メイン複数SS
ここ、雨弓学園は珍しい学校だ。高等部では主に単位制を採り、生徒が好きな授業を受けることができる。無論必修もあるにはあるが、国語や数学など片手の指で足りる数しかない。その他は卒業単位を取得できるものであれば、何をとってもかまわない。『大学のための授業』にしたくない、というのが主な主張らしい。
とはいうものの、そんな意図が生徒に伝わっているわけではない。とりあえず好きな授業、面白そうな授業をとって泣きを見る生徒は少なくない。たとえばプログラミング。たとえば現代哲学。たとえば現代語学。予想したのと違う授業ではよくある話である。
俺はというと、授業の名前や中身ではなく先生を基準に選んでいる。面白い先生を基準にして選べば、興味のあるなしはさておき、基本的に外れは引かないと踏んだのだ。
この考えは結構的を射ていた。助かる。というか、今まで興味のなかったものにまで興味が持て、視野が広がった感じがする。 閑話休題。
さて、そんな学校である。クラスというものはもはや有名無実。皆が顔をあわせるのは朝のホームルームぐらいだ。帰りは皆授業の関係上、ばらばらに帰る。
人の適応能力とは実にすごいものだ。一カ月もすればすぐに慣れてしまう。外の新緑が風に揺られてるのを見て、揺られた樹が歌うのを聞いていた。当然、先生の話は耳に入っていない。
結局俺の脳には先生の声は書き込まれず、ホームルームは終わってしまった。
さて、と。
「あ、いろなしー」
いろなしとかいうな。色はあるわ。
俺の名前は色成透。『いろなし』だからって『色無』じゃねえ!
不満を声には出さず、声のしたほうを振り返る。
上は明るいオレンジ色を基調とした赤のストライプのスウェット。下は燃えるような赤で無地のジャージのハーフパンツ。顔を向けると、にかっ、と何も考えていなさそうな笑顔の女がいた。
短い赤い髪が風にゆら、とすこし揺れた。
「別に口に出せば一緒じゃない?」
「まあ、とりあえずそこに座れ」
首をかしげる赤い髪の女。こいつの頭に浮かぶ疑問符を無視し、あいている隣の席に座らせる。俺はゆっくり息を吐きながら、心を落ち着かせて小話を始めた。
「いいか、『部活に熱心だな』って台詞を聞いて、どう思う?」
「どう思うって、普通に褒め言葉じゃない?」
そうだ、その答えを期待した。分かりやすいやつだな。単純なことは長所だ。
「だが、その前に『テストの成績が悪いな。しかしまあ、部活には熱心だな』と言われたらどうだ」
「……なんかヤな感じ」
よしよし、俺の思ったとおりの行動をしている。単純なことは長所だ。
「ということは、だ。言葉それ自体じゃなく、そこに含まれる意味、意図。これが重要なんだ」
「わかったよ! 色なし!」
単純なことは短所だ。
俺はありもしない頭痛で額を押さえつつ、直接ものを言うことにした。
「つまるところ、俺は『いろなし』って苗字で呼ばれるのがイヤなんだ。分かるよな? 赤松」
ぱあ、と一気に顔が明るくなる目の前の赤髪の女。
こいつの名前は赤松紅葉。スポーツはよくできるが、頭の方はからっきし。そして男勝りでサバサバしてる……お前、生まれる性別間違えてないか?
「ああ、なるほど、そういうことか!」
単純なことは長所にもなるし短所にもなる。証拠は目の前のヤツ。
そして表情がころころ変わる。今度は口をアヒル口にした。何かが不満そうだ。
「それならボクのことだって『もみじ』って呼んでよ」
「なんでだ」
「だって『あかまつ』って呼ばれると、なんかじめじめしてキノコ生えてきそうなんだもん」
お前は一回マツタケに謝れ。全力で謝れ。頭を地面にこすりつけて謝れ。
「で、何の用だ?」
「そうそう。寮の掃除当番、水香ちゃんが代わってって」
……どうして水原が掃除当番を? っていうかなんで俺に?
