黄緑さんちの平穏な日々

紫「パンダ死んじゃったんだ……」

無「上野動物園か。パンダは子供のころ一回見たなぁ」

黄緑「私も。大きなぬいぐるみかと思った。ランランだったかしら?」

紫「ねぇ尻尾は黒かった? 白かった?」

無「あ! それならはっきりと見たよ! 白かった!」

黄緑「嘘! 私ずっと黒だと思ってた……」

紫「私も……!」

無「人混みに流されながらだけど、あれは忘れられない白さだった」

黄緑「私は記憶ほとんどないけど、確かに人混みすごかったわ」

紫「私も見たかったなぁ……」

無「今上野動物園でリンリンの記帳やってるみたいだね。ゴールデンウィーク中行ってみる?」

紫「うん! 行ってみたい!」

黄緑「よかったわね。じゃああとで準備しなくちゃね」


黒「それじゃみんな、書き終わった? 書き終わった人は先生の所へ持ってきて」

紫「先生ー! 私の見てー!」

黒「ふん……ふんふん。うん、紫ちゃんらしいわね。じゃ、これお母さんに見せて感想書いて貰ってね」

黄緑「ふん♪ ふーんふん♪」

無「黄緑さんおはよう」

黄緑「どうしたの、色無さん? 今日は日曜日だからまだ寝てていいんですよ?」

無「朝ご飯、手伝いますよ。今日は母の日ですから」

黄緑「あら……ふふふっ♪ありがとう」

紫「おはよう……」

黄緑「おはよう紫ちゃん」

紫「ねぇお母さん……これ学校で書いた手紙なんだけど……」

黄緑「あらあら」

無「俺が火見てるから」

黄緑「じゃあ紫ちゃん、読むね」

 お母さんへ

 毎日私達にご飯を作ってくれたり洗濯ものをしてくれたりしてくれてありがとうございます。

 お父さんが死んでから無理に元気を出してはたらいて私をここまで大きくしてくれて本当にかんしゃしています。

 色無とけっこんしてからはお母さんも元気になり私も安心しました。

 今日は私と色無が家事をします。なのでお母さんはゆっくり休んで元気になってください

黄緑「……グス、ありがとうね。紫ちゃん(ギュ)」

紫「おかっ、お母さぁん」

黄緑「紫ちゃん生んでよかった。ほんとよかったよ」

紫「お母さん、これからも頑張ってね」

黄緑「うん。お母さん、紫ちゃんのために頑張るから!」

無「……ぐすん」

紫「い、色無は見るなぁ!」


無「黄緑さん、紫ちゃん大丈夫かなぁ」

黄緑「うふふ、大丈夫ですよ。ただ林間学校行っただけですから」

無「怪我とかしなきゃいいけど……」

黄緑「もぅ。心配性なんですから。ご飯できましたよ」

無「いただきます」

黄緑「色無さん。あーん」

無「あー。うん、おいしい」

黄緑「紫ちゃんがいるとできないからね。たまには」

無「ふぅ」

黄緑「色無さぁん、入りますね」

無「背中流そうか?」

黄緑「あら? いいの? じゃあお願いしましす」

無「(ゴシゴシ)痛くない?」

黄緑「ん、ちょうどいい」

無「黄緑さん……」

黄緑「色無さん? どこ触ってるんですか?」

無「あ、いえ……」

無「黄緑さん……」

黄緑「(ムギュ)……する?」

無「する」


黄緑「おはようございます♪ い〜ろな〜しさん♪」

無「ん……おはよう……黄緑さん」

黄緑「さ、起きて起きて。早く着替えて下さい」

無「今日なんかあったかなぁ?(ゴソゴソ)」

黄緑「お・楽・し・み・♪」

無「(ガチャ)あれ? 起きるの早いね、紫ちゃん」

紫「お、おはよう色無……(モジモジ)」

無「?」

紫「あ、お……お父さん……」

無「! ……い、今なんて……!」

紫「もう! 何度も言わせないで! ……お父さん」

黄緑「あら? どうしたの色無さん?」

無「紫ちゃん、もう一回!」

紫「しつこいよ色……お父さん!」

無「あ……」

黄緑「い、色無さん……?」

無「はっ、はい!」

黄緑「ふふっ、これは私から」

無「ん、開けていい?」

黄緑「どうぞ」

無「この靴、高かったんじゃない?」

黄緑「前に欲しいって言っていたの聞いたてから」

