を開けると、紫は色無に抱えられて氷上に倒れていた。手すりにぶつけたのか、色無はしきりに腰のあたりをさすっている。

「紫、大丈夫か? 悪かったな、最初に止まり方教えるべきだった」

「大丈夫かって、それはこっちの台詞よ! 追い越して回り込むなんて……なんでそんな無茶するの!」

「最初に言っただろ? “絶対に受け止めるから安心しろ”ってな」

 顔をしかめながらも色無が笑みを浮かべると、紫は赤くなってそっぽを向いた。

「そ、そんなこと言うくらいなら、他の子と滑ったりしないでよ……」

「ああ、それでご機嫌斜めだったのか。頼まれたらまるっきり無視するわけにもいかないだろ。じゃあ今から、俺は紫の専属トレーナーな」

「ベ、別にそんなことしてもらわなくてもいいけど……そこまで言うなら、ちゃんと滑れるようになるまで責任持ってよね!」

「ああ、滑れるようになるまで、つきっきりで教えてやるよ」

 リンクが終業するまで特訓したが、紫は最後まで滑れるようにならなかった。


無「今度、お隣の部屋に引っ越してきた色無です」

隣人「いえいえ。こちらこそ。よろしく」

紫「妻の紫です」

隣人「あらあら、おませなお嬢ちゃん。パパのことが本当に好きなのね」

無「プッ、ククク……アハハハハ!!」

紫「あんたまで笑うんじゃない!(ガシ!)」


 ようやく雨が降ってきた。

 この街の空が朝から分厚い雨雲を漂わせていたから、今にも降るのだろうと折りたたみではない傘を持って一日中構えていたのだ。携帯を見ると時刻は17時30分。今にも今にもと言いつつ長く待たされてしまった。

 今日は紫、橙、赤と遊ぶ約束をしていた。

 カラオケに行き、ショッピングモールを周り、たまたま(?)近くにあった紫の家にお邪魔している。初めて拝む紫の部屋は意外に広く、そして女の子らしく可愛く綺麗だった。

 しかしやることもないので暇を持て余していると、紫が押し入れにあった人生ゲームを引っ張ってきたので久々に興じることになった。

 ただやるだけでは面白くないと言い出したのも紫だ。

「1番最後にゴールした人はコンビニに行って買い出し行ってくるってのはどうよ? もちろん奢りで!」

 みんな何年振りの人生ゲームだというくらい久々だったようで(もちろん俺も例外ではなく)、それはそれは盛り上がったのだ。そう、それはもう言い出しっぺの本人が前言撤回をしたくなる程に。

「ふざけんじゃなあああい!」

「うわっ紫何すんだよ!」

「あ! 紫ちゃん、ボードひっくり返したらダメッ、ってああ…!」

「紫ー…自分がドベになったからって拗ねんなよー」

「う! うるさいうるさい!! なんで私がコンビニに買い出しなんてそんなパシリみたいなことしなきゃなんないわけ!」

 紫の我が儘っぷりにはみんな慣れてしまって、高揚する本人を前に落ち着いている。俺は呆れながらも答えてやった。

「そんなもん2時間前のお前に聞け。ただでさえ一回負けたお前の『もう一度勝負しろ』ってのにつき合ってやってたんだ、むしろ感謝しなさい。ハイ、ありがとうは?」

「くぅッ…」

 言い返せず悔しがる紫に、隣にいた橙が遠慮がちに言った。

「まぁ、さ。結構楽しかったし、別に無理に行くことないじゃん? ね、赤」

「ん? んー、まあ」

 この場をまとめようと橙が同意を求めると(多分何かしら奢ってもらえると期待していたであろう)赤も渋々頷いた。

 が、この女。

「………同情するなら金をくれ!」

「へ?」

「しょうがないな! 行くわ! 勝負は勝負だしね、ただしパシリは百歩譲っていいとしても奢りはナシね」

 この女、一癖も二癖もあるのだ。

 結局一人コンビニに向かう紫に、俺たちは反論することなく各々の注文を伝え代金を渡し、彼女の部屋で待つことになった。

 改めて見渡してもやはり広い部屋だと思う。机、ベッド、箪笥やその他荷物を置いてもなお、俺たち4人がくつろぐスペースがある。あのみんなより小さな体の彼女がこのスペースを一人で満たそうとする。……羨ましいのはもちろんだが、それより寂しく感じるのは何故だろう。