俺が思った疑問を知ってか知らずか、紅葉は何かを思い出すそぶりをしながら言う。
「確かね、『女の子にお茶とおかしをあげなきゃいけないから』、とかなんとか言ってたよ」
ああ、ということは今日部活なんだな。ってかわざわざ隠語みたいに言わなくてもいいのになあ。
「水原には『承知した。報酬は黄色くて甘くて、ちょっぴり黒くてほろ苦いもので頼む』と伝えてくれ」
首をかしげる紅葉。紅葉の頭の上に疑問符が山ほど現れたのが実際には浮かんでいなくても分かる。ちょっと伝言が長すぎたか? 一気に畳み掛けたのと遠まわしな表現がまずかったか。これでは紅葉じゃなくても解らないのは当然かな。
俺は二度手間だ、と後悔しつつ深いため息をつき、鞄からルーズリーフを一枚取り出す。シャープペンでさっきの伝言を一字違わず書き、いまだ疑問符と格闘している紅葉に渡す。
「これを水原に渡せば、何もかもが万事解決だ」
「そうなのか。じゃあ、渡してくる」
というと、すぐに教室から走り去ってしまった。
其の疾きこと風の如く、とはよく言ったもんだな。かの虎も泉の下で感心していることだろう。
今日は実は授業がなかった。ただ単にホームルームのために出てきただけ。あー面倒。
俺(たち)が住む寮、『虹色寮』は校舎から歩いて五分のところにある。虹色寮の西に初等部、東に中等部、北に高等部がある。大学のキャンパスはここからバスで十分ほど山間へ向かったところの、広大な敷地の中に建てられている。
寮は通学に便利な場所ではあるが、生徒たちが大勢ここに住んでいるわけではない。交通の便がいいため、実家から通ってくる生徒が大半なのだ。
俺たちが変なだけ。というか、俺や数人を除いて、帰るべき実家がない生徒がいるのだ。要は、孤児院出身。紅葉や水原もそれ。理由は聞く必要もないから聞いてない。
どうやら雨弓学園というのは多角経営を行っているらしく、慈善事業の一環として孤児院経営があるようだ。学校でのプレゼンテーションのときにちょっと調べたことがある。ちなみにそのときの評価はB+だった。紅葉の『スポーツ中における事故の分類とその対処法』というプレゼンに負けたのがいまだに納得いかない。
さてさて、寮に戻った俺は早速掃除の仕事にとりかかる。掃除といっても、床を掃き、階段の手すりを拭くだけの簡単な作業だ。
……とはいいつつも、こだわってしまって一時間経ってしまった。んー、しかしまあ、掃除をすると気分がいい。さわやかになる。
エントランスで一息つく俺。なんつーか、イヤといえない性格は得しないな、ホント。
「あ、あの、透くん」
少しおどおどした、小動物的な声が聞こえた。玄関の方からか。
玄関には白い半そでのシャツに赤いリボン、深緑のチェックスカートを履いた、水色の瞳が印象的な女。着ているのは学園の制服。私服登校が許されているこの学び舎で制服とは、なかなか粋といえば粋か。
「どうした、水原? 今日は部活じゃなかったのか?」
水原水香。人見知りが激しく、いつもおどおどしている。知り合いの男子曰く『いじめたくなるか可愛がりたいかの二択』だそうだ。よくわからん。
部活とは、園芸部のことだ。『女の子』は『花』、『お茶』は『水』、『おかし』は『肥料』をそれぞれ指す。なんでそんなややこしいことをしているのかって? そりゃ水原がそうしたいって言ったからね。ちなみに『遊ぶ』だと『植え替え』なのだそうだ。土と遊んでいるからなのか?