無「ありがとう。早速履いてみるよ」

黄緑「もぅ、子供みたい」

無「サイズもピッタリだ。ありがとう、黄緑さん」

紫「お、お父さん」

無「ふふ、紫ちゃんもね(ナデナデ)」

黄緑「いつもありがとう、色無さん」

紫「ありがとな、お父さん」


黄緑「あら、今日も雨ねぇ」

紫「今日も郡青ちゃんの家にいけないよ……」

黄緑「あ! 見て、紫ちゃん!」

紫「紫陽花咲いたね」

黄緑「色無さんもいいところ選んだものね。蕾が残らず全部咲いちゃった」

紫「カタツムリだ」

黄緑「どこからくるんだろうね」

紫「梅雨って感じー」

黄緑「ね」

 ガチャ

無「おはよう、紫ちゃん」

紫「おはよー色無!」

黄緑「おはよう、色無さん」

無「おはよう」


紫「いろな——じゃなかった。お客さ〜ん、こういうところ初めてですか〜?」

無「はい……いやあの、初めて、ではないけど、昨日行ったのが初めてで……てか黄緑さん、紫ちゃんにこんなことさせていいの?」

黄緑「あらあら、私のことはママって呼んで下さいな。はい、キープしてたボトル。フルーツの盛り合わせもどうぞ。昨日のお店でもこんな感じだったんでしょ?」

無「いやいや、ボトルキープもしてないし、めちゃくちゃ高いフルーツも頼んでないって! 接待で黄色さんに連れられて仕方なく行っただけなんだから!」

紫「いろな——お客さーん、紫ジュース飲みたいなー」

無「虫歯になるから晩ご飯のあとは麦茶にしなさいっていつも言って……ああもう、今日だけだよ? 特別に飲んでいいから、ちょっとキッチンに行っててね」

紫「やったー!」

黄緑「あらあら、ママと二人っきりになろうなんて、いけない人ね」

無「もう勘弁してよ……ほんとに仕事のつきあいで行っただけで、ちょっとお酒飲んですぐ抜け出してきたんだから」

黄緑「スーツのポケットから、キャバクラのマッチと一緒に可愛い女の子の名刺が出てきましたけど?」

無「そ、それはお店を出てくるときに無理矢理渡されて……いらないって言ったんだよ、ほんとに!」

黄緑「さっきケータイ見てニヤニヤしてましたよね。どなたからのメールだったんですか?」

紫「『アケミ』って女の人からだったよ。また来て下さいね、だって」

無「む、紫ちゃん! 人のケータイ勝手に見ちゃダメでしょ!」

黄緑「……グスッ……」

無「ち、違うんだよ。つい酔っぱらって、いい気持ちになったところでメルアド聞かれたもんだから、うっかり教えちゃって……」

黄緑「仕事で疲れてるだろうと思って、お風呂とご飯用意して待ってたのに……」

紫「あー、色無がお母さん泣かしたー」

黄緑「きっと今度の日曜日も、私たちを置いてアケミさんのところに行っちゃうんですね……グスン」

無「行かない、行かないよ! そうだ、それじゃ日曜日には三人でどこかにでかけようか! そうだ、それがいい!」

紫「わたし動物園行きたい!」

無「おお、いいね動物園! それじゃそうしよう!」

黄緑「グス……本当ですか?」

無「本当も本当、絶対だよ!」

黄緑「やった♪ よかったね、紫ちゃん!」

紫「楽しみー!」

無「……あれ? 嘘泣き? ねえ、今の嘘泣き!?」

黄緑「ふふ、さあ、どうでしょう? でもね、色無さん……もし本当に浮気するときには、ばれないようにして下さいね」

無「……絶対しませんよ。一生黄緑さん一人って誓ったんだから」

黄緑「うふふ、それじゃあ許してあげます」


無「ただいまー」

黄緑「おかえりなさい」

紫「おかえりぃ」

無「いやぁ暑かったぁ!」

黄緑「お疲れ様。今日は冷し中華よ」

無「おお、夏らしいね」

紫「色無きたから食べていいよね!」

黄緑「いいわよ(カシュ)はい色無さん」

無「(ゴクッ)ぷはぁ! あーいいなぁ。夏はこれに限る」

紫「おっさん」

無「はぅ」

黄緑「はい、マヨネーズ」

紫「ありがとう」

無「マヨネーズ?」

黄緑「あら? 冷し中華にかけない? マヨネーズ」

無(コクン)