 いきがる裏で寂しがり屋な彼女の顔が脳裏に過ぎる。考え過ぎだな、と、ふと窓に目を向けると水がいくつか伝っていた。

「あ」

 今更ながら、ようやく雨が降ってきたのだ。

 雨音のリズムが少し早くなっていた。買い出しに向かった紫が立ち往生していないか気になる。多少濡れてもとは思うがおかしな罪悪感にかられ席を立った。

「ちょっと紫、迎えに行ってきてやるよ」

 キョトンとした赤と橙の二人に変な勘違いをされぬように、

「雨激しくなりそうだし」

 と正直無駄な足掻きの一言も添えて、家を出た。部屋を出るとき、ニヤニヤする二人の顔が見えたが見てないフリをした。雨の中友達を迎えに行く。友達として当たり前だよな。うん。

 傘を持っていったかもと思ったが、家を出た紫の姿を見た時を思い出すと持っていなかった気がする。見ると玄関の傘立てには紫がいつも使う淡い紫色の傘が立てかけてあった。

 俺は紫と自分の傘を持ちコンビニへ向かった。

 雨はやみそうになく、今まで溜めていた分を振り落とすかのように降り続けた。

 コンビニを覗くとレジで会計を済ませた紫を見つけ、何も知らない彼女が店を出てきたところで俺は声をかけた。

「おい」

「…え、色無!」

「雨降ってきたから迎えに」

「……気が利くじゃない」

「荷物、持つよ」

「いい、私が持つ。結構軽いし」

 とは言っても荷物は両手で持つのがやっとなくらいたくさんあるし、男として女の紫に全て持たす絵面も恥ずかしい話。

「や、遠慮すんなよ。てか持たせ——」

「うるさいなー、いいのよ!」

「……そ」

 なら、と俺はちょうど自分の右肩と紫の全てが入る位置で自分の傘を広げた。我ながら傘をさすことでしか協力できないのは情けないけれど、なにやらムキになっている彼女に口を出し続けるのも——まさに触らぬ神に祟りなしだしな。

「ちょ、ちょっと」

「ん?」

 また何かあったかと紫を見ると彼女は戸惑いがちに頬を赤らめていた。

「やめてよ、一緒に…傘とか……」

「なんで? 濡れるだろ」

「そ、う、そうだけど! そうじゃなくて!……その…なんで相合い傘なのかって」

「……なんでって。俺の傘デカイし、俺は二つも傘させないし、紫も傘させないだろ。だからちょうどいいじゃん」

「だ、だけど、でも、こんなの誰かに見られたら!」

「あーもうハイハイ、安心しろ。俺はあくまで君の持っている荷物が濡れないように傘をさしているのであって、そしたら君の体も小さいのですっぽり入っちゃったわけです。あくまで君は『ついで』なのです」

これでどうだと紫を見ると、

「ついでとは何よ! 私はどうせ小さいわよ!」

 と口では怒りながらも笑顔を拝むことができたので納得したんだろう。面倒な奴だなあ、全く。

 ようやく降ってきた雨はまだやまない。

 今日は結局お役御免かと思いつつ待ち構えていた俺の傘の下で、今は紫の笑顔が見え隠れしていた。


 『異説源氏物語・若紫』

 ——そうして、源氏はその少女を自分のものにすることにした。許されない恋情を日に日に募らせる女性、その美しい面影と瓜二つの容姿を持った、まだ幼い少女を。

 「こらぁっ光の君っ、わたしは幼くなんかないんだからっ! ちっさいとか言うなーっ!」

 紫という名のその少女は、素性の知れない男に略取される、ということに対して抵抗する風ではなかったが、源氏が自分を幼女扱いしていることにはずいぶん憤慨しているようであった。しかしぴょんぴょんととび跳ねながら腕をわたわたと振り回して主張するその様は、やはりどう見ても幼く年相応の様相である。