「うん、今日は早めに終わったというか、私だけ先に帰されたというか」
「ずいぶん部活熱心だからな。皆が気を使ってくれたんだろ」
この『部活熱心だからな』は、さきほどの例え話でいうと前者のほうだな。素直な賞賛の言葉だ。水原は成績もいい。部活“も”熱心なのだ。
水原はもじもじと、何かを言い出したいらしい。まあ、だいたい予測はつくが。
「ま、掃除は嫌いじゃないし、次の俺の当番のときに変わってくれればいいさ」
「ほんと?」
水原が微笑む。うん、紅葉の笑顔とはまったく違った趣だ。同じ『笑う』という行為でも、人が違うだけでこんなに差が出るものなんだな。
「それと、例の報酬な」
「わかった」
にこっ、と眉を下げて笑顔を浮かべる水原。ああ、確かにこれは可愛がりたいかもしれない。イヤといえない性格も、こういうときには得するもんだな。
数十分後、俺は水原の作ったプリンを幸せな心持ちでいただいたのであった。
今日は休日だ。だが天国であるはずの今日は朝から地獄である。なぜかって?
「ふ〜ん、ふふ〜ん♪」
なんの歌かはよく分からない旋律を口ずさみながら台所に立っている、茶色のポニーテールがいる。茶色のフード付きパーカーを羽織り、足の細さを強調するタイトなジーンズを履いている。
そう、彼女、茶蕪羅運は朝食を作っているのだ。
食卓に座っているのは俺一人。みな、気配を察したのか誰一人として来ない。特に赤松は一目散に玄関から男子の俺でも追いつけない猛スピードで走り去って行ったのを俺は寝ぼけ眼で見た。
あの時の状況を鑑みていれば、こんな事態にはならなかった。今の気分は、何もしていないのに『喧嘩を止めなかった』という理不尽な理由で怒られる小学生みたいだ。俺にはなんの落ち度もない。
だが、茶蕪羅が料理をすることは、『クックハザード』とでも呼べばいいのか、とにかく大惨事を引き起こすことは間違いないのだ。
例えば、塩と間違え重曹。例えば、室内で燻製を作ろうとして煙が充満し、病院送り寸前。
とにかく、何か不吉なことが起こるのだ……俺は生きてこの寮を出られるんだろうか。
「みんなこないねー」
出来上がった朝食(のようなもの)をお盆にのせ、陽気な声で話しかけてくる茶蕪羅……いや、お前、自分が今まで何をしたのか覚えてないのか?
「さあな。寝坊か、朝練とかじゃねーか?」
事実、寝坊の常習犯はいるしな。黄木のおちゃらけた方とか。
「ふーん。とりあえず、食べちゃおうか」
茶蕪羅はお盆から俺の前へ、一品一品音を立てずに置いていく。接客のときには重要なマナーらしいが、そこまで気を使わなくてもいい気がする。
「あっ!?」
と思ったのもつかの間、つるっ、と茶蕪羅の手からご飯茶碗が逃げた。思わず手を出し、見事にキャッチ成功。ナイスプレイ。これは年末に『好プレー総集編』とかで流されてもおかしくない出来だな。
「ありがとー、透くんっ」
まあ、落としたら俺のズボンの上にご飯(のようなもの)がべちゃり、だしな。死活問題だ。
目の前に並べられている料理(のようなもの)を観察してみることにした。
まず、ご飯(のようなもの)。
粒の一つ一つが立っていて輝いている。見た目は確実にうまそうだ。だが、こいつは昔に、『ご飯を炊くときにサラダ油を入れるとおいしくなるらしいね!』とか言って水じゃなく油で炊くという素敵なことをしでかしてくれたからな。油100%。食えたもんじゃなかった。むしろ炊けてすらいなかった。もはやご飯のサラダ油和え。
次に、味噌汁(のようなもの)。