紫「かけないの!?」

黄緑「色無さんも一度かけて食べてみたら? おいしいわよ?」

無「でも麺類にマヨネーズはなぁ」

紫「一回でいいから! ね?」

無「うーん……」

無「あ、結構いけるね」

黄緑「でしょ?」

紫「ね?」


無「んー、どうしようかなぁ」

青「おや、こんにちは」

水「こんにちは」

無「こんにちは。水色君もケーキ買いに?」

水「お母さんが誕生日なんです」

青「色無さんは?」

無「いやぁうちは最近こういうのなかったから。たまには」

青「もう2年目ですか。早いですねぇ」

無「いちおう黄緑さんの好みはわかるんですけど、紫ちゃんがどんなケーキ好きかわからないんですよねぇ」

青「水、紫ちゃんがどんなの好きかわかるか?」

水「この前チーズケーキ好きって言ってましたよ」

無「レアチーズかな?」

水「あ、いや、普通のチーズケーキです」

無「そうなんだ。ありがとう。白さんにもよろしくね」

無「ただいまー」

紫「おかえ——うわぉ! 何それ? ケーキ?」

黄緑「あらあら、まぁこんな立派な。ありがとう」

無「紫ちゃん、開けてみて」

紫「あ! チーズケーキだ! 私これがいいなぁ」

無「うん、いいよ。そのために買ってきたんだから。黄緑さんはティラミス?」

黄緑「それじゃお言葉に甘えて」

紫「ねぇねぇ色無!」

無「ん?」

紫「あーん」

無「(パク)あーん……ありがとう、水色君」

黄緑「水色君?」

無「あ、いやいや何でもないです。えぇ、はい」


無「花火大会なんて来るのも子供のころ以来だなあ……地元の商店街主催にしては結構賑わってるね」

黄緑「なんだか有名な職人さんを毎年大勢招いてるらしいですよ。私も久しぶりだから楽しみです。紫ちゃんは今日が初めてよね」

無「え、そうなの?」

紫「うん! だからすっごい楽しみ! ねー色無、まだはじまんないの?」

無「八時からの予定だから、そろそろじゃないかな——お、言ってるそばから来たよ。うーん、近くで見るとさすがに迫力あるなあ」

紫「わー!! でっかくてキレイ——」

 どーーーーーーーーーーん!!!!!!!

紫(ビクッ)

無「うは、これだけ近いと音もでかいな。タイムラグもほとんどないし。お、次はさっそく連発か!」

 どーーーーーーーん!!!!! どどどどどどどどどーーーーーーん!!!!!