 「わたしはこう見えてもう17なのよっ! あなたと1歳しか違わないんだからねっ! 女性を子ども扱いするなんて、ほんと失礼な人ね! 『光の貴公子』が聞いて呆れるわよ!」

 必死で的外れな抗弁をする紫を、源氏はいっそう愛おしく思った。ああ、私はこの少女を、必ず自分の理想の女性として育てていこう。恋焦がれるあの人にも劣らないような、誰もがうらやむ、それでいて永遠に自分だけの偶像として。

 相変わらず元気にとび跳ねながら自分の大人ぶりを叫び続ける幼女を横目に、2人を出迎えるように昇り始めた朝日に向かって、源氏はそう固く決意をするのであった。

 「ねぇってば光の君、ちゃんと聞いてるの!? え? 『朝日が眩しいですね』? くぅっ、ちゃんとこっち見て話を聞けーっ! いい? 光の君。わたしはもう成人なのよ? いつでもお嫁に行けるんだから! そ、そうよっ、今すぐにでも、光の君のつ、つつつ妻として……」

 そう言って紫は、胸の前で合わせた両手を落ち着きなさそうにもじもじとさせて見せた。ああ、この仕草も愛しいあの人にそっくりだ。唯一異なる胸のふくらみも、これから年を重ねるごとに、みるみるあの人に追い付いていくのだろう。憧れの女性の豊満な体を思い出し、源氏は不意の劣情を抱いたが、少女の鋭い視線に気づいてすぐに打ち消した。

 「! ま、まだ成長するんだもん! これからなんだもん! む、胸だって、背だって……ちっさいなんて言わせないんだから! そうやって見下ろせるのも今のうちよ光の君! べーだべーだべーっだ!」

 ……ええ、あなたの言うとおりですね、紫。まだ小さなあなたは、これからもっと魅力的な女性になるのでしょう。少し高くなり始めた朝日の眩しさに目を細めながら、源氏はそっと独りごちた——。

 

 「緑、何だこれ」

 「色無も古典で知ってるはずだけど。源氏物語第5帖『若紫』の改訂版よ。なんだか誰かさんそっくりね。名前もぴったり、っていうかそのまんまだし」

 「か、かいてい版? 改悪版の間違いじゃねーか? いやしかもこれ、そっくりっつーか間違いなく『あの』紫じゃねーか。……お前が書いたんじゃないのか、これ」

 「……源氏物語はいろいろな人間が書き継いで書き継いで今に残されたものでしょう? こういう話を書いた人もいたかもしれないわ」

 「は、はあ、なるほど。まあ昔の日本人の発想力ってすげーもんな。しっかし源氏ってひどいやつだよなー、ちょっといい男だからって女遊びしまくりだろ? 俺には考えられねーわ」

 「ええ、まあ確かにね。……改めて考えたら、光源氏って誰かに似てるわね。でも、その気もないのに無意識に女をたらしこんじゃうその誰かさんよりは、実ははるかにわかりやすくてマシかもしれないわね」