シンプルなわかめとお麩の味噌汁のように見える。湯気が立ち上っており、味噌のいい香りが漂っている。だが安心できない。
そして、ほうれん草のおひたし(のようなもの)。
適度な大きさに切られ、ちゃんとゴマがふりかけられている。前はゴマと間違えて味の素をかけてあって口の中で暴動になった。あれは苦しかった。
最後に、焼き鮭(のようなもの)。
干物でさえ『表面は焦げ、中は生』という前代未聞の奇跡を起こしてくれたのだ。例え和食の定番である焼き鮭でも警戒を怠るわけにはいかない。
「どうしたの? 食べないの?」
茶蕪羅はぱくぱく、と箸を進めていた。
「あ、ああ。少し瞑想していたんだよ、ご飯の神様にな」
「ご飯に神様っているの?」
「ああ。『米』って字は『八十八』に分解できる。だから八十八人の神様がいるって話を聞いたことがある」
「へえー」
ただ、七人だとか百八人だとか、いろいろあるみたいだけど。
「だから、茶蕪羅がご飯を一口噛むたびに七人の神様が——」
「いやあ! 言わないでー!!」
思いっきりイヤイヤと首を横に振る茶蕪羅。こういうちょっとした動作が女の子らしいなあ、と思う。
だが、この目の前の料理(に見えるもの)を食べるには勇気がいる。
……俺、朝食が終わったら学校に行くんだ。
俺は意を決し、ご飯を食べることにした。箸で一口分、ご飯をつまむ。キラキラと輝くご飯。ああ、うまそうだ。見た目は。
……遠くに住む母よ、先に旅立つ不孝をお許しください。
そして、俺は口にいれた。
「……!」
うまい!!
程よい硬さ、ほのかに感じる甘み。うん、これは及第点以上だ。別の意味で奇跡が起こった! これは、他のものも期待できそうだな!続いて、俺は期待で頭をいっぱいにして味噌汁を一口飲んだ。
「……?」
もう一口飲んでみる。
「……」
味がない。いや、かすかに感じる気がする。たぶん、ダシを入れ忘れたのだろう。しかし、茶蕪羅にしては無害なミスだ。これはかなりの進歩と言っていいだろう。昔は本当に、料理で人が殺せそうだったからな。
次は、ほうれん草のおひたし(なのかもしれないもの)を食べてみる。醤油のビンから少量たらし、少し和える。そして、やはり一口分をつまみ、口へ。
「……」
可もなく不可もなく、といった味だ。だが、くどいようだが、茶蕪羅にとってこれは大きな進歩だ。アームストロング船長が月に降り立った時の一歩より、大きいのかもしれない。主に人の命を救うという点では。
さて、最後の大ボス、焼き鮭(と信じたいもの)だ。まずは、中身を確認するために少しほぐす。どうやら、中が生という展開はなさそうだ。さてさて、ではではいきましょう。戦乙女に呼ばれないことを祈る。俺はそこまで勇猛果敢でもないが。
「……がっ!?」
「どうしたの?」
茶蕪羅が純粋無垢な目でこちらを見て、首をかしげている。だが、そんなことを気にする余裕は俺にはなかった。
しくった。そうだ、これが大ボスだった。油断した。ちくしょうめ。
口の中では、ドンキホーテが重機を二機も駆り出して俺の精神という風車を切り崩しにかかっていた。一機目は、魚の生臭さ。生には見えなかったが、まだ焼き加減が足りていなかったらしい。
そして、もう一機目は。
「甘えええええぇぇぇぇぇぇぇ!!」
俺の咆哮は、寮全体に響き渡り、かすかに揺れるほどの大きさだった。人間って、案外限界を超えるのは楽なんだな。涙が出てきた。
そう、ありきたりなミスだ。だがそれはマンガや小説であること。