紫「い、色無ぃ……」

無「たーまやー……ん? どうしたの、紫ちゃん? 俺の後ろじゃよく見えないでしょ。そうだ、肩車してあげようか?」

紫「いい……」

黄緑「どうしたの? 紫ちゃん、顔色悪いわよ。どこか具合悪い?」

紫「もう帰るぅ……」

無「ええ!? 今始まったばっかりなのに!?」

 ……どーん どどどどーん……

紫「たーまやー!!」

無「家の庭から見るんだったら大丈夫?」

紫「うん! そんなにおっきな音しないから平気!」

無「そっか、よかった。やれやれ、それにしても、まさか花火の音が怖いとはねえ」

黄緑「雷嫌いなのは知ってましたけど……すみません、色無さん。せっかく連れて行ってくれたのに」

無「怖いとかは理屈じゃないから、仕方ないよ。紫ちゃんがもう少し大きくなってから、また一緒に行こう」

紫「むー……いまちっちゃいって言った?」

無「言ってないよ。ほら、コンビニで花火セット買ってきたから、みんなでやろう。線香花火を一番長持ちさせた人が一等賞で、スイカの真ん中食べてよし!」

紫「やるやる! 絶対負けないもんね!」


紫「やっふー!」

黄緑「紫ちゃん、ちゃんと準備体操しないと足つるわよ」

紫「浮輪あるからへーきー! ひゃぅ! 冷た!」

無「ちょうど日曜日でよかった。夏休み最後だもんね」

黄緑「最後だから少し人多いわねぇ」

無「……」

黄緑「……ん?」

無「あ、いやなんでも」

黄緑「なんですかぁ〜!」

無「ん……まぁ、水着、似合うな、って……」

黄緑「あら? 私、つい『歳なんだから少し控えたほうが……』って言われると思ってたから。ありがと」

紫「お母さん、早くきてよー! 色無もー!」

無「今行くよー」

紫「やっぱり波に揺られるのって気持ちいいねー」

黄緑「色無さん、もっと早く浮輪引っ張ってぇ!」

無「(黄緑さん、ノリノリだ)う、うん」

紫「ふぅ。学校じゃ——」

 ざぱーん ぐるん

紫「ふわ!」

黄緑「ん!」

無「あらま?」

紫「うぇ! 飲んじゃったよ〜!」

黄緑「鼻に……!」

無「二人とも大丈夫……あ!」

黄緑「色無さん?」

無「戻ろ……」

紫「どうしたの?」

無「つった」

黄緑「……ご飯、食べようか」


紫「お母さん、おはよー」

黄緑「おはよう。今日から衣替えね」

紫「よかったぁ〜。もう最近寒くてぇ」

黄緑「そうねぇ。朝も寒くなってきたわね」

無「お、おはよう紫ちゃん」

紫「おはよー」

無「うー寒っ。起きるのだるいなぁ」

黄緑「起きるのがだるいのは若い証拠ですよ。ふふっ」

無「そうかなぁ? そういえば紫ちゃん、今度の土曜日、運動会だよね?」

紫「(モグモグ)そうだよ。色無、絶対きてよね!」

無「い、いいの……! 行っていいの!」

紫「その代わり、父兄参加の短距離走で一位とってね」

無「50メートルなら……うん、頑張ってみる」

黄緑「色無さんならできますよ」

紫「私ね、行進でチアガールやるんだよ」

無「何……だと……!」

紫「うん。だから絶対だよ!」

無「ねぇ黄緑さぁん! デジカメ買っていい? ねぇ?」

黄緑「あらあら、うふふ」


紫「これでよし!」

黄緑「はい。あとは冷ましたらフタしてね」

紫「これ少し焦げてるけど、大丈夫かなぁ?」

黄緑「これぐらいは焦げのうちに入らないわよ。大丈夫」

無「おはよう」

紫「お、おはよう」

無「おはよう、紫ちゃん。今日ちょっと起きるの早いんじゃない?」

紫「そ、そう?」

黄緑「はい、色無さん。今日のお弁当」

無「ありがとう、黄緑さん」

黄緑「今日のはひと味違いますからね♪」

無「さて、それじゃお昼にしますか。(カパ)お?」

空「愛妻弁当……?」

黄「見ぃたところ、これは愛妻ならぬ愛娘弁当だねぇ」

無「あぁ、確か朝、紫ちゃん起きるの早かったなぁ。そうか……」

無「ただいまー」

黄緑「おかえりなさい」

紫「い、色無……」

無「(ポン)ご馳走さま」

紫「ど、どうだった? 見た目はちょっとアレだけど、味とか……」

無「美味しかったよ。だけど卵焼きがもう少し甘かったらよかったな」

紫「あー、やっぱり……」

無「だから『今度』は期待してるよ」

紫「うん! わかった!」

黄緑「じゃあ明日から紫ちゃんがお弁当係で」

無「ヤキモチやかないでくださいよぉ」


 とんとんとんとん……台所で包丁が小気味よいリズムを奏でている。その音に、居間で紫が遊んでいるテレビゲームの電子音が重なった。

「えい、この、この!」

「紫ちゃん、そろそろゲームやめて宿題やっちゃいなさい。平日は一日一時間までって、色無さんと約束したでしょ?」

 煮物の味を見て小さくうなずき、コンロの火を止めた黄緑は、後ろを振り返ると腰に両手を当てて娘のそばに立った。

「この、この! お母さん、あともうちょっとだけいいでしょ? このダンジョンの最後までいかないとセーブできないんだもん」

「しょうがないわねえ。せめて寝っ転がらずに座ってやりなさい。もう、このところずいぶん行儀が悪くなっちゃって……色無さんに叱ってもらいますからね」

「色無が怒ったって怖くないもーん」

 カーペットの上をごろごろと転がり、ことさらにだらしない格好でコントローラーを握る紫に、黄緑は意味深な笑みを浮かべた。

「あらあら、そんなこと言っちゃっていいの? 紫ちゃんは今年のクリスマス、なんにもいらないのね?」

 とたんに紫はバネではじかれたように身を起こした。

「ず、ずるいよお母さん! クリスマスは関係ないじゃん!」

「関係なくありません。クリスマスプレゼントはいい子しかもらえないんですからね。最近の紫ちゃんは——あら、電話」

「私が出る!」

 黄緑が本格的にお説教をはじめようとしたところを、電話のコール音がさえぎる。これ幸いと、紫は止める間もなく受話器に飛びついた。

「もしもし? あ、色無。うん……うん……ちゃんとやってたよお。お母さん? 今ご飯作ってる。うん……そうなんだ。分かった。じゃあねー」

 どうやらかけてきたのは色無らしい。代わりに出ようとする黄緑の腕を避け、紫はコードレスの子機を持ってコタツの周りを逃げ回った。

「今の色無さんから? 何か急用だったんじゃないの? 代わってくれなきゃダメじゃない」

「ちゃんと聞いたから大丈夫。えーっとね、今日はこっちの方に用事があったから、チョッキを着て帰ってくるって。でも何でチョッキ着るのかな。寒いから?」

 紫から謎の言葉を伝えられ、黄緑はしばし首をひねった。

「チョッキ? チョッキを着て帰るって言ってたの? チョッキ……ああ、『直帰』ね」

 今どき年配の人しか使わない言葉を紫が知っていたことに感心しつつ、暗号を解読した黄緑は胸の前でぽんと手を合わせた。

「まだ五時過ぎたばかりなのに、今日は早いのね。最近残業続きだったから、部長さんが気を遣って下さったのかしら。それで紫ちゃん、色無さんは何時ごろ帰ってくるか言ってた?」