 「え、何? こんなたらしが身近にいんのか? あ、もしかして緑、そんな奴に遊ばれてんのか!?」

 「……そうね、私だって悔しいわ。なんでこんな奴にって思ってるもの。『こんな』奴に、って」

 「そ、そうだよ、ダメだよそんな奴! ロクな奴じゃないって!」

 「……ほんと、その通りよね。ええ、ほんとロクな奴じゃないわ。……こんな奴どうして好きなのかしらね、私」


『はじめての』

 ——紫、一緒に帰ろうか——。

 そんな色無の一言のせいで、あたしの心臓は今にも破裂しそうだ。

 色無との距離、わずか十センチ。お互い無言。

 色無、何考えてるんだろう? そろーっと色無の顔をのぞきこんだ——瞬間、目が合った。ハッとして、慌てて顔を背ける。多分あたしの顔は真っ赤だ。

「紫、その……ちょっとさ……」

 沈黙を破るその声に、さらに顔が紅潮する。

「ん、何?」

 努めて冷静に返事をする……振りをした。ていうか、これ以上は上手く喋れる自信がない。

「えっとだね……手、繋いでもいいかい?」

 もう動悸が収まらない。頭に血がのぼってわけが分からないよ。それでも必死に応えを返す。

「……うん」

 聞こえたかな? 聞こえたよね?

 なんて考えてるうちに、右手に感触。思わず言う。

「色無の手、温かいね」

「いや、紫の手冷たすぎ」

「手が冷たい人は、心が温かいんだよ」

「んじゃあれか? 手が温かい人は心が冷たいと?」

「そゆこと」

 あぁ、ちょっといつもの感じに戻れた。

「はいはい、じゃ紫も手温かくして冷徹人間にしてやるよ」

 そう言って握り締めたあたしの手を、ポケットへと突っ込んだ。

「……ねぇ」

「ん?」

「すっごい……恥ずかしい」

「ん、俺も」

 今はお互いこれが精一杯だよね。三センチくらいは距離縮まったかな?

 また色無の顔をそろーっとのぞきこむ。目が合った。でも、今度はお互い背けない。見合わせて、なんだか可笑しくなって笑いだす。色無も顔が真っ赤なんだもん。

 今日から始まったあたし達の関係が、どうか末永くいつまでも続きますように……。


 こんにちは、紫です。

 今日これから、私は新しい教室に入らないといけないのです……。

『紫ちゃんの挨拶』

「いやー、うちのクラスは楽しくいいクラスだよー!」

 この私の前を歩く馬鹿でかい人間は私の新しい先生。そう、転入先のクラスの先生よ。

 私は今日ここへ転入して来ました。生まれてからずっといた馴染みの深い故郷から離れた今、気持ち的には寂しいというよりドキドキしてる。だってだって、これからみんなの前でご挨拶ですよ? あー、緊張して手汗かいてきた。

「ん? 紫ちゃん、どうしたのかな、うつむいて」

 先生がのぞきこむ。その姿勢がむかつく。それに紫“ちゃん”っていうのも腹立つ。私の背が小さいからって馬鹿にしてる。むかつくから先生の踵を思い切り蹴った。

「あ! ごめんなさい、先生。私、緊張してて……」

「……は、はは。いいのさ、これぐらい。それよりうちのクラスにはね……」

 痛かったのだろう、顔が引きつっている。というか他にネタないわけ? こいつ。同じ話ばかりしすぎだろ。

 うんざりしていた私の前に、ひとつの教室が見えてきた。

「さ、ここだよ。じゃあ前話でもしてくるから、そこにいて。呼んだらくるんだよ」

 そう言って先生は教室に入っていった。

 は? デリカシーってもんはあいつにないのか? 皆が注目するなか入るだなんて……無茶だ。もー、なんて自己紹介すればいいんだろう。

『こんにちは、紫です』?

『やっほー、私、紫っていいまーす』?

 ああああああああ、駄目だ、頭がこんがらがってきた。額に汗びっしりだし。顔、光ってないよね?不潔って思われたら嫌だ〜〜。

 おちつけ、私! おちつけ、心臓!

 大丈夫、きっとこの先にはパラダイスが待っているのよ! そう考えて……。

「じゃあ、紫ちゃん、入って」

 キターー!!