つまり、塩と砂糖を間違えていたのだ。
「……え?」
茶蕪羅は、おそらく偶然だろう、手をつけていなかった焼き鮭を食べる。
「あうっ!?」
そして涙が目にたまった。
二人して沈黙。いや、喋ろうにも口の中のドンキホーテが攻めの手をやめてくれないのだ。
俺はテーブルに常備してある、お茶のピッチャーから湯呑みへ乱暴に茶を注ぐ。そして、一気に飲み干した。
ドンキホーテは、津波に飲み込まれて消えた。
「うぅ、また失敗だよぉ……」
焼き鮭を前に、涙ぐむ茶蕪羅。気まずい沈黙がこの場に君臨している。
ここでフォローをするべきなのだろうが、うまく言葉が出ない。まあ、よくあることだよ、と言っておけばいいのだろうか。いや、違うな。
「今度、一緒に作ろうか?」
「え?」
涙のたまった、大きな茶色の瞳が俺を見つめる。
「いや、何かミスしそうになったら俺が言うよ。料理できないとはいっても、それぐらいは俺だってできるからさ」
昔はいざ知らず、今は『AとBを間違えた』とか『Aを入れ忘れた』レベルに落ち着いている。なら、あまり料理をしない俺でもサポートはできるはず。もはや料理人レベルである黄木のおしとやかな方の手を借りなくても、なんとかなりそうだ。
うんうん、と考えていて、ふと茶蕪羅の顔を見た。ほんのり、朱がさしている。視線を泳いでいて、なんだか落ち着かない。
「おーい、大丈夫か?」
「ひ、ひゅい! 大丈夫です! xは3です!!」
何を言ってんだこいつは。
「じゃ、じゃあ、あぅ、つぎの、きゅうじちゅ、じゃなくて、きゅうじつで!」
手をばたばた、と大きく上下に振っている茶蕪羅。いや、落ち着けよ。俺はジェスチャーで深呼吸を促す。眼をとじ、手を広げ、大きく息を吸って大きく息を吐く茶蕪羅。
できる限りの協力はしたい。そりゃあ、命がかかっているからな。特に俺の。
そのとき、俺はドアから覗き見していた寝坊組の黄木のちゃらけた方と織路に気づかなかった。
そして、そのあと俺は二人が流した醜聞(にきこえるもの)の誤解を解くために休日を浪費することになる。
……死ぬかと思った。
黄木のおちゃらけた方、色と織路……最悪だよあいつら。寮の全員に言いふらしやがって……弁解するのにすげー時間かかったじゃねーか。ちくしょう。
「場を考えずうかつな言葉を口走るからでしょ」
「ぐ……おっしゃる通りで」
今俺は、学校のある一室にいる。
誰もいない校舎。外では部活動生が精を出しているが、校舎内は静かだ。そりゃあ、好き好んで学校に来るような奴は受験生や勉強狂い以外いないだろう。かくいう俺も、用事がなければ一日中寮でごろごろしている。
では、俺は今いったい何をしているのか。
「あ、そのポスターはそこじゃなくて、左上に張ってちょうだい」
「へいへい」
脚立にのぼり、掲示板の左上の方に画鋲でボランティア募集のポスターをとめる。
俺はなぜか美化委員的な仕事を半ば強制的に押し付けられていた。
ことの始まりは、昨日である。
「ねえ、明日、学校のげた箱で待っててくれない……?」
などとうるうるした上目遣いで見られたら首肯せざるにはいかないだろう? なあ、諸君。
で、今日、休日であるにもかかわらず俺は学校へのこのこと出てきた。そしたら、目の前の切れ目な自称クールビューティが仁王立ちしており、
「手伝ってちょうだい!」
と満面の笑みで俺に言ってきたのだ。
で、むげに断るわけにもいかず、こうして手伝っているわけだ。ああ、信じた俺が阿呆だった。