「いま駅に着いたって」

「ええ!? もうそんなところにいるの!?」

 紫が最後に明かした衝撃の事実に、黄緑は仰天した。

「大変、もうあと十五分もしたら帰って来ちゃうわ。急いでお風呂湧かさなくちゃ。お夕飯の支度も途中なのに……紫ちゃん、ちょっと手伝ってくれる?」

「色無はいっつもご飯先に食べるんだから、そのあいだにお風呂湧かせばいいじゃん……そうだ! ねえお母さん、今から色無迎えに行こうよ!」

 右往左往する黄緑をあきれ顔で眺めていた紫が、不意の思いつきに顔を輝かせた。

「迎えに? でも、お母さんまだ料理の途中だし、どこかですれ違っちゃうかもしれないし……」

「ご飯はあとちょっとでできるでしょ? 帰ってきてから作ればいいよ。今すぐ迎えに行って、あそこのたばこ屋さんのところで待ってれば間に合うよ。ね、行こう行こう!」

「ちょ、ちょっと紫ちゃん、引っ張らないで……そうねえ。それじゃ、色無さんをびっくりさせちゃおうか?」

「うん!」

 黄緑は火を止めた鍋を見ながらなおも逡巡していたが、早く早くと腕を引く紫に根負けし、困ったような笑顔を浮かべながらエプロンを脱いだ。

 

「うー、寒い!」

「ほんと、もう冬ねえ。でも今日はまだ暖かい方だから、歩いてればすぐぽかぽかしてくるわよ」

 寒気に身を縮こまらせる紫の襟元を整えてやり、黄緑は娘の手を取って歩きだした。

「ねえねえ、色無びっくりするかな?」

「そうねえ。きっとびっくりするわね。目をまん丸にして、お母さんと紫ちゃんの顔を二回ずつ見て、一回深呼吸してから『どうしたの、二人とも?』って言うわね」

「うんうん! それで私が『迎えに来たんだよ』って言ったら、ちょっと上を見て、それから下を見て、照れて鼻の頭をかきながらこう言うよ——」

「「『そっか。すっごいうれしい。ありがとう、黄緑さん、紫ちゃん』」」

 一言も違わず同じ台詞を口にし、顔を見合わせて笑い声を上げる二人を、すれ違う人たちが微笑みながら振り返った。

 

 駅までの道中のちょうど真ん中ほどにあるたばこ屋に到着したとき、色無は通りの向こうで過ぎゆく自動車の列を眺めていた。

「ぴったり! おーい、色無ー!」

 紫が声を張り上げるまでもなく、色無は二人に気づいていた。思わず一歩前に出たが、信号無視は教育上よくないと思い直し、青になるのを待って駆け出す。

 互いに目配せし合いながら待っている二人の前で、色無は目を丸くし、黄緑と紫のあいだで視線を二度往復させ、大きく息を吸い、吐いた。

「どうしたの、二人とも?」

 紫は吹き出しそうになるのを懸命にこらえ、その問いに答えた。

「む……ぷっ……む、迎えに来たんだよ」

 色無は高い空を見上げ、足下の小石を意味もなく蹴り——寒さで赤みの増した顔をさらに朱に染めながら、人差し指で鼻の頭をこすった。

「そっか。すっごいうれしい。ありがとう、黄緑さん、紫ちゃん」

 とたんに爆笑した紫と、口元に手を当てて涙を浮かべながら笑う黄緑を、色無は少し憮然とした表情で見つめた。

 

「ねえ、そろそろ教えてよ、紫ちゃん。いったい何がそんなにおかしかったのさ」

「だから秘密だって言ってるでしょー。お母さんと私の、二人だけの秘密だもんねー」

「ねー」

「ちぇっ」

 大人げなくむくれる色無の手から、紫が鞄を奪い取った。

「私が鞄持ってあげるから、そんな顔するなー——うわ、重い。よ、いしょっと」

 ランドセルの倍はある重さに驚き、紫は両手でしっかりと抱え直した。

「大丈夫? 落とさないでね」

「平気平気。毎日こんな重いの持って行ってるなんて、お仕事って大変なんだね」

 荷物の重さだけで色無の仕事を評価すると、紫は自分でも持てることをアピールするかのように、その鞄を抱えて駆けだした。「紫ちゃん、気をつけるのよ! もう……すみません、色無さん。大事な書類とか入ってるんじゃないですか?」