 ああ、頑張るのよ、私。頑張れ、頑張れ、頑張れ! 教室まであと三歩。二歩。一歩……。

「こんにちは! 転入してきた、紫です!!」

 

はーい、紫でーす☆

今、ピンチ状態☆

『取り合えず第一印象を植えつける』

「わー、紫ちゃんっていうんだー」

「よろしくね。私桃っていうの」

「黄緑です、仲良くしてね」

「抜け駆け禁止ー! 橙よ、よろしくーー!」

 はじめの挨拶は上手くいった。

 でも、私は気づいてなかった。そのあと、囲まれる方が大変だったんだああああああああああ!!!

 ショートホームルームで挨拶したあと、私の周りで沢山の顔が喋っている。もー、騒がしい! 静かにしてよ〜。

 どうする? どうする、紫!? 取り合えず選択肢は、

1.笑顔で答える

2.無言

3.怒鳴り散らす

 ……やっぱ第一印象って大切だ。ここは1の『笑顔で答える』で!!

「みんな、よろしくね! 昨日ここに来たばかりで迷惑かけるかもしれないけど……」

 控えめに、でも明るい子っぽく挨拶。これでいいんだよね? 周りからはだいたい同じ反応が返ってくる。

 ふう……これで何とかいけたでしょ。きっとこの後パラダイスが待ってる——。

「でも、本当に紫ちゃんって小さくて可愛い〜」

 ——はずだったけど、どこぞの馬鹿がぬかした言葉に過剰反応してしまう。

「小さいって言うなーーーーー!!!!!!!!」

 しーん、とする教室。

 そりゃそうか。すごい形相して大声で叫んだら。ん? これはTHE END? THE ENDパターンなの?

 ……終わった……。

 パパ、ママ、ゴメンナサイ。紫は、今、多大なる失敗を犯しました。罪な娘を許して……。

「……ぷっ……あはっ……あっはっは!!!」

 誰かが笑い始める。何? 私の哀れさに笑ってるの? よかった、最後に人を笑わせることができて……って!

 結構みんな笑ってるじゃん!! え? え? 何、何なの!?

「もー紫ちゃんてばおかしー、可愛いー」

 笑い転げながら橙だっけ?ちゃんが肩をたたく。へ? 何、これは結果オーライなの? フラグ? これ仲良くなるフラグなの?

 笑いかけてくる橙ちゃんに笑って返事しようとしたときだ。

「紫ちゃん、小さいこと気にしてんのー?」

「小さくないもん!!!!!!!」

 また教室が湧き上がったから、いいけど、ね。


紫「みんなにあだ名つけるとしたらさー……」

赤:あーちゃん

青:ポニー

黄:カレー

緑:みどみど

白:しーちゃん

橙:だーだ

桃:デカメロンのケンタウロス和え(桃太郎風味)

水:みっちゃん

黒:女王

茶:ちゃーたー

黄緑:りーさん

紫「だよね!!」

無「お……おい……何か一人だけ長い上に可哀相なあだ名の奴いないか……?」

 ちなみに紫のあだ名は“貧相なチビソース(一寸法師炒め)”(桃命名)となった。


紫「桃!」

桃「ど、どうしたの? そんなめいっぱいのドヤ顔して」

紫「ふっふーん」

桃「そのちっちゃい身長が2�くらい伸びたの?」

紫「ちっちゃくないし! ……でもニュアンスは近いよ」

桃「なになに?」

紫「胸がおっきくなった!」

桃「えっ」

紫「Yシャツ着たときにちょっとキツくてねーえへへー」

桃「そ、そう」

紫「やっぱり私もまだまだ成長期だしー? 胸も背もこれからおっきくなっちゃうよ!」

桃「あ、あのね、紫ちゃん?」

紫「今から私に身長も自慢の胸も抜かれる日を恐れて震えればいい! あ、色無にもいってやろー。へへん」

 ピュー

桃(言えない! ぱっと見で胸の大きさが変わってないのにシャツがきつくなってるなら太っただけかも、だなんてさすがに紫ちゃんにも言えない!)







トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2012-10-21 (日) 04:01:26