今俺がしていることは、生徒会の雑務の一つだ。おそらく誰も参加したり、見たりしないような掲示物を張っている。
だって、ボランティアだぜ? 若いエナジーを全開にしている俺たち高校生がしたいと思うかどうか。当然、否、である。
「まあ、終わったらジュースぐらいならおごってあげるわよ」
「……なんか、裏がありそう」
「ないわよ」
「……」
「ほ、ほんとよ!?」
「はい、約束の」
セミロングの青い髪をふわっ、と風になびかせながら缶ジュースを渡してきた。缶には『ソタ みかん味』と書かれている。嫌いじゃない味だな。
「ああ、ありがとうな、葵」
目の前の女生徒は青井葵。面倒見の良い、姉御肌な女生徒で、男子の友人も女子の友人も多い。メールアドレスの総数は五百を軽く超えているらしい。この学園の高等部が約千人だから、半分近くとメールアドレスを交換していることになる。俺はと言うと、だいたい五十件ぐらい。寮のみんなと、親しい友人ぐらいだ。それぐらいで充分だと思うんだけどなー。
女子を個人的にランク付けしている知り合いいわく、
「青井葵はランク的にはB+だね。顔はAだけど、出るとこ出てないからマイナス。性格を入れると、A++になるよ」
ちなみにSランクは桃江らしい。おっぱい星人め。全女性の敵だな。
「それにしても、朝は悲惨だったわね」
細い切れ長の眼を弓なりにして、くすくすと笑う青井。
「しかたねーだろ、茶蕪羅だったんだし」
俺は広場の芝生に胡坐をかいて座り、肩をすくめて弁解する。俺にしては生きるか死ぬかの瀬戸際だ。九死に一生スペシャルだ。
青井はくすくす、と笑いをやめない。
「でも、あそこであの台詞が出るのはやっぱり透って感じがするわねー」
「どうしてさ?」
聞くと、青井はしゃがみこんで、こちらに顔をぐいっと近付けた。澄んだ青い瞳がこちらを見据えている。一瞬、どきりとした。
「そこで『自分で面倒を見てやろう』って考えがそれっぽいなって思ったの」
また、くすくす、と笑って俺の横に女の子すわりで座る青井。
俺は『ソタ みかん味』をあけ、飲む。柑橘系の爽やかな味と、同じく爽やかな炭酸が俺の口を撫で、喉を通過する。うん、働いたあとの飲み物としては最適だと思う。
「でもさ、黄木の姉……観鳥に頼むのもなんか忍びなくてさ」
「まあ、確かにねえ」
あれはマネしようと思ってもマネできねえレベルだし。
「それよりも!」
急に青井は真面目な顔になって真面目な声を出した。
「……?」
俺が頭の上にクエスチョンマークを召喚する。
青井は俺の方を向き直り、強い口調でマシンガンを乱射し始めた。
「透さ、最近成績落ちたんだって?」
「……いや、落ちたような気がしないでもないけど」
「透はぜったいもっと上へいけるはずなんだから!」
「んー、俺は平均ぐらいでいいんだけどなー」
「入学試験の結果、忘れてないでしょうね?」
そういえば、こいつ根に持ってたんだっけか。
「記憶にございません」
「政治家答弁禁止。必死だった私よりもかるーく五十点上をとるなんて!!」
「いや、あれは偶然なんだって」
「偶然でも、とれる能力があるのに努力しないのはもったいないわ!!」
……ああ、やばいぞ。こうなると、青井は止まらん。
「いや、だから」
「だから、私と一緒に勉強会しましょうよ!」
ぐい、と文字通り目と鼻の先に顔を近づける青井。思わず、少しあとずさってしまう。
「なあに? いやなの?」
青井は眼を細め、じー、と俺を見つめる。なんだ、この責められてる雰囲気は。だって、俺、何も言ってないよ?