「ええ、まあ。でもしっかり鍵もかけてあるし、落としたとしても問題ないですから。僕らは、ちょっとゆっくり歩いて帰りましょうか」

「はい」

 日没直前で真っ赤に染まった空の下を二人で歩く。一段と冷え込んできたが、色無はなんだか身体が火照ってきた気がして上着を脱いだ。

「……なんだか、怖いです」

「怖い?」

 沈黙を破った黄緑の言葉の意味を、色無は理解できなかった。

「はい。いま私、幸せで、とっても幸せで……この幸せを失うのが、怖いです」

 色無は返事を口にすることができなかった。それは最愛の人を失ったことのある者にしか理解できない気持ちだったから。

 代わりに色無は黄緑の手を取り、しっかりと握った。

「色無さん?」

「こんな程度で、なくすのが怖いくらい幸せだなんて思われたら困りますよ。だって俺たち、これからもっともっと幸せになるんだから。そうでしょう?」

 黄緑は少し驚いて口をつぐみ、真っ直ぐ前を向いたままの色無の横顔を見つめ、そしてまつげを少し濡らして微笑んだ。

「そうですね……ほんとに、そうですね。ごめんなさい、変なこと言っちゃって」

「あーっ! 色無がお母さん泣かしたー!!」

 一人でかなり前の方まで行っていたものの、二人を待ちきれずに駆け戻ってきた紫が素っ頓狂な声をあげた。

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「泣かしてないよ」

「そうよ。お母さん、ちょっとあくびしちゃっただけ」

 二人が喧嘩したわけではないと納得したらしい紫は、今度は繋がれた手に目をつけた。

「いい歳して手なんか繋いじゃってぇ。二人で何話してたの?」

「内緒だよ。黄緑さんと僕の、二人だけの秘密だもんね」

「ふふ、そうですね」

 とたんに紫はぷーっと頬をふくらませた。

「なにさー、私だけのけものにして! ずるいずるい!」

「ちょ、痛いって紫ちゃん! 紫ちゃんだって、さっき黄緑さんと隠しごとしてたでしょ!」

「私はいいの!」

「あら、私だけ両方知っててお得な感じね」

「そういう問題かなあ……そうだ! それじゃあ紫ちゃん、何か三人だけの秘密を作ろうよ。そしたらみんな平等じゃないかな?」

 苦し紛れの色無の提案に、紫は思ったよりも乗り気で食いついてきた。

「それいいかも! 何かないかなあ……お母さん、鍵ちょうだい! おうちで何かないか探してくる!」

 黄緑の手から玄関の鍵を奪い取ると、紫は我が家を目指して一目散に走り出した。

「ふふふ。三人がみんな知ってたら秘密じゃないですよね」

「紫ちゃんが気づくまでは黙ってて下さいよ」

「はい。……三人の秘密、たくさん作りましょうね」

「もちろん、そのつもりですよ」

 寄り添いながら歩く二人の上で、飛行機雲が赤い空に真っ白な線を引いていた。


黄「〜♪〜〜♪」

無「あ、やっぱり黄色さんでしたか」

黄「おぅ色無くぅん。待っててくれぃ。あと少しで僕の特製カレーができるよ」

無「会社のキッチンでカレー作るのなんて黄色さんしかいませんよ」

黄「よぅしできたぁ。ちょっと味の方をみてくれないか?」

無「(ペロ)……黄色さん? もしかして彼女でもできた?」

黄「はーっはっは。ばれちゃぁしょうがないなぁ。そうなんだよ」

無「どうりで。味がいつもと違いましたよ。みんな呼んできます?」

黄「おぅ頼むよ」

黄緑「だから今日カレーの匂いがしたんですか」

無「そうなんだよ」

黄緑「で、色無さん? 私のカレーと黄色さんのカレー、どっちがおいしい?」

無「技術的には黄色さん。だけどこっちの方が愛情こもってておいしいな」

黄緑「あら。私は愛情込めた覚えはありませんよ?」

無「げ」

黄緑「嘘でーす♪ 色無さん、おかわりは?」

紫「お母さん、おかわりー!」

無「俺もおかわりお願いします」

黄緑「はーい♪」


紫「たったた、ただいまぁー」

黄緑「おかえりー」

紫「きょ、今日は寒くて……!」

黄緑「そうねぇ。雪は降らずとも今日は冷えるってニュースで言ってたからねぇ(ピト)」

紫「はぁぅ!」

黄緑「ほっぺも真っ赤ね」

紫「うー。お母さんの手、温かーい」

黄緑「ほぉら、お母さんの手ばっかり触ってないで。コタツついてるから」

無「(ガタガタ)たっ、ただいま……」

黄緑「おかえりなさい」

無「いやぁ、夕方から急に寒くなってきたね」

紫「おかえりー」

無「ただいま」

紫「今日ほんと寒かったよねー。(ピト)うわっ! ほっぺ冷たい!」

無「あー。紫ちゃんの手、温かいなぁ」

黄緑「あらあら? ふふっ」


紫「ふあ……おはよー。ねえ色無、今日は連れてって欲しいところがあるんだけど……」

無「あー、ごめんね、紫ちゃん。今日も仕事に行かなくちゃならないんだよ」

紫「え〜!? 先週の日曜日も仕事だったじゃん!」

無「ごめんね。来週は休めると思うんだけど、そのときじゃだめ?」

紫「いいよもう、水んちのおじさんに連れてってもらうから!」

無「ごめんね……」

黄緑「紫ちゃん、わがまま言わないの。色無さんは私たちのために頑張ってくれてるんだから」

紫「だから別にいいって言ってるでしょ!」

黄緑「もう……ふふふ、そうだ。ねえ紫ちゃん、色無さんにも貯金箱あげたら? そうしたらお仕事行かなくてすむかもしれないわよ?」

紫「!! そ、そんなこと今思い出さなくてもいいでしょ! もうちっちゃい子供じゃないんだからそんなことしないよ!」

無「? なんの話?」

紫「なんでもない! わ、私遊びに行ってくる! お母さん、絶対しゃべっちゃだめだからね!」

無「あ、ちょっと、紫ちゃん! ……行っちゃった。黄緑さん、貯金箱ってなんですか?」

黄緑「ふふふ、私がしゃべったことは内緒ですよ? 昔、紫苑さんが今日の色無さんみたいに休日出勤した日に、紫ちゃんたら——」

紫『お父さん、私お小遣い貯めたよ!、お金があればお仕事行かなくていいんでしょ! おうちで一緒に遊んでよ!』

黄緑「——って涙ぐみながら貯金箱を押しつけたんです」

無「へえ……それで、紫苑さんは?」

黄緑「もちろん仕事には行ったんですけど……『紫はすごいな。これのおかげで、きっと今日早く帰ってこれるよ』って言って、ほんとに夕方前には帰って来ちゃったんです」

無「そりゃあすごい。ふむ……となると、こっちはお昼過ぎには帰ってきて記録更新しないとだめですね」

黄緑「あ、ごめんなさい。そんなつもりで言ったんじゃないんですよ。あの子も言ってたとおり、もう小さな子供でもないですし、無理はしないで——」

無「いくつになったって紫ちゃんは俺たちの子供ですよ。子供のために無理しないで、いつ無理するんですか。よーし、なんか力がみなぎってきた! いってきます!」

黄緑「……はい、いってらっしゃい。頑張って下さいね」


2月14日

空「色無部長〜」

無「おはよう空ちゃん。どうしたの?」

空「はい」

無「お? 今日はバレンタインだったね。ありがとう」

空「部長は奥さんと娘さんいるから、3人で仲良く食べてくださいね」

無「家内と娘にも言っておくよ」

空「あ! 窓際課長〜!」

黄「ぶぅるあぁぁぁぁ!!! だぁれが窓際ですかぁ!? 僕はただぁ、空を見ぃるのが好きなだけだぁ!!」

無(何気に告白!?)

桜色「部長ぉー! はい!」

無「ありがとう桜色ちゃん」

煤色「あのう……」

無「ありがとう」

薄藍「色無君」

無「ありがry」

鮭桃「ぶっちょー!」

無「ありry」

無「あry」

無「ry」

無「ry

PM5:40

無「どうしよう……12個か……」

黄緑『12個ですかぁ。なかなかもらいましたねぇ♪(バキバキ)』

紫 『(ジー)……女ったらし』

無「……はぁ」

無「た、ただいまー……」

黄緑「おかえりさい(ギラッ)」

紫「おかえり〜(キラン)」

無「ひぃ! す、すいませんでした! だから、その包丁は」

黄緑「?」

紫「は?」

黄緑「あらあら? 結構貰ったんですねぇ」

紫「モテモテじゃ〜ん」

無「てっきり刺されるのかと。夕飯作ってたんだね」

黄緑「そんなことするわけないじゃない。もう……」

無「それもそうなんだけどね」

黄緑「ついでだし、私達のももらってくれるよね?」

紫「はい色無。手作りなんだからね」

無「ありがとう。早速食べてみるよ」

黄緑「水君にも同じのあげたんだよね〜♪」

紫「お母さん!」

無「(ムグムグ)うんうん。水君もこれなら喜ぶ」

紫「私は色無が……! もう!」

黄緑「ねぇ私のは? どう?」

無「ちょ、ちょっと待って……」

数日後

紫「ただいまー。お母さん、チョコ食べていい?」

黄緑「はいはーい」

紫「あれ? この煤色さんのチョコ、手紙が入って——」

黄緑「ちょっとお母さんに貸しなさい! ……ふぅ、なんだ……はい、紫ちゃん」

紫「う、うん……(怖かった……今のお母さん怖かった……)」


 新学期

無「ただいまー」

紫「色無、お帰り! ねえ、見てみて! 新しい教科書!」

無「お、ついに紫ちゃんも最上級生か。ついこのあいだまであんなに小さかったのに、あっという間に大きく……」

紫「……なに!? 言いたいことがあるならはっきり言えば!?」

無「いや、うん、あっという間に大きくなっちゃうんだなあって。どれどれ……うわ、最近の小学生の教科書って字が大きいな! 逆に読みづらい気がするけど……老眼の先生対策か?」