「……じゃあ、何教えてくれる?」
青井は口元に手を当て、視線を上にあげた。いつも青井が考えるときにする仕草だ。
一緒に寮に住んでるやつらは、基本的に女の子っぽいしぐさがある。それぞれが別々の女の子らしさがあって、知り合いからはうらやましがられる。だが、そんなロマンスはねえぞ。たとえ女に囲まれていても、彼女ができないやつはできないんだ。ソースは俺。
「国語、社会、英語なら教えられるレベルだと自負しているわ」
「あー、俺、その三教科は大丈夫なんだよね」
青井が目を丸くして俺の方へ向いた。
「そうなの!?」
俺はテストの成績を思い出す。
「国語は八十九、社会は七十八、英語は八十三。な? 問題ないだろ?」
「……そ、そうね」
ちなみに数学が四十五、理科が四十三だ。もはや修正の利かないくらいの文系だ。数学とか理科が解ける奴の気がしれん。人類ではない何か、たとえばロボットだとかそういうやつなんじゃないのか?
「だから大丈夫だ。青井は自分なり——」
「ダメね」
……何がダメなんですか、青井さん?
「まさか透に負けてるなんて……この私としたことが……」
それは俺を暗にバカにしているの? まあ、平均じゃ追いつかないけど。
「透」
「は、はい?」
「私に勉強を教えなさい」
なんですと?
「私より成績がいいんだから、私に教えるべきだわ」
いきなり何を言い出すのだ。というかその結論はおかしくないか?
だが、青井はいたって真面目だ。大真面目に、おかしい結論を言っている。
「自分を磨けるものがあるならば、なんだって使うのが筋でしょ」
いや、それはそうかもしれんけど。
「だったら、碧に頼めば……」
「実力が伯仲してる者同士が、一番レベルアップが早いのよ」
……だめだ、押し負ける気がする。
「でもさ、俺ってばあんまり教えるのうまくない——」
「大丈夫、私と透クラスなら、説明がうまくいかなくとも言いたいことは理解できるはずよ」
「へえー、葵と透はそこまでいっちゃったんだねー」
にやにやしながら、紅葉がタオルで汗を拭きながら立っていた。
「なっ!?」
青井のみるみる顔が赤に染まっていく。作った握りこぶしが、わなわな、とふるえている。
「そ、そんなんじゃないわよ! お互いを高めあう『強敵』と書いて『とも』よ!」
いつのまにそんな話になったんだ。
「あはは! ちょっとからかってみただけだよ」
紅葉はタオルを肩にかけ、あっはっは、と男らしく笑う。対する青井はぶつぶつと、何かを言っているが聞けるような雰囲気ではなかった。
「じゃあ、ボクは『先生』のところにいってくるねー」
「はいはい」
にか、と笑った紅葉はものすごいスピードで走り去って行った。
と、いうか。
「先生?」
自然と発した俺の疑問に、青井が缶ジュースを弄びながら答える。
「紅葉はね、小学校の時の先生にぞっこんなのよ」
「へえー」
「紅葉が言うには、前世の因縁がある、らしいわよ?」
それだけだと、なんか頭の弱い人みたいに聞こえるぞ。
「いやね、その先生、霧消護っていうんだけど、その先生も前世を信じてるらしいの」
精神的に危ない大人にひっかかった、いたいけな少女の図が俺の頭に完成した。
「でもまあ、本人たちがいいならいいけど」
手に持った『ぽむぽむオレンジ』を一口飲む青井。その横顔は、なんとも優しげな顔だ。精神的に少し大人な姉御として見ているのかもしれない。
「じゃあ、青井にはそういう人はいないのか?」
青井が口からオレンジ色の霧をふきだした。げほ、げほ、とせき込む青井。直後に俺を少し涙のたまった目で睨みつけ、
「い、いきなり何を言うのよ!?」
「いやー、俺としても人の色恋沙汰には興味あるんだぞ?」
「あんたみたいな野暮な男には話したって意味ないわよ!!」
「あははっ! じゃあ、そろそろ野暮ったい俺は寮に帰って寝るわー」
俺は青井に背を向け、缶をゴミ箱へ向けて投げる。からん、と音を立ててゴミ箱へ入ったのを確認し、俺はそのまま寮へと歩を向けた。
後ろで青井が何かをつぶやいた気がしたが、よく聞こえなかった。