紫「あとねえ、前のが小っちゃくなっちゃったから、新しい体操服と上履きも買ってもらった!」

無「ゼッケンもちゃんとまっすぐついてるね。さすが黄緑さん。下は……やっぱり短パンか。まあ今時ブルマーの学校なんてないよね」

紫「ぶる……まー? なにそれ?」

無「……いや、なんでもない。そっか……最近の子供はブルマー知らないか。昔はね、もっとこう……なんていうのかな、体にフィットしたのを履いてたんだよ」

紫「ふーん。お母さんも?」

無「黄緑さんはどうかなあ。もしかしたらちょーちん——」

黄緑「あらあら、私がどうかしたんですか、色無さん?」

無「な、何でもないよ。あの、包丁危ないから、台所に戻って晩ご飯の支度を続けてよ。ね?」

黄緑「はいはい。ちなみに、私もブルマーでしたよ。普通の、ね」

無「了解……あれ? 紫ちゃん、上履きの色が青いよ? 女の子は赤だよね? すぐ交換に行かないと……」

紫「うちの学校は男子も女子も、みんな青だよ?」

黄緑「男女差別につながるからって、最近は男の子と女の子で色分けしたりしないみたいですよ。出席番号も男女混合の名前順ですし」

無「俺の小学生時代と全然違う……これがジェネレーションギャップか……」

紫「? ねえお母さん、色無どうしたの? がっくりしたまま動かなくなっちゃった」

黄緑「こういうときはそっとしておいてあげてね、紫ちゃん」

 

黄緑「はい、ビール。今日もお疲れ様でした」

無「はい、どうも。紫ちゃんは?」

黄緑「はしゃぎすぎて疲れちゃったみたい。お風呂から上がったら、すぐ寝ちゃいました」

無「そうなんだ。しかし、進級するのってそんなにうれしいもんだったかなあ。中学とか高校に入学したときはそれなりにテンションあがったような気もするけど」

黄緑「ふふふ……違うんですよ。紫ちゃんは関係ないって言ってましたけど、実はクラス替えでまた水君と同じクラスになったらしくて、それが嬉しくてしょうがないんですよ」

無「水君か。まあ悪い子じゃないんだけど……普通、小学校高学年の男子と女子ってかなり仲悪いもんじゃなかった? それにしては紫ちゃんと水君って仲良すぎだよね? まだ紫ちゃんには男女交際は早いと思うし、一度その辺の話をきっちり——」

黄緑「もう、そんな深刻に考えなくたって大丈夫ですよ。まだ2人とも子供なんですから。水君はちょっとおとなしい子ですから、紫ちゃんはお姉さんぶるのが楽しいんですよ」

無「そんなもんかなあ」

黄緑「そんなもんです。もっとも、この先どうなるかは分かりませんけど。子供はすぐ大人になっちゃいますからね」

無「……紫ちゃんも中学生になって、高校生になったら——」

無『紫ちゃん、こんな遅い時間にどこ行くの? 』

紫『色無には関係ないでしょ! いちいち人のやることに口出ししないでよ! うざい!』

水『ヘーイ、紫! 今夜もサタデーナイトフィーバーだぜ!』

紫『今行く〜!』

無『ああ……紫ちゃん……』

無「うう……そしていずれは大人になって——」

黄緑『紫ちゃん、とってもきれいよ』

紫『お母さん、×××××(←「お父さん」とめったに呼ばれないので想像できない)……今日までありがとうございました。紫はお嫁に行きます』

水『紫ちゃんは僕が一生幸せにしますから」

無「だめだああああああああ!!!!!!!!!!! 紫ちゃん、大きくなっちゃだめだああああああああああ!!!!!」

黄緑「ちょ、ちょっと色無さん!? 紫ちゃんもう寝てるから! 起きちゃうから!」

紫「ふわ!! なになに!?」

無「紫ちゃんはずっと小っちゃいままなんだあああああ!!! 大人になんかならないんだあああああ!!!!」

紫「何言ってんの!? ずっと小っちゃいままなんてやだよ! 私、お母さんみたいになるんだから!」

黄緑「もう……酔っぱらいすぎですよ、色無さん」







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Last-modified: 2012-10-21 (日) 12:07